2-1 身を守るということ
広く透き通った春の青空には薄い雲がかかっていた。何も遮ることのなかった船上の空を過ぎれば、海の先にいくつかの建物が見えてくる。ソマリア大陸の最南端に位置する港町、ドーラだ。決して大きくは無いが、各地から船が訪れ賑わいの冷めることがない、活気に満ちた港である。
故郷のハム・サドゥ島を旅立った双子の兄弟りんじゅとこうやは、半日の船旅を終えてこの港へ降り立っていた。島とは違い、色々な船が、物が、人が集まる港町。見るもの全てが真新しくて、先ほどからこうやの目はあちらこちらと忙しく動いている。その隣の兄の方は、青い顔をしてしゃがみこんでいた。手には先ほど乗ってきた船の船長からもらった水が、小さい紙コップに入っている。
「まさかりんじゅが船に弱いとは思わなかったや」
「俺だって初めて知ったよ……」
長く船に乗る事すらはじめての体験だった。不安定な波の揺れは、りんじゅの三半規管を大きく刺激するものらしい。下船した船が荷を下ろし、再び海原へ戻っていくのを見送って、ようやく不調だった気分が落ちついてきたところだ。
その間、海鳥が高く飛んでいくのを眺めたり漁師の男たちに話を聞いていたこうやは、側にあった雑貨屋から地図を買って帰ってきていた。広げたそれには双子が今降り立ったソマリア大陸が大きく描かれている。
ソマリア大陸は世界地図を広げたとき、いつも東側で縦に長く描かれる大陸だ。年間を通して比較的温暖で、その東側は山が連なっているが他の大陸に比べると平野が広い。
大きく分けると世界は三大陸に分かれている。東西に長く広がり北に乾燥地帯を持つユーヴェリア大陸、雪山を抱えて西に広く伸びるブルゼア大陸があり、地図の真ん中に広がる中央海には大小様々な離島が散らばっている。双子の住んでいたハム・サドゥ島もその中の一つだった。
地図を見ると、このソマリア大陸にも様々な街や村があるようだ。このドーラ港から一番近い街を探すと、最初にこうやの目に止まったのはイオリアという街だった。この港町を出て真っ直ぐ進むと東側に見えてくるらしい。森を背にした、大きそうな街だ。
「この、イオリアって街を目指すのが良さそうだよ。広くて商業も盛んな街なんだって。歩いてどのくらいかかるのかな。」
今まで地図など必要としない生活を送っていた二人だ。自分達の故郷がこんなにも小さく描かれているということは、それ以上に大陸が広いということなのだと、その程度しか理解できていないこうやに街間の距離を計ることはできないだろう。
地図を渡されたりんじゅがそれに目を落とす。見ると、ドーラとイオリアはさほど離れているわけでは無さそうであった。父親が残した資料などをよく眺めていたりんじゅは、こうやよりも少し目がある。かかっても二日といったところだろうと返して、手元の水を飲み干した。
「イオリアまで歩いて行くって?いやいや、やめた方が身のためだよ。途中にある岩場の辺りに、最近魔物が住み着いててね」
出発の前に準備をしようと食料品を扱う店に入り、会計を済ませたところで妙齢の女店主が二人に声をかけた。旅荷物を抱えた子供達が保存食を買っていくのに興味を持ったらしい。りんじゅがイオリアまで行くつもりだがどれくらいかかるのかと訪ねると、大きな体を反らして驚いた様子の店主が言ったのだ。
話によると、冬が終わり暖かくなるこの時期から、その地域には狼の様な姿をした魔物が群れをなしているらしい。今は出産後の時期にあたるので、特に気が立っているようだ。狼とは違い見境なく人を襲うため、ドーラから出発する者達は、飼育されている獣の足を利用したヴォール車、もしくは馬車を利用するか、5日程かけて海沿いを遠回りしながらイオリアへ向かうのだと言う。
「狼ならもっと森で出産するのにね。」と言ったこうやに笑いながら、「あいつらは魔物だよ?」と壁の張り紙を指した。そこには狼の様な絵とゲルドと言う名前が書いてあり、その説明書きと共に大きく注意を促す文字があった。
魔物とは俗に、より狂暴で人を襲う生き物を指すことが多い。大半は動物と呼べる様をしているが、極端に体が大きいものや異常なほど発達した身体的特徴を持つもの、もしくは意思があるかのように動く植物なども存在し、その生体は様々である。
店主は親切なことに店へ出入りする商人へ行き先を確認してくれたが、誰もが到着したばかりで今日明日に出発する者はいなかった。これから旅立つという二人は手持ちの路銀も多くは無く、節約していきたいというのが心情だ。車を使う贅沢は今のところ避けたい。
店主に礼をいって店を後にした二人は、とりあえず街の出入り口にあるドーラ周辺が描かれた大きな地図の前に来ていた。
「どうにか出発できないかな。どうせこれら先、魔物だって退治できるようにならなきゃいけないんだし」
「その意見には賛成だけど、無理していいって訳じゃないだろ? わざわざ危険だって分かってるとこに、無理に突っ込んでいく必要はねーよ」
明日の朝まで待ち、あてがなければ海沿いを行こうと二人は結論を出した。今は昼も過ぎてもうすぐ夕方になる頃合いだ。海沿いは絶対に魔物が出ないというわけでは無いし、夜は危険が増す。港町であるドーラには素泊まり用の安宿もあるため、今夜はそこへ身を落ち着けることにしようという話になった。
「くそ、これだから傭兵は信用ならないんだ!」
そう話している所で突然聞こえたのは男性の焦った様な声だ。声のする方へ振り返ると、三十代くらいのガタイがいい男性が、荷車の前で頭を抱えていた。そばの荷車は商品をたくさん積んで少し傾いている。前で繋がれているのは二匹の馬だ。
側へ寄って何事かと話を聞くと、道中の護衛を頼んでいた傭兵が、他の者の誘いに乗って先に出発してしまったらしい。確かに岩場を少し逸れて馬車で駆け抜ければ安全だろうと、契約した金額も安かったのだという。護衛が無くとも大丈夫かと思ったが、念のためにと思って雇ったそうだ。
契約金はまだ全額支払っていないらしく、持ち逃げされたのは前金だけのようだが、してやられたと苦虫を潰した様な顔をした。
「ちなみに、目的地はどこなんですか?」
「イオリアだよ。ロテ島の民芸品を売りに行くんだ」
ロテ島とはハム・サドゥ島のように中央海に浮かぶ島の一つだ。決して大きくはない島だが、独特の文化が根付いており、その民芸品は世界中で愛されているという。
男性の口から聞こえた街の名前に顔を見合わせた双子は、同じタイミングで「あの!」と大きな声を出した。その声に顔を上げた男性は、若干鬱陶しそうな顔をして二人へ向く。
「その護衛、俺たちにさせてもらえませんか?」
「え、君たちに? 悪いが遊びじゃないんだぞ」
「わかってるよ。俺たちだって遊びじゃないんだ」
武器も持っていると言って真剣な顔をする少年二人に、商人の男は困った顔をした。短く生え揃った頭をガリガリとかいている。
確かに護衛は無くてもいいかと思っていたが、かといって役に立たない子供を雇うつもりなど無い。しかも話を聞くと、今朝方故郷を旅立ったばかりという話だ。
やる気だけはありそうな二人に、今度は頭を悩ませながらなんと言って断るか考えているところで、突然女性の声が聞こえてきた。馬車の中からしたそれに双子が振り返ると、柔らかな笑みを湛えた女性が、長い金髪と白い顔を出していた。
「良いではありませんか、どうせ最初は要らないと言っていたのですし。この子達に頼みましょう?」
「しかしだな、サラ」
「誰しも一番最初は初心者。経験を積ませてあげるのが大事なのではありませんか?」
「ねえ?」と双子に声をかけながら、サラと呼ばれた女性は笑っている。この男性も彼女には強く言えないのか、少し迷った風にしてから仕方ないと小さくため息をついた。その言葉に胸を高揚させた二人は、大きな声でお礼を言って目を輝かせる。その二人のそっくりな仕草に表情を柔らかくした男性は、腰にてを当てて「よろしく頼むよ」と言った。
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