1-2.大学受験は成功でした。
高校最後のイベント、卒業式。結果だけ言ってしまうと、友だちはみんな合格していた。
合格三人に浪人一人の仲良し四人組は、同じ学校に通うのが今日で最後になる。
泣くほどではないが、やっぱり悲しさはある。でも、今後一生会えないってわけじゃない。離れていても、俺たちの友情は不滅だ、なんて臭い言葉も言ってみる。
受験の話になれば、当然出てくるのはいつの日かのあれ。
「お前の頭なら来年受験して絶対合格できるって!」
三年間ずっと一緒にいた友だち三人による、激励の再来である。
最高の友人は、最後の最後まで最高だった。
そのあとは写真を撮ったりくだらない話をしたりして、それぞれの帰路につく。
受験に合格した三人は、幸せそうに満面の笑顔で「またな!」と手を振る。その姿を微笑ましく思いながら、しかし俺は精一杯の作り笑いを返すことしかできなかった。
受験に失敗したことはもちろんだが、心が晴れない原因はもう一つある。
言わずもがな、それはあの事件と黒マントの人。
あの人はいったい誰だ? なぜ口外禁止? 実は関わってはいけない人と出会ってしまったのでは?
俺の頭の稼働率が事件以来の最高潮に達すると、いつの間にか目の前には自宅があった。
玄関を開けて階段を上る。さっきの続きを考えようと自分の部屋に向かおうとすると「ちょっと来てくれない?」と親に引き止められた。
渋々リビングに足を運ぶと、そこには怪訝な顔で一枚の紙とにらみ合う母親がいた。
「母さん、どうしたの?」
「いや、これなんだけどね」
そう言って持っていた紙を渡してきた。
「差出人、見て」
ぼそっと短く言われるがまま、上の方に書いてある名前を見る。
そこに書いてあったのは、事件の日俺が行こうとしていた目的地、志望していた天道大学だった。
「あんた、入院してたからテストしてないはずよね」
母親の言う通り、入試は受けずに終わった。だからこの紙が合否通知なんてことはあるはずがなく、何事かと中身に目を通す。
――天野様
この度は受験していただき、誠に有難う御座います。
厳正な審査を行った結果、貴方は本校の特別枠としての合格となりました。
入学書類を発送しますので、お手数ですが下記の番号までご連絡ください。
「合格……?」
「特別枠って何なの?」
ここ最近、夢かと思ってしまうような出来事が立て続けに起こっている。
やっぱりここでも、俺の頭は一周回って冷静に状況を分析し始めた。徐々に頭と身体が不可解なことに慣れてきているのがはっきり分かる。
すぐに浮かんだのは、あの黒マントの人。性別すら知らないその人の事件当日の言葉を、もう一度思い返してみる。
――お前は私が生き返らせた。あの男も私が殺した。
――絶対に誰にも話すな。
何かの裏組織なのだろうか。そもそも生き返らせることが可能なのか。口外禁止にされているため、調べようにも手掛かりの一つも探せず調べようがない。
とにかく、このモヤモヤを一生背負っていくのは無理があると思った。いつか必ず見つけ出して、名前と性別くらいは聞いてやろう。そう決心してから話を元に戻す。
「とりあえず合格か。良かった……」
「え、あんた、どうしてそんなすぐに受け入れられるの?」
合格の謎に追い打ちをかけるように、俺の落ち着き様に困惑する母。
あくまで謎の人物に会わなかったかのようにすっとぼける。言動からして危険な人物から釘を刺されたのだ。うっかり話してしまえば今度は俺が殺されかねない。
大学に電話をして書類を送ってもらうよう伝える。早ければ明日には届くそうだ。
合格通知と入学書類は一緒だと思っていたが、どうやらこの電話は本人確認も兼ねているらしい。
何はともあれ、ついさっきまで浪人生だったのに思わぬ嬉しい急展開。大学生になることが決定した俺は、卒業式後の午後の暇を持て余すことになった。
そこら辺の漫画でも読み返してるか……。
インターホンが鳴り響く。下の階で反応がないということは、母さんは買い物でも行ったのか。
良いところだったが読むのを一時中断、「はーい」と返事をして急いで階段を駆け下りる。
「あ、郵便です。天野さんでよろしいですか?」
「あ、はい」
「では、ここにハンコかサインをお願いします」
必要最低限の受け答えで済ませて、配達員は家をあとにする。
しかし、今すぐにでも読み始めたかったその逸る気持ちは、受け取った郵便物によって強制的に停止させられる。
差出人は天道大学。中身は入学手続きの書類。
大学の人は明日には届くと言っていたはずだ。電話したのは昼過ぎ。そこから数時間、まだ空は赤く染まっていない。いくら何でも早すぎる。
再び俺の頭をよぎったのは黒マントだった。
タイミングが良いのか悪いのか、そこに母が帰ってくる。
「母さん、おかえり。これ、さっき届いた」
買ったものを床に置いて、母は無言でその郵便物を受け取る。ドアを開けたときは上機嫌だったその顔は、手の中のものを見るなり笑顔を段々失っていく。
「……買った食材、冷蔵庫に入れておいてもらえる?」
書類を持った腕が固まったまま、声を絞り出して俺に言う。そして大学への恐怖と合格の喜びとが混ざった引きつった顔でそそくさとリビングへ向かった。
食材を冷蔵庫に入れ終わると、いつの間にか書類への記入は終わっていたらしく、母にここに座ってと促される。母の顔は真剣そのものだ。
「詳しくはお父さんが帰ってきたら話すけど、とりあえず、合格おめでとう。何で受かったのかは知らないけど、浮かれずに大学でもちゃんと頑張りなさいよ」
母はそう言っているが、受かった理由はだいたい見当がついている。それを悟られないように、はい、と短く答えた。
時刻は午後八時。そろそろ父が帰ってくるころだろう。詳しい話へのうずうずを一層強くして母と夕飯の支度を進める。
ときどき俺の心は黒マントの方に向いていた。忘れようとしても何らかの形で思い出すきっかけが襲ってきて、逆に黒マントを考えているときは必ず考えることを止められる。
この瞬間について言えば、父が帰ってきたということ。そしてそれは、大学について詳しい話を聞くことになるということでもある。
夕飯をテーブルに並べて、三人決まった席に座る。小規模家族会議の始まりだ。
「合格したんだって? よかったじゃないか」
「でもテスト受けてないし特別枠なのよ? おかしいと思わない?」
「合格は合格だろう。浪人なんか嫌だぞ、俺は」
「そうだけど……」
父と母のこれまた小さな口論。合格と言われればそれまでだ。だがそれだけじゃないと、母が攻めに入る。
「それにね、入学書類送ってもらうようにお昼に電話したら夕方には届いちゃったのよ? 早すぎると思わない?」
「早いならそれに越したことはないな」
そう言ってご飯を口に運ぶ。父さん強いな……。母さんが少し泣き目になる。
二人が停戦状態になったのを見計らって、さっきからずっと気になっていたあれを聞いてみる。
「母さん、詳しい話って何?」
すると母は泣き目を引っ込めてパン、と手を叩いく。
「そうそう。あなた、一人暮らししなさい」
「え?」
突然の展開にもかかわらず、俺と父の声が見事に重なった。しかしお構いなしといった感じで母は続ける。
「大学寮の案内が一緒に入ってたの。しかもその寮すごいのよ」
まるで自分のことのように自慢げに、寮のパンフレットをテーブルの上に広げる。
「家具家電は最新のものが備え付け! 家賃、水道、電気にガスは全て大学が負担! 最寄りは大学から三駅、小高い丘の上の小さなマンションだって!」
知らないうちに立ち上がるほど興奮していた母の口からは、詐欺にも聞こえる謳い文句が次々と飛び出してくる。
「本当に大丈夫なのか、それ? 騙されてんじゃないのか? そんな情報今までなかったじゃないか」
父ももちろん疑っていて、そんな簡単に受け入れるはずがない。それに対して母は待ってましたとばかりに、ふふんと鼻を鳴らす。
「大学にも電話をして確認取ったから大丈夫よ。合格者だけの情報なのよ、きっと。せっかく大学生になるんだし、一人暮らししてみない?」
いつの間に電話を。母も母で対応が早い。
それを聞いて父が一つ咳ばらいをする。
「……母さんがそこまで言うなら。まだ完全には信じきれないが、まぁ、やってみてもいいんじゃないか。親とずっと一緒というのも退屈だろ」
そして父までも、多少の譲歩とはいえこの納得の早さだ。
「マジですか……」
かくして俺の権利を一切無視して、大学生になるのを機に一人暮らしが始まることになったのである。
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