1-3.暮らすところは大学寮でした。
地下鉄の路線図を見てみると、なるほど、大学から三駅しかなかった。大学までの乗車時間はだいだい十分くらいか。
あの事件の現場がすぐそこにあったが、今はそれほど気にはならなかった。むしろ新しい生活の場に胸を躍らせている。
地下鉄を降りて地上に出ると、そこは都内とは思えない風景だった。
小さいながらも店が充実したロータリーと、それをぐるっと一周囲うように植えられた木。緑がいっぱいのいい街、という感じがする。
住所を検索し、グーグル先生に案内されるがまま寮へと向かう。
ロータリーから延びる駅前通りの両側にもやっぱり木が植えられていて、その外側は住宅街になっている。歩道も広く、歩行者と自転車で通る場所が分かれているのも好印象。
平日の昼間だからか、人はそれほど多くない。
道を行くのは子連れの主婦だ。遠くをみれば大きなマンションが建ち並んでいた。子どもの笑い声も聞こえてきて、とても住みやすいところ、一言で言えばそんな雰囲気。
そのまましばらく住宅街を歩いていると、緩やかな上り坂が始まった。これが母さんの言っていた小高い丘か。寮はもうそろそろか。
少し足を速めて寮へと急いだ。
坂を上ること五分。見た目新築の白く小さなマンションが、目の前に姿を現した。
周りは閑静な住宅街だ。近くに公園もあって、静かな場所に建っていた。
エントランスに入ると、右手に小さい部屋があるのが分かった。おそらく寮母さんの部屋だろう。
小窓をコンコンと叩くと、中からおばあさんが顔を見せる。
「こんにちは、ここで暮らすことになった天野です。よろしくお願いします」
「ああ、天野君ね。あなたの部屋は三○三号室ね。で、これが部屋の鍵」
おばあさんはそれだけ伝えて、そそくさと中へ戻ってしまった。
ここの寮母はずいぶんと事務的だ。そんな少しばかりの不快感を覚えながら、言われた通り部屋に向かう。
階段の踊り場からは、広大な住宅地と木々と、そしてその奥に並び建つ都内のビル群とが一望できた。
これからの生活の拠点になるこの寮は、エントランスからすでに土足厳禁。広い玄関になっていて、見たところおそらく寮の廊下全体がカーペットになっている。
俺の部屋は、このマンションの三階の端の部屋。母が言っていた通り、もちろん家具家電は最新モデルをフル装備だ。
まずは水回り。
風呂はトイレと別で、しかも乾燥機完備。洗面所と脱衣所も含めて、明るく広々としている。
寮といえば寮母が料理を作ってくれるはずだが、この寮には部屋に台所があるらしい。IHクッキングヒーターと、野菜室まで付いた冷蔵庫に大きめのシンク。家族で料理できる広さだ。
寝室は、壁に沿った階段を数段上がるロフトになっていた。
ダブルに見えなくもない大きめのベッドは柔らかく、そして雰囲気の良い間接照明が良い雰囲気を醸し出す。
最後にリビングだが、天井はロフトに合わせて全体的に高め。もちろんテレビは薄型の最新のものだ。真ん中には、これまた家族で囲めるようなテーブルと、一緒に四人くらいは座れそうな横長のソファが置いてあった。
そのソファに腰を下ろして考える。
一通り部屋の中を見て回ったが、一人暮らしをするのには広すぎるし綺麗すぎる気がする。無駄に待遇が良いのがどうにも引っかかる。
ちらっと窓から外を見てみると、ここからの景色も踊り場のように郊外を一望できた。
時間はまだ午後二時だ。気晴らしに外を散歩でもしに行くか。とりあえず、この周辺の店もちゃんと知っておかないとな。
どうにも晴れない心で、それとは真逆の快晴の空の下散策をしに出掛ける。
さきほどまでの澄み切った青い空は、いつの間にか遠くの方が徐々にオレンジ色に染まってきていた。かなりの時間歩いていたらしい。
歩いてみて分かったことは、この近辺だけで日用品や消耗品は十分事足りるし、調べてみたら地下鉄で数駅のところにショッピングモールもあるらしい。
部屋だけでなく立地も完璧なあの寮は、いよいよ謎の物件となった。
寮に着くと引っ越しのトラックが来ていて、ちょうど荷物の運び入れが終わったころだった。
淡々と業務をこなす引っ越し業者の相手をしているのは、寮母さんとはまた違う、初めて見る女性だ。
ここの住人か?
業者がいなくなるのを待って、その女性に声をかける。
「あの、すいません、この寮に住んでる方ですか?」
そして俺は、その返答にドキリとした。
「君が天野君ね。ようこそ
寮母さんと呼ぶには若すぎるが、大学生にしては年が少し上に見える女性が、そこにいた。
黒いポニーテールを揺らし、ニカッと白い歯が顔をのぞかせるまぶしい笑顔。まさにかっこいい大人の女性と言える外見だ。
そのポニテ女性は、俺が来るのを知っていたかのように堂々と、モデルのように細い体から伸びる両腕を広げる。
天野君? と声をかけられ我に返る。
「あ、はい、天野です。はじめまして。寮母さんと話がしたいんですが、いらっしゃいますか?」
しかしそれを聞いた彼女は、アハハと乾いた笑いを漏らす。
「面白い冗談ね、天野君」
ごく普通の質問だ。おかしいところはない。ましてや冗談なんかでもない。
彼女は片手を胸に、もう片手を腰に当てて続けた。
「ここの寮母はこの私。リン、と呼んでくれ」
荷物の整理を終え、一階の食堂に向かうと、フワッと香ばしい香りが漂ってきた。
これはから揚げの匂い?
夕食はレンさんの手作りらしい。寮母と名乗るだけはあり、見るからに美味しそうな料理がテーブルの上に並べられていく。
しかし寮生全員の分なのに少ない気がする。そう思ったままリンさんに訊いてみる。
「料理が少ない気がするんですが、もしかして寮生が少ないとかですか?」
するとリンさんはバツが悪そうにうなじを掻く。
「他の奴ら、しばらく用があって帰ってこないんだ。お前の歓迎会でもやろうと思ったんだけどさ。悪いな」
「いえいえ、用事があるなら仕方ないです」
リンさんはさっきみたいにまたニカッと笑い、
「そう言ってくれると助かるわ。さ、冷めないうちに食べちゃおうか!」
と、席に着くのを促す。
寮での初めての夕飯は、寮母さんと二人で取ることになった。食べている間、リンさんとこの寮のルールについて話があった。
――土足厳禁
この寮には女性がいるため、むやみに他の人の部屋に入らないこと。
朝食は朝七時、夕食は夜八時。この食堂で食べること。
この寮を傷つけないこと。
寮内ではお互いの約束は守ること。喧嘩は厳禁!
意外にも普通の寮のルールで、好待遇だからと身構えていたから拍子抜けしてしまった。それ以外は基本何しても良く、分からないことがあれば他のみんなに訊いてくれ、とのことだった。
他の紹介はまた後日、歓迎会のときにすることになった。
食事を終え、片づけをして部屋に戻る。
風呂やら歯磨きやらをしてあとは寝るだけにすると、時間は午後九時。まだまだ寝るには早すぎる時間だ。
入学式は一週間後。大学から事前課題などは出ていない。つまりは暇だ。
この暇な時間、やることを強いて言えば……。
……アルバイト探しでもするか?
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