第1章 暮らすところは大学寮でした。

1-1.大学受験は失敗でした?

 高校の三年間はあっという間だ。

 ついこの前入学し、どんな高校生活を送れるのかワクワクしていたと思えば、もう来月には卒業証書を受け取る。

 その式の前には、運と実力で左右される人生の分かれ道が待ち構えている。中には就職する人もいるが数は少なく、学年のほとんどが進学志望だ。

 俺や友だちも含めた大学受験をする人たちは、教師陣から「やらないと落ちるぞ」「後悔してもいいのか」と再三言われてきた。別に脅しでも冗談でもないのは分かっているが、それでもその緊張からようやく解放される。


 それと同時に、そんな現実を見せてくる嫌な夢からも解放される。

 大丈夫だ、出かけるまで時間は十分ある。

 制服に着替えて、朝ごはんを食べて、特に会話することもなく出かける準備を終わらせる。

 いつもだったらこの時間に親は起きていない。向こうにも思うところがあるのだろう。


「受験票持った? 筆記用具は? 忘れ物ない?」

「大丈夫だって……。いってきます」

「それならいいんだけど……。……頑張ってらっしゃい。しっかりね」


 母の激励を照れ隠しするように受け流し、玄関を開けてバス停へ向かう。

 毎年銀世界になるこの時期には珍しく雲一つない快晴だったが、それでもマフラーまでないとやっぱり寒い。緊張で火照った体を冷ましてくれ、気が引き締まる。

 すぅ、はぁ、と深呼吸をすると、ひんやりとした空気が体に染み入り、口から出た息はたちまち白くなって目の前に広がる。


 駅行きのバスはすぐに来た。公式や単語の確認をしながら揺られること十分程度、まだひとけの少ないロータリーに着くと、階段を下り改札を通って地下鉄に乗る。

 目的地は都内でも人気がある私立天道てんどう大学。理系メインではあるが学部や学科の種類が豊富で、それぞれの先生も著名な方ばかり、というのが売りだ。偏差値も全国的に見れば高い部類だ。

 今日はその入試の日。

 志望していたことを、いつも一緒にいた友だちに内緒にしていた入試だ。


 そのメンバーで集まって行われた先週のセルフ入試激励会。お互いに「頑張って合格しようぜ!」と励ましあったその同じ場所で、俺の口は「違う大学を狙っている」という衝撃の真実を放つ。

 え……と聞こえた直後、友だち三人の動きが止まる。しんとした空気の中、ひどい罪悪感に苛まれながら、許してもらえないだろうな……、と顔を伏せていたが、硬直を解かれた三人は予想外の反応を見せた。


「えー! ユッキーお前すごいな! 黙ってるなんて水臭さいな!」

「なんだよー、頭良かったのかよー。それなら勉強教えろよー」

「あ、もう合格だわ、いけるいける」


 ……泣いた。人前では初めてかもしれない。

 ちなみに「ユッキー」は俺のあだ名だ。


「おいおい、まだ合格どころか試験受けてないぞ!」

「泣くなよー男だろ」

「合格までとっとけよ」


 自分の許容量を超えた激励に照れ臭くなって、お菓子を頬張ってはむせる。

 最高の思い出になったことは間違いない。こいつらの期待に応えるためにも、あの大学に必ず合格しなくては、と改めて覚悟を決めた。


『まもなく、天道大学前、天道大学前、お出口は左側です』


 誰に語るわけでもない回想を一通り終えて現実に戻ってくると、大学の最寄り駅の名前が地下鉄の車内に響いた。

 電車が止まり、ドアが開く音。制服に身を包んだ受験生たちが、人生をかけた戦いに向けて一歩を踏み出し――。


「――お前らも落ちて人生壊れてしまえばいいんだ!」


 突然の男性の叫び。人々は音の発生源を探しそちらを向く。

 何だ、また変な奴が出たよ。あの人受験失敗したのかな。私たちに当たらないでほしいよね。

 ブツブツと、そんな呆れたつぶやきが聞こえた。

 急に大声でしゃべりだすおじさんは珍しくない。そのほとんどは放っておけば問題はない。

 だからってわざわざ入試の日を狙って、しかも入試会場の最寄り駅まで来て叫ばなくても、もっとやるべきことがあるだろうに。


 駅員数人が「お客さん、落ち着いて」と優しい口調で男に近づいてなだめる。

 事の収束を半ば確信して周りと同じように呆れてしまい、はぁ、とため息が出た。おかげで緊張はほぐれた。気を取り直していざ受験――。


 ――パアァンッ――。


 突然の破裂音。人々は肩を震わせてから身を屈める。

 今度は何だよと思う間も無く、それが銃を発砲した音だと分かった。

 周りが腰を低くしたことで視界が開けた。音のした方を見てみると、ホーム真ん中の開けた場所でさっきの不合格男が右腕を上に突き上げ、その手には黒い銃、そしてその銃口からは白い煙がスッ、と出ていた。

 反対側の腕には、ここからだと遠くてよく分からないが、おそらく恐怖で身体が思うように動かなくなっている女性。服を見るにここの駅員だ。男に近づいたときに隙を突かれたのか。

 間違いない、あの男の仕業だ。しかも人質を取っているから他の駅員も動けなくなり、余計に厄介だ。


「受験なんてクソだ! 人生なんてクソだ! お前らも同じようにしてやる!」


 失敗したり恥ずかしい思いをしたりすると、人は仲間を作りたがる。

 俺にも身に覚えがある。宿題を忘れてしまって、同じように忘れた人を探したことがあった。

 いや、そうだとしても今のこれは無茶苦茶だ。正直に言って意味が分からない。受験に失敗したからみんなも失敗してね。簡単に言えばそういうことか?


 テロじみた今回の犯行の動機は、あまりに幼稚で自己中心的。男の脳内は不合格の文字を見たその瞬間から時を止め、失敗を受け入れることも止めている。やはり意味が分からん。

 そう考えていた一瞬の静寂の直後、ようやく状況を理解したのか、周りの人々がわあっと悲鳴を上げて出口に向かって走り出した。

 あとから駆け付けた駅員が避難誘導の声を上げるも、虚しくホーム内の轟音にかき消される。

 逃げ惑う人の波に流されつつ再び後ろを見ると、不合格男と駅員数人とのにらみ合いが続いていた。お互い警戒して何もできずにいる。

 もうじき警察も来るはずだ。ここは大人に任せて俺は逃げよう。

 そう思っていた。脳内ではすでに階段を上がり切っていた。なのに身体はまだホームにいた。


 ――なぜ?


 自分でも分からず、向こうの緊迫した現場に惹きつけられる。

 男性駅員が不合格男を押さえつけようと一歩足を踏み出す。それに反応した男は駅員に銃を向けて叫び、威嚇し始めた。


「動くんじゃねぇ! 変な真似したらこの女を撃つぞ!」


 そして掴んでいる女性駅員のこめかみに銃口をあてがう。

 恐怖で動けない女性駅員。男性駅員は動けば女性が殺される。そしてその動きに過敏に反応し警戒する不合格男。


 この状態がこのまま続いてくれれば警察が何とかしてくれる。だがその前に不合格男が行動すればこの場の全員が殺される可能性がある。

 再びテロの現場に一触触発の状態が訪れる。他の乗客は、あと数人で全員が逃げ切れるほどに減っていた。

 人がはけ、視界が一気に開ける。

 それと同時に、さっきと同じ発砲音が数回、地下鉄のホームに響く。その直後、一人の男性駅員の足から赤い液体が飛び散り、男性はドシャッと音をたてて崩れる。

 銃口は次の標的に向き、引き金はすでに半分ほど引かれている。

 ダメだ、被害が増える。ていうか死ぬ。

 そう思った直後、誰かが不合格男の前に飛び出した――。


 ――俺だった。


 不合格男に向かって、体力テストの五十メートル走並みの全力疾走だ。

 足が数歩前へ出てようやく気付く。俺は無意識に女性駅員を助けようと動いていたのだ。

 しかし、今まで習い事を何もしてこなかったのだから、このあとどうなるかなんて分かりきっていた。

 銃口と目が合ったと思えば、嫌に聞き慣れた発砲音が襲ってくる。

 あ、死んだな……。そう確信し、ゆっくり目を閉じた……。



「……っ。……い! おいっ!」


 誰かに話しかけられている? もしかして天国?

 淡い期待を抱きながら目を開けると、なんとそこは天国――なんてことはなく、さっきの駅のホームのままだった。


「やっと目が覚めたか……。大丈夫か?」


 身体を起こしてもらうのと同時に飛び込んできた情報は、撃たれる前とは形勢が完全に逆転していた、ということだった。

 駅員はみんな無事なようだが、なぜか不合格男は血を流して倒れていた。

 とりあえず安堵のため息を吐いて立ち上がろうと手をつくと、ピチャッとその手が濡れた。見てみると、どうやら自分の周りだけ真っ赤に濡れていた。

 たぶん俺の血だ。だってあの不合格男に撃たれたんだから。でも生きてるってことは軽傷だったのか? いや、血の量が多すぎるな。

 その疑問に答えるようにつぶやく声が聞こえた。


「お前は頭を撃たれて死んだ。死因はおそらく出血多量だろう。脳がやられた可能性もあるな」


 は? やっぱり俺死んだの?

 考えてみれば頭がズキズキ痛む。触れると手はすぐに真っ赤に染まった。

 でも痛いなら夢ではない。少なくとも生きている証拠だ。え、生きてるの?

 俺の思考が生と死を行ったり来たりし始める。

 それに気づいたのか、隣に腰を下ろして介抱してくれていた人が静かに立ち上がり言う。


「お前は私が生き返らせた。あの男も私が殺した。まもなくこちらの警察と救急隊が駆けつけるだろう。面倒を見てもらえ」


 そして少しばかり声のトーンを低くして、だが、と付け加えた。


「お前が一度死んでいること、生き返ったこと、そもそも私と会ったこと。これらは絶対に誰にも話すな」


 淡々と業務連絡を済ませたその人は、黒いマントを翻して立ち去った。


「私はもう行く。ではまた」


 聞き返す力も残っていなかった俺は、顔すら見えない命の恩人の背中を見続けることしかできなかった。

 その数分後、大勢の警察や救急隊がわらわらと階段を下りてきて、現場の検証やら救護やらをし始めた。

 俺はというと、担架で地上の救急車まで運ばれてからすぐに麻酔で眠らされていた。


 次に目覚めたのは手術が無事終わったあと。

 痛みや傷は二日ほどで消えたが、しばらくは念のため入院して安静に、ということらしい。

 今回の事件に巻き込まれたことを聞いて、親や友だち、学校の先生がお見舞いに来てくれ、連日テレビで報道されていたことを教えてくれた。

 けが人は俺だけで、死んではいないということ。犯人は頭を撃って自殺していたこと。

 しかし、報道されていることは事実と全く違う。

 驚異の回復力も含めて、あの黒マントの人が関係してると考えて間違いないだろう。


 後日、警察の事情徴収が行われた。


「犯人が何を言っていたか、覚えている範囲で教えてくれる?」

「受験に失敗して人生壊れて、とか、お前らも人生壊れてしまえ、みたいなことを言っていたと思います」


 これは事実だ。


「どうして逃げなかったの?」

「自分でも分かりません。無意識に犯人の方に走り出していました」


 これも事実。


「女性の駅員が人質に取られていたらしいけど」

「そうですね。その駅員さん、たぶん怖くて動けなかったと思います。男の駅員さんも、動いたら女の人が撃たれるから動けなかったみたいです」


 事実。


「病院に聞いてみたけれど、君、頭撃たれたんだよね? よく生きていたね」

「急所を外したんだと思います。運が良かったです」


 これは真っ赤な嘘。頭を撃たれたら急所もくそもない。

 嘘を悟られないようにそれっぽい質問を警察に投げかける。


「あの、一ついいですか。自分が撃たれたのに、どうして駅員さんが助かったんですか?」

「ああ、それはね、君が走ってきたことで犯人に一瞬の隙が出来たらしい。そこを狙ったと、男性駅員から聞いたよ」


 そして下を向いて警察は続ける。


「隙を突かれたことで動揺か何かしたんだろう。犯人は持っていた銃で自分の頭を撃って自殺した、と。動機も何も聞けずじまいだよ」

「そう、ですか……」


 いかにも納得した風を装うが、それが事実でないことも俺は知っている。

 黒マント本人から守秘義務が課せられているせいで、真実を誰にも言えないことがもどかしくて仕方なかった。

 警察の事情徴収はこの一回きりで、そのあとは特に何もなく退院になった。

 あとから知った話だが、志望していた大学の入試は日を改めて行われたらしい。友だち三人はそれぞれの志望校の合否発表待ちだそうだ。

 入院をしていた俺は、やむを得ず事実上の受験失敗。浪人生になることが決定した。

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