3-3 ひたむきな想い①
「夕飯、旨かったな……。食べたこと無いものばっかりだった」
「うん。姉さんのカレーも捨てがたいけど……。ほっぺが落ちるってこういう事を言うんだなって思ったよ」
夕食を済ませてきた双子は客間へと戻っていた。用意された夕飯は豪華といって足りるのかというほど種類が豊富で、なおかつ美味しいものだった。二人はそれを端から平らげていき、お腹が膨らむほど食いだめをした。昨日の夜に食べた固いハムの食感などすっかり忘れてしまった程だ。
夕食の席で花を添えた話題はハム・サドゥ島の事だった。フラットはこのソマリア大陸からあまり出ることがないそうで、辺鄙な場所にある二人の話を楽しそうに聞いていた。そして「私はまだ知らないことがたくさんあるのね」と呟いていた。
羽のように柔らかい布団に寝転がりながら先程の事を思い返していると、ふとこうやが声をあげて起き上がる。何事かと振り返ると、枕を抱えたこうやが「忘れてた」と呟いた。
「何を忘れてたんだ? 皿に乗せたまま食ってなかったデザートのケーキなら、お前が話してる時に俺が食べておいたけど」
「違うよ! ……って、え、無いと思ったら勝手に食べてたの!?」
悪びれる様子の無いりんじゅの肩を枕で何度か叩いた。ぼす、ぼす、と間抜けな音がする。
こうやが忘れていたのは中庭での話だった。
「結局、なんでフラットが追いかけられてたのか、俺たちまだ聞いてないよ」
「あ……。そいやあそうだった」
コンコンと、小さなノック音がドアの向こうから聞こえた。返事を返すと、「失礼いたします」と言って入ってきたのはフレアだった。その手にはタオルのようなものがある。風呂とシャワーを案内しに来てくれたらしい。
これは良いところに来たと、二人は彼女を室内へと招き入れた。そうして立ったままのフレアを側の椅子へ腰かけるよう促し、二人して詰め寄る。話題はそう、フラットの事だ。
「さっき少しこの街の事を聞いたんです。けどフラットがなんで追われてるのかは聞けてなくて。もし話してもらえることなら、教えてほしいんです」
「まあ、なんでこのばかでかい屋敷にあんた達二人しか住んでないのかってのも、気になるところではあるんだけどさ」
フレアは二人の目をじっと見てから、「そうでしたか」と呟いた。目を伏せて手元にあるタオルを折り畳み膝に乗せると、ゆっくりと瞬きをする。
「お聞きになった通り、当家は街の者達からの信用を無くしております。ご主人様……、お嬢様のご両親のお話はお聞きになりましたか?」
「フラットのことを、お母さんが嫌ってるって言ってたけど……」
「その通りです。……いえ、正確に申しますと、奥方様はお嬢様の事を自分の女としての幸せを奪う者だと思い込まれ、敵視していらっしゃるのだと、私は考えています」
キーリタン家に長女が生まれたという事実は当時隠された。フラットの母親は実の娘を一切視界に入れず、一度とて抱きもしなかったという。
育児放棄をした母親に変わって赤子を育てたのは使用人達で、しかしそれすら邪険にした彼女によって、フラットは屋敷の最奥にある暗い部屋へ追いやられていった。さらに彼女は夫が娘に関わろうとするのを極度に嫌がったため、フラットは両親からの愛情を全く注がれずに幼少期を過ごすことになった。
フレアがこの屋敷に勤め始め、主人直々に彼女の世話を頼まれたのはフラットが四歳になる年の事だったという。
「お嬢様が幼い頃は、無表情で緘黙な方だったと言ったら驚かれますか?」
今のフラットはこの半日見ていただけでも、とても表情の豊かな少女だった。コロコロと表情を変え、大輪の花が咲いたように笑う彼女が、今の話に出てきた少女だとは全く結び付かないだろう。
そこにはきっとこの主従にしかわからない苦労があって、それを乗り越えてきたからこそのあの笑顔なのだとわかった。互いの信頼しあった眼差しが何よりもの証拠だ。
フラットに専属の使用人がついた事は、彼女の母親にとっては気に入らないことだったらしい。当て付けのように二人を除いた屋敷の者総出で旅行へ行くようになったのはこの頃からだということだ。
フラットには場所すら告げられていない別宅への旅行。それもこの頃は帰ってくる日の方が珍しいほどになっていた。こうして、この豪奢な屋敷に主従二人きりという奇妙な事態が発生したのだ。
フレアはここで一息ついた。そしてテーブルの上に用意されていた水差しから二つのグラスにまだ冷たい水を注ぐと、ベッドに腰かけている双子へと差し出す。話に夢中ですっかり喉が乾いていたことに気づかなかった二人は、ありがたくそれで喉を潤した。
二人が一息つくのを待ってから、また椅子へと腰かける。膝へ置いていたタオルは机の上に移動していた。
「当家は信頼を無くしておりますが、お嬢様は街の者達と良好な関係を築いておられます」
「え、そうなのか?」
「はい。お嬢様はその持ち前の素直さと明るさ、そして身軽なお身体で街の者達と交流を重ねているのです。今ではすっかり馴染んでしまわれました」
確かにイオリアの街を歩いていた時のフラットは堂々としていた様に思った。今までの話を聞いていれば、街の中を堂々と歩くことは憚られそうなものだ。
フレアの話では、困っている人がいれば手を貸し、店で忙しくしている商家の幼子と遊び、フレアの食材の買い出しにもついていくという。随分と庶民的なお嬢様だと思ったが、確かにそれが彼女らしいと思えた。フラットは高いところから下を見ているような、そういうイメージが似合わないのだ。
「お嬢様は、責任のある立場の者がそこから逃げている今の現状に、とても心を痛めていらっしゃいます。人一倍責任感の強いお方なのです。私はそんなお嬢様の事を、とても誇りに思っております」
心からそう思っているのだろうということは、その表情で分かる。彼女にしてはとても高揚した様子で、しかしその表情は曇っていった。先程より下がったトーンで話は続いた。
「たとえ街の者達からの信用がなくとも、殆ど街へ帰ってこない当主だとしても、ルカ家という名前はとても魅力的なものです。本家ではないとはいえ、その財産、土地、地位は、今も富裕層から羨望の眼差しを向けられています」
確かに彼女が言うとおりなのだろう。財力の象徴とも言えるこの屋敷は、イオリアのどこから見ても隠れることがないほどに大きく豪奢だ。これで分家というのだから、本家であるルカ家はどれ程の力をもっているというのだろうか。
しかしそれ程の家だからこそ、抱える問題もあるのだ。フレアは膝においた手を組んで、強く握る。
「お嬢様を執拗に追い回しているのはリュネット家の者です。ここ最近商売で失敗をし、没落しかけている商家の富豪です。あの者がお嬢様に迫っているのは、お嬢様との婚姻でーー」
「えっ?! ちょ、待ってくれ、……婚姻?!」
「だ、だって、フラットって俺たちと同じくらいでしょう? あの男の人、うんと年上に見えたけど……」
さほど珍しい話ではないと言われ、りんじゅとこうやはあっけにとられるしかなかった。実際に婚姻を結べるのは成人年齢を過ぎてからだ。おそらく婚約という形になるのだろう。
両親がいない今が好機だと考えているのか、何度も断っているにも関わらず、長いことつけ回されているという。段々と焦れて乱暴になってきた相手が、何をしてくるかわからないため警戒を強めているのだそうだ。
「お嬢様の身を案じる事しか、今私にはできません。どうにか現状を打開したいと思っているのですが……」
切りのいいところでフレアが時計を見ると、すっかり遅い時間になっていた。これはいけないと風呂へ案内される。通されたその風呂もまた広く、二人はすっかり恐縮しながら身体を洗った。
ベッドに入ってから明日は街を回ろうと話して灯りを消す。今日は随分長い一日だった。横になるとどっと疲れを感じる。
すっかり疲れきっていた二人は、羽のように柔らかなベッドによって、すぐさま眠りへと誘われていった。
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