第5話

「グロノーツ、あなた……自分が何をしているのか、わかっているのですか?」

 リィンはグロノーツにナイフを突きつけられながら歩きつつ、何とか説得を試みようとしていた。だが、彼女の言葉は届かない。

「リィン陛下……いや、お前のような小娘に話すことはないぞ。それとも誰かが助けに来ると思って時間稼ぎかな? なら無駄というもの。他の奴らは全員先に逃げているからのう」

「そう、なのですか? どうして……」

「私がそう命じたからだよ。女王陛下には別の道から先に逃げてもらった……そう伝えたのさ。まさか、あの男が残っているとは思わなかったがな」

 グロノーツの話を聞き、リィンは大きく息を吐いた。安堵したからである。

 だが、グロノーツは諦めのため息だと感じたのだろう。ニヤリと笑って口を開く。

「恨むのなら、あの男を恨むのだな。お前を追い出すだけで片がつくはずだったが、そうもいかなくなった。私は……この国を手土産にして、ローデリアに帰るのだ!」

「帰る……? あなた、ローデリアの人間だったのですか!?」

「そうさ! ローデリアとリルムウッドの友好のために派遣されたに過ぎん! あわよくば国を乗っ取るためにな! だが、それももう意味がないっ! エーテルが尽き果てるなら、国を得ることなど意味などないのだ!」

 ギギギギィィィィ!!

 大きな扉が開く。

 グロノーツとリィンが訪れた部屋は、真っ赤に染め上げられていた。部屋の中央に、煌々と紅の明かりを放ち続ける巨大なミスリルが置かれていたからだ。

 金属製の機械で取り囲まれた巨大ミスリルは、人間の身長の三倍以上の高さがある。厚みのある板状で、下半分に重心が偏った六角形。表面には、読み取ることが難しい言語やら計算式やらが刻み込まれていた。

「ミスリルの制御室に……一体何の用があるのですか!」

「フッフッフ、お前にはな……この国が滅ぶ責任を取ってもらうのさ」

「なん、ですって?」

 グロノーツは巨大ミスリルに近づくと、手に持っていたナイフを突き立てる。

 ガキィィィンンッッ!

「あなたは、何をして……」

「なぁに、簡単のことだよ。これで、リルムウッドは世界の敵となるのさ」

 リィンは何が起きているのか、まったくわからなかった。

 それまで赤い光を放っていた巨大ミスリルから、紫色の光が溢れてきたからだ。そして色合いはさらに変化し、次第に碧へと……。

「どうして? ミスリルが碧く……エーテルの濃度が上がっている?」

「その通りだ! 今、このミスリルは最大の力で周囲のエーテルを吸収している! おかげで、この部屋の中だけはエーテルで満ち満ちているのだ! かき集めたエーテルのおかげでな!!」

 ダッダッダッダッ!!

 ようやくマーカスが駆けつけた。だが、碧く輝く巨大ミスリルを前に、状況をすぐに飲み込んだ。

「くそジジイがっ! やりやがったな!!」

 マーカスはすぐさま、飛びかかった。何とか逃げようとするグロノーツだが、簡単に追いつかれる。

「ま、待て! た、助けてやるぞっ! 逃げ回る必要がないようにしてやる! ローデリアには伝手があるのだ。私なら、お前の人生を変えてやれる!! どうだ? 悪い話じゃ……ぐべぁ!」

 容赦なく拳を叩き込む。相手が老人だといことを忘れているのか、気にも留めていないのか……十を越えるパンチをお見舞いするマーカス。

「ま……待ってください! それ以上は死んでしまいます!」

「ああ!? お前はまた……いや、それどころじゃないか……今は」

 マーカスは馬乗りになっていたグロノーツから離れる。リィンはホッとした表情を浮かべた。だが、マーカスの顔は暗いままである。

「ミスリルが暴走してる……このままだと、ここらのエーテルは全部吸い込んじまうぞ」

「止める方法は……ないのですか?」

「ある。方法は二つだ。一つはミスリルが完全に満ちること。だか、この大きさのミスリルじゃ、どれだけのエーテルを吸っちまうかわからねぇ。下手すりゃ、隣の国や大陸全体に影響が出ちまうぞ」

「そ、そんなことになったら……リルムウッドはどのような責めを受けることになるか!」

「くそジジイは、それを狙ったんだろうな。ローデリアがリルムウッドを攻めても、どこからも非難されなくなる。加えて、エーテルに満ちたミスリルまで手に入る……」

 マーカスは憎々しげに顔の潰れた老人のほうを見た。体をピクピクとさせるだけで、起き上がる気配はない。

「もう一つの方法は? それはどういうものなのでしょうか?」

 リィンが尋ねる。期待に満ちた瞳を目にして、マーカスは口にしようとする言葉が、鉛のように重たくなるのを感じた。だが、口を噤むわけにもいかない。

「……このミスリルを砕くんだよ。粉々にな」

「え?」

「ミスリルっていうのは、起動させるのに呪文が必要だ。人の手を介さないで動かす場合、表面に刻んでおく。あのジジイはそれをめちゃくちゃに書き換えやがった。おかげで、エーテルだけをひたすら吸い込む状態になったんだ。だから、ミスリル自体を砕いちまえば、暴走は止まる」

「なら、今すぐにでも……マーカス様?」

 希望を得たと思ったリィンだったが、マーカスの身体が震えているのに気づいた。

「もし……コイツを砕けば、ローデリアは二度とミスリルを貸さない。ただでさえ、奴らの軍を潰してるんだ。魔法の恩恵を受けることができず、ひどく貧しい国になるしかない」

 リィンの目から、輝きが消えていくのが見えた。マーカスは、突きつけた事実の鋭さが、恨めしく感じる。だが、これでようやく、全てを終えることができる。

「逃げればいいんだよ」

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