3-2 ひたむきな想い①


 屋敷の中へ通されたりんじゅとこうやは、ここでも口を開けたままキョロキョロと回りを見渡すことになる。

 外装から想像していた通り絢爛豪華なその屋敷内は、隅から隅まできれいに手入れがなされ、眩しいほどの輝きを放っていた。床にはワインレッドの絨毯が敷かれ、靴のままでもその柔らかさを堪能することができる。玄関から入ってまっすぐにある階段の手すりは磨きあげられ、鏡のように通る者を映していた。

 客間だと言って案内された部屋のドアを開けると、まず見えたのはとんでもない大きさの、みるからにフカフカとしているベッドだった。部屋の奥には大きな窓があり、シックな茶色い皮のソファーと、それに合わせて仕立てたのだろうと分かる机が置いてある。

 入り口から室内を覗き込んだ体勢のままこうやが自分の部屋を思い出しているところで、反対側のドアを開けてフラットがりんじゅを呼ぶ。こちらを使うようにと言われてはじめてこの部屋が一人用だと知り、ポカンと開いた口が塞がらなくなる。慌てて同室で良いと伝えると、不思議そうな顔で構わないと言われた。


 荷物を置いてやっと落ち着いたりんじゅとこうやは、フレアに案内されて中庭に通された。二人が部屋のものに感心しながらゆっくりと荷ほどきをしていた間に、用意されていたのは白いティーセットだ。つまむ程度の菓子がそばに用意されている。夕食はこれから準備するので少し待っていてほしいといわれ、どんなものが出てくるのか期待と戸惑いで変な返事になってしまった。

 フレアが席をはずし厨房へと姿を消してからフラットは、内緒話をするようにして「クッキーは食べないで」と二人に告げた。他の料理は他の誰よりも美味しく作り上げるというのに、彼女の作るクッキーだけは美味しくないらしい。本人は自覚がないので、昔からこれだけは直らないのだと言った。

 甘いものに目がないりんじゅが、一緒に用意されているチョコレートを手に取る。口に含んだそれはカカオの香ばしさとミルクの甘さがとても丁度良く溶け合っていて、上品な味わいだった。思わず二つ目に手が伸びる。


「そういえば、フラットを追いかけてたあの人達は一体なんだったの?」


 口をつけた紅茶の苦さに砂糖を溶かしてから、こうやが言う。それを聞き少し気まずそうにしてから、フラットは紅茶へミルクを入れた。くるくるとスプーンでかき回していくうちに、ティーカップの紅茶はマーブル模様から色を変えていく。

 慣れた様子でソーサーにスプーンを置き、ゆっくりと紅茶を味わう間も、フラットは音一つ立てなかった。


「ねえ、イオリアの街をどう思った?」

「え? そうだな……、広くてきれいな街だよね」

「大きい家も多いし商店街も賑わってた。豊かな街なんだなって思ったけど」


 街の人々が楽しそうに行き交っていた広場を思い出す。どこからか音楽が流れ、広場は人で溢れていた。ドーラから大陸を縦断しようとする商人の、大方はこの街を通るのだろう。双子をイオリアまで乗せてくれた夫婦も、ゲルドの事が無かった時は今よりもっと交易が盛んだったのだと話していた。

 二人の話を聞いたフラットは嬉しそうに笑って、「そうでしょう」と言った。誇らしげに。本当にこの街が好きなのだろうと、その声で分かるほどに。しかし次の瞬間には眉をさげ、少し俯いて手元のティーカップを見つめた。揺れる紅茶にそのうかない表情が映っている。


「私の家……キーリタン家はね、もっと内陸にある街の、ルカ家って大きな家系の分家で、この街を治める領家なの」


 フラットの言葉に驚くことはなかった。二人ともこの屋敷へ案内されたときからそうだろうと予想していたからだ。何よりフラット自身が、この屋敷に同じ景色として馴染んでいる。そのしぐさ一つをとっても、良家のお嬢様なのだろうと納得できる。

 だが、そこで生まれる疑問があった。隅から隅まで手入れが行き届いている屋敷内。それでも、まるでここにいる三人と夕食を用意しに行ったフレアだけしか居ないかのごとく、この屋敷は静かなのだ。


「私の両親はね、もう随分とこの街へ帰ってきていない」


 形式上の当主はフラットの父親だが、ルカの血を継ぐキーリタン家の跡継ぎは、フラットの母親の方だった。彼女がこの街を継いだのは結婚をしてからで、当時は未熟ながらもその勤めを果たしていたという。夫婦仲はとても良く、美人でお洒落な彼女は、街の少女達の憧れの的だった。ただ一つ問題があったのは、彼女がひどい悋気持ちだった事だ。


「悋気持ちってなあに?」

「焼きもちやきってことだよ。」


 何個めだか分からないチョコレートを口に頬張りながら、りんじゅは続きを促した。

 どこからか肉の焼ける良い匂いが漂ってくる。もうしばらくすれば、フレアが三人を呼びに来るのだろう。

 フラットは一度紅茶で喉を濡らしてから、小さく頷いた。そして中庭をゆっくりと見渡す。夕焼けに染まった庭はとても静かだ。


「お母様が変わってしまったのは、私を身ごもってからだって聞いたわ。街の政に全く関わろうとしなくなって、いつでもお父様と旅行へ行きたがるようになったって」


 民の声を全く聞かなくなった領主に、街の人々は憤りを感じるようになっていった。温暖な気候のソマリア大陸で異常気象といえる程の大雪が降った時も、そのために商売が回らなくなった時も。彼女は街に対して無関心を貫くようになったのだ。これまでと一変、人が変わったかのようになった領主の事を、街の者達が信用しなくなっていったのは自然なことだろう。

 フラットが生まれてからは一層豪遊にふけるようになり、街にいない事の方が多くなっていった。子供が生まれたという話は隠され、どこかの土地に別宅を建てたらしいという話は、瞬く間に街へ広がっていく。キーリタン家の人間はイオリアを捨てるのだろうと、誰もが思っていた。


「お母様は、私の事がお嫌いなの。お父様を、お母様の地位を、奪ってしまう存在だから」


 フラットは家族関係の事をそこで言い止めた。母親に嫌われていると語った彼女の表情は張り付けたように変化しない。それでも、この短時間で見てきた彼女の瞳や愛嬌は、人に愛されなかった子供のものでは無いように二人は感じた。


 この街をどうやら捨てるつもりらしいと感じたイオリアの人々が選んだのは、領主に頼ることの無い街を作ることだった。自治団を作り、街の民だけで政を行う。元々裕福な土地であったイオリアは、大きな問題も起きずその基礎を固めていった。そして今へと至っている。


「街の人たちはルカ家に期待することを止めたのよ。それ以降、街は活気を取り戻していったわ」


 中庭に吹く風が冷たく感じられるようになってきた頃、フレアが三人の元へやってきた。夕食は広間へ用意したと言うので、彼女の案内で三人とも長い廊下を歩く。先を行くフラットはフレアに夕食のメニューについて尋ねていた。その表情は先程とうって変わって華やかだった。

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