1-2 旅立ち


 ガッシャーンと食器が割れる大きな音がリビングに響いた。

 今粉々になった皿をさっきまで持っていたはやなは、その体制のまま信じられない、というような表情で固まっている。

 彼女の前には年の離れた弟達がいた。ずいぶん前になってしまった記憶の中の父親に、よく似た目をしていると思った。


「旅に出る、ですって?」

「そう。止めても無駄だぜ。決めたんだ。ずっと考えてた」


 はやなも二人が旅に憧れていたのは知っていた。いつか言い出すのだろうとも思っていた。

 しかし二人はまだ十二歳の子供だ。早すぎると、そう思うのも自然だろう。まだまだ心配なことばかりの弟達だ。


「ダメよ! まだあなた達、十二歳よ? 島の外は危険なことばかりなんだって」

「わかってるさ。俺たちだってそこまでガキじゃないんだ。でも、今は今しかないんだよ!」


 普段あまり反抗などしない二人だ。りんじゅの強い意志に、はやなは何も言えなくなる。

 しかしすぐ認めるにはまだ、心配が大きかった。不安が胸を膨らませていき、言葉が詰まってうまく声にならない。


「姉さんがなんと言おうと、俺達は行くぜ。」


 はやなが戸惑っている間にそう言い捨て、りんじゅは玄関を出て行った。引き止めようと呼んだ名前は届いていないのだろう。

 ずっと兄の隣りで静かにしていたこうやは、りんじゅの出て行った先から姉へと視線を戻した。


「姉さんが心配してくれてるのは、わかってる。でもきっと、ここにずっといるのはダメなんだ。俺は俺の目で、世界を見て、たくさんのことを知りたい」


「だから……ごめん」と言い残し、こうやもまたりんじゅの後を追った。おそらく行き先は彼らが兄のように慕う友人のところなのだろう。


 静かになってしまった家の中、一つ長いため息を静かについたはやなは足元の割れた皿を掃除することにした。カチャリ、カチャリと、陶器が触れて小さな音がする。

 ふと顔をあげると一つの写真立てが目に入った。その中の写真には懐かしい顔が並んで笑っている。


「これが母さんの占いに出た『旅立ち』ってやつなのかしら。」


 集めた破片を片付け、席について頬杖をつく。また一つため息が出た。


 三人の母親は力の強い占い師だった。その母親が双子を占った結果の中に、どちらも「旅立ち」という言葉が入っていたのだと聞いたのはいつの事だっただろう。その時がきたら背を押してほしいと、母が柔らかく笑ったのをはやなは鮮明に覚えていた。

 もう一つ、長いため息が部屋に落とされた。





「姉さんの心配もわかってる。けど、これは譲れないんだ」


 はやなの読み通り、りんじゅは兄弟のように親しくしている幼馴染みのシューゴのところに来ていた。一緒に住んでいる従姉妹は少し出かけているらしい。

 金色の髪に穏やかな茶色い目をしたシューゴは、双子より2歳年上の面倒見のいい少年だ。



「俺だって心配だよ。なんせ外は何があるかわからない。死ぬ心配だって……ある。でも、それでも、踏み切らないといけない時ってあると思う」

「うん。りんじゅはこの事、随分考えてたからね。安易に決めた事じゃないっていうのは僕が良く分かってるよ」


 後から入ってきたこうやはどうやらりんじゅを追ってきたらしい。二人を見てシューゴはふわりと微笑み、その二つの頭をゆっくりと撫でた。


「二人一緒ならきっと大丈夫。そう思うよ。はやなさんの結婚式には帰ってこれるといいね」

「それが問題だよね。姉さんから連絡もらっても、着くまでどれだけかかるかな」

「うん……。ま、そこはなんとかするさ」


 不安を抱えつつも前に進もうとする双子に、シューゴは目を細めた。


 二人がどれだけ旅に憧れていたか。

 りんじゅがそれを現実として考えどれだけ悩んでいたか。

 こうやが一歩踏み出したいとどれだけ思っていたか。


 それが分かるから、二人を応援したい気持ちは誰よりも強い。


「気をつけてね。たまには帰ってくるんだよ?」


 だから自分は二人を笑顔で送ってあげようと、シューゴはもう一度色の違う二つの頭を撫でた。





 旅立ちを決めた次の日。まだ漁師達しか起きていないであろう時間に起きた二人は、ゆっくりと静かに準備を始めていた。

 二人の部屋は隣りあっており、間の壁には二つの部屋を繋ぐドアがついている。それを開け放ち、互いの部屋を行き来しながら持ち物を準備していた。旅に必要なものはりんじゅが事前に用意していたので、今はそれをリュックに詰めていくだけだ。


「姉さん、大丈夫かな。怒ってるかな」

「怒ってはいないだろうけど、……黙って出てくのは気が引けるよな」


 あの後二人が帰った時、はやなは家にはいなかった。冷蔵庫二用意されていた夕飯を食べ、寝る時間になってもまだ帰ってこなかった。

 そのまま顔を合わせることなく朝を迎えることになったのだ。


「りんじゅ、こうや」


 ふと、ドアの向こうからの声に顔を合わせる。まさかこんな時間に起きているとは思っていなかった。

 手元の荷物をそのままにしてドアを開けると、リビングの椅子に座るはやながいた。机の上には麻袋が2つ置いてある。

 二人が席に着くと、伏せていた目を開けてはやなは真っ直ぐ二人を見た。


「二人の気持ちは良く分かったわ。私の心配で二人の可能性を摘むような事はしたくないの。だから、……いってらっしゃい。……ただし」


 一呼吸置いて、微笑む。


「必ず、無事に帰ってくる事。たまには手紙くらいだしなさいね」


 そう言うはやなの目が潤んでいるのはきっと気のせいではないのだろう。大切な弟を自分の目のない所へ送り出すのがどれだけ心配なことか。

 双子ははっきりとした声で返事をした。感謝の気持ちは忘れるはずもない。


 持って行きなさい、と差し出された麻袋を開ける。そこには旅で役に立ちそうな物と少しのお金、そして一緒に各々別の武器が入っていた。筒のようなものと、銃だ。


「二人に父さんが残したものよ」


 彼もまた二人の旅立ちを予感していたのだろう、子供達の父親は勘の強い男だった。


「使い方は中に紙が入っているはずだから、それで確認しなさい。こうやの銃は家の裏にある木の実が弾になっているらしいから、忘れず持っていくのよ?」

「え、木の実が弾なの?」

「それ、玩具じゃないだろうな……」


 見た目は玩具と言われても仕方ないようなものだった。武器と言うにはシンプルすぎて、使い方を知らないとなにもできないのだろう。2つとも共通なのは、羽根のマークがついているというとこだけか。

 しかし冒険家だった父親は武器のコレクターでもあったのだ。不思議な武器を持っていても納得である。


「いい? 玩具に見えてもそれは人を殺める事ができるものなの。使い方を間違えたりしないようにね」


 それに強く頷いた二人は、互いに顔を見合わせた。


 新しい世界に踏み出すという高揚感。何が起こるかわからない不安。

 お互いに、それらが入り混じったような目をしている。


 一瞬震えそうになった足を踏みしめ、二人は椅子から立ち上がる。春のあたたかな太陽はもうすっかり顔をだして海を照らしていた。


「それじゃあ、いってきます。姉さん」

「姉さんも、体には気をつけてね」

「ええ。二人とも、いってらっしゃい」


 島から出なければ知らないで良かった辛さや悲しみもあるだろう。

 しかしそれすら吸収して、学んで、成長していく事ができる。子供は可能性の塊だ。


 たくさんの出会い。

 色々な感情。

 経験。

 それらは全て、何よりかけがえのない宝になる。


「行くか」

「うん」


 二人はこうして、新しい世界へと踏み出したのだった。



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