第9話
「勝てるわけねぇだろうが! こんな……エーテルもねぇ、ドラゴンがいるわけでもねぇ! まともに魔法が使えない状況で、お前が俺に、敵うわけないだろ! そんなこと……そんなこと、わかってたはずだろっ!」
「そうね……確かに、それはそうだわ」
ギリィっと歯噛みするマーカス。ミーシャが表情を変えずにいることが、余計に腹立たしくなった。
「それだけじゃねぇ! なんだあの腑抜けた兵士どもは! 練度がまるで足りてねぇ! 魔道士の一人も入っちゃいねぇ! あんなもんで、何ができると思ったんだ!?」
「そうね。あれは単なる張りぼてだわ。威圧になれば充分だったのよ」
「お前……どうして、俺がここにいること……奴らに報告しなかった?」
もしマーカス=フェルドミラーが、『竜殺し』がいると知っていれば、本格的な軍隊を動かしたはず。
だから、マーカスには確信があったのだ。自分の存在が秘密にされていることに。
「そうね。言っていればきっと、鉄騎でも蒼海でも紅蓮でも、動かすことはできたでしょうね」
「だったら!」
「どうして……私がアンタを売れると思うのよっっ!」
マーカスの顔が強張った。ほぼ同時に、ポタリと額に冷たい感覚を覚える。
「アンタ言ったじゃない! 私達には……私とステラとガーラムには、嘘なんか吐かないって! なら、なんで? なんで私が同じ気持ちだって思わないのよ! 私は、あなたを裏切りたくなんてないのに!」
「……お前は、エルメロードを継いだんだろ! ローデリアの手先になったんだろうが!」
「ステラ姉さんを忘れないためよっ!」
「……っ!」
もう、雨が強くなっていた。
だから、ミーシャが顔を上げたとき、彼女の顔はぐしゃぐしゃに濡れている。マーカスは、かつて見たのと同じ少女の姿に、思わず言葉に詰まる。
「姉さんが継ぐはずだった名前なの! 私は、ずっとあんな風になりたかったのに……どうして私じゃなかったの? どうして私じゃなくて姉さんが死んじゃったのよ!」
「お前……ずっと、そんな風に思ってたのか?」
「だからっ! 私が代わりにって……なのに、今度はあなたなの? 私は……何を守ればいい? 大切な人を忘れたくない……大事な人を失いたくないっ! どちらか一つなんて……選べるわけないじゃないっ!!」
ザーザーと、雨の音だけしか聞こえない。
マーカスは掲げた剣を下ろすこともなく、ただ立ち尽くしている。リィンもカッツェも、何も言えないまま見ていることしかできない。
「ねぇ、マーカス。私達はどうして……いつから、こんな風になっちゃったのかな?」
うなだれ、下を向いたまま、ミーシャは小さな声を呟いた。
「俺達は、最初からこんな感じだろ? 仕方ねぇ……仕方ねぇのさ。何もかもな」
ぐっと柄を握り込む。リィンは、マーカスが何をしようとしているのか、すぐに感じ取った。
「ダメですっ! いけません、マーカス様!!」
リィンはマーカスに飛びついた。しがみつき、必死で止めようとする。
「この方は、あなたの仲間ではありませんかっ! どうして、こんな……!」
「邪魔するなっ!! こいつはもう、行くも戻るもできねぇんだよ! なら! せめて俺がケリをつけてやる!」
「そんなのおかしいです! 大切な人を殺めて、一体何になるんですか!」
揉み合いになる二人を見て、カッツェはハッとする。すぐにマーカスの前に立ちはだかった。
「何がなんだかわからねぇが、アンタがしようとしてることは間違ってるぜ! 仲間ってのは、そんな簡単に切り捨てられるもんじゃねぇだろっ!」
「んなことはわかってんだよ! それでもなぁ、俺もミーシャも……俺らには選べる道なんてねぇんだっ! 仕方ねぇんだ! だから……ぐぅっ!!?」
マーカスの手から剣が落ちる。同時に、膝から崩れ落ち、そのまま倒れ込んだ。しがみついていたリィンを巻き込まれ、横倒しになる。
気づいた時、リィンはマーカスの胸の上に頭を置いていた。恥ずかしさのあまり慌てて、すぐさま体を起こす。
「す、すすすすみません! マーカス様がいきなり倒れるものですから、つい……マーカス様?」
混乱した頭がすぐに冷えたのは、体を濡らす雨のせいなのか……マーカスの威厳を察するリィン。
左腕を押さえたまま、起き上がろうとしない。むしろ痛みをこらえるように、体を丸くしていく。
「おいおい……今度は一体なんだよっ! 大丈夫か! おいっ!」
カッツェが呼びかける。だが、反応はなく、歯を食いしばるばかりだ。
「う……うああああぁぁぁぁ!!」
呻き声が上がる。それを聞いて、ミーシャはようやく目の前の状況に反応した。
「マー……カス? なに? ちょっと、マーカス! 一体どうしたの!?」
駆け寄ってきたミーシャは、カッツェを押しのけて、マーカスに近寄る。
「先ほどから、ずっと左腕を押さえたままなのです」
「左腕……? 竜王を倒した時の古傷が? まさか、私と戦ってる間に開いて!」
ミーシャはすぐに、マーカスが左腕についていた黒い手袋を外した。腕の付け根まで覆う黒い布を取り去る。だが、その場にいた全員が言葉を失った。
「なに……これ?」
そこには、『黒』があった。
人の腕の形をした黒。形があるといっても、深淵の縁が腕としてのラインを象っているだけ。内側には、あらゆる色を塗りつぶすような漆黒だけがある。
「こんなの……いつから? どうしてこんな!」
「見られ……ちまったか」
マーカスの声に、三人が一斉に反応する。痛みに顔を歪ませながら、ゆっくりと口を開いた彼に、ミーシャは問いかける。
「まさか……ずっとこうだったの? 竜王を倒してから、ずっと!」
「少し違うな……竜王を倒してからじゃねぇよ。その直前だ。こいつはな、竜王から受けた呪いなのさ……ヤツを殺すには、どうしても必要だったんだ」
「そんなこと……一言だって、言わなかったじゃない!」
ミーシャがマーカスの胸を叩く。だが、マーカスは彼女の頭をゆっくりと撫でた。
「言うほどのことじゃねぇよ。ちぃっと痛いが、我慢はできるさ。今回は少しキツいのが来ただけで……いつもはここまでじゃねぇんだ」
「なんでよ! アナタがここまでする必要ないじゃないっ! 私、悔しいよ。マーカスもステラ姉さんも! どうして私達ばっかり、こんな目に遭わないといけないの!」
「……仕方ねぇさ。そう生まれついて、そう生きるしかねぇ。まったく……人間なんて、ロクなもんじゃねぇ……よ」
マーカスはゆっくりと目を閉じる。薄れていく意識の中で、彼は自分の名前を呼ぶ声を聞いていた。
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