第4話

 三日後、マーカスはリルムウッドの城に向かって歩いていた。

 カッツェからの頼まれ事があり、すぐに城へ向かったものの、どういうわけか追い返されてしまった。日を改めて訪ねてみても、やはり城に入れてもらえないままを繰り返すこと三日。マーカスの苛立ちも限界を迎えていた。

「どういうつもりか知らないが、今日もダメなら強行突破してやる」

 心を決めて城を訪ねたマーカスだったが、この日はすんなりと城内へと通される。若干、拍子抜けするものの、取り敢えず用事を済ますことができると安心したマーカス。

「貴様……今さら何しにきたんだ?」

 出迎えたのはサヤだった。謁見の前に続く廊下の途中で、仁王立ちで待っていた。

「面倒なのが出てきたな……」

「聞こえているぞ?」

「聞こえるように言ったんだよ」

 睨み合う二人。

 だが、サヤの後ろにもう一人隠れていることに気づくと、マーカスはそちらに声をかけた。

「よう、赤髪メイド。お姫さんに会いたいんだが、案内してくれるか?」

「え? えっと、リィン様は今……」

 シエラがマーカスの問いかけに応じようとしたとき、サヤは腕を少しだけ上げて遮った。

「リィン様は貴様と面会などしない。さっさと宿に戻れ」

「そうかい。なら、お姫さん自身から言ってもらわないとな。俺は、あいつに請われて留まってるんだぜ? それが筋ってもんだろうが」

 だが、サヤは道を空けない。まっすぐにマーカスを睨みつけ、視線の向こうへと指を向ける。

「すぐに出て行け。でなければ、貴様を……」

「ま、待ってください!」

 シエラが叫ぶ。すぐさまサヤが振り向き、首を横に振った。だが、シエラは口を閉ざすことをしなかった。

「リィン様は……城にはいらっしゃいません!」

「あん? ここにいないって……どこに行ったんだよ」

 想定外の答えを聞き、マーカスは戸惑った。

 たしかに、リィンには、あちらこちらへ出かける質があった。これまでの行動から、マーカスも承知している。だが、今の状況で勝手に出歩くというのは、流石に不自然だった。

「……おいっ! もしかして!」

「そうだ。リィン様はローデリアの召喚に応じたんだ」

 マーカスの顔が歪む。サヤもまた、苦々しい表情を浮かべてみせた。冷たい視線をマーカスに向けたまま。

「全ては……すべては貴様の責任だぞ? 余計な話をリィン様に聞かせたからだ! あのような秘密……知れば害になるとは思わなかったのかっ! 短慮で軽薄で粗野な男が! 貴様さえいなければ、リィン様はっ!!」

「バッカヤロウがぁッッ!!」

 マーカスが怒鳴る。サヤの罵声に応じたわけではない。やり場のない憤りを言葉として発しただけだった。

「どこまで鈍いんだ、あのバカ姫はっ! ローデリアに行く? そんなもん、死ににいくだけだろうが!」

「なに? どういう意味だ? まさか、他国の女王を殺すなど……あるわけがないだろう」

 マーカスの言葉に、サヤが反論する。だが、声に力はなく、考えが追いついていないという様子だ。

「俺が何のために本当のことを話したと思う? 全部手遅れだって教えてやるためだよ。お姫さまがやってきたことも、これからやろうとしてることも、全部ムダだってな!」

「ふ、ふざけるな! あの方は……リィン様はなっ! この国を守るために、ずっと……」

 サヤはマーカスの首元へと掴みかかる。マーカスはすぐに相手の腕を掴み返した。

 以前の記憶が蘇り、サヤは身構える。しかし、マーカスはそのまま動かなかった。代わりにゆっくりと口を開く。

「俺は竜王を殺した。ドラゴンを生み出す者はもういないんだ。どれだけ耐えようと、忍ぼうと! エーテルに満ちた世界は戻ってこないんだよっ! いいか、エーテルはいずれ枯渇する。ローデリアはずっと、それを秘密にしてきたんだ! どういう意味かわかるか!」

 掴んだサヤの腕に力を込め、自分の体がゆっくりと離していくマーカス。すると、サヤの目には、怒りと憎しみに満ちた男の顔が映っていく。

「奴らは残りのエーテルを独占する気なんだよ! 他の連中には『魔法を使うな』って言いながら、自分達だけ贅沢三昧を続ける……それが連中の考えだ! 何も変わってねぇ! 奴らにとっちゃ、てめぇら以外のもんは虫けら以下なんだよ!」

「……っ! なら、ならリィン様は……リィン様はどうなる?」

「邪魔者は消す……それが常套手段だ。俺のときと同じさ」

 サヤの顔からは一気に血の気が引いていく。足に力が入らず、そのまま崩れ落ちる。かろうじて、マーカスが腕を掴んでいたため、転ばずに済んだ。驚いたシエラがすぐに駆け寄ってきた。

「サヤ様! あの……私達はどうすれば」

「……お前の、おまえのせいだ」

 ボソリと呟く声。あまりにも低い音だったため、シエラは聞き間違いかと思った。だが……

「お前のせいだぞ、マーカス=フェルドミラーッ!! 全部……お前が現れたせいで!!」

「ま、待って! 待ってください、サヤ様っ!!」

 急に立ち上がったサヤは、マーカスに向かって拳を振り上げる。シエラはすぐにしがみつき止めようとするが、如何せん体格に差がありすぎた。

「うわああああァァァァァァっっ!!」

 バシンッッ!!

 サヤの拳が叩きつけられる。ジワリと血が滲む。

「俺を……殴りたいんじゃないのか?」

 サヤが拳をぶつけたのは、マーカスではなかった。握った拳を石床へと振り下ろしたのだ。おかげで右手は砕け、血を流している。

「これは……私のせいだっ! 貴様は……関係ない!」

 マーカスは目を見開く。サヤは血を流す自分の手を見つめていた。

「リィン様にとって、理由も原因も関係ない……リルムウッドのためになるのなら、喜んでその身を捧げられるわ。それが女王の……責務だから」

「……年端もいかねぇ女に、どんだけ重いもん背負わせてやがるんだ!! お前らがそんな風に持ち上げるから!!」

「何も知らないヤツが偉そうなことを言うな!!」

 サヤは叫ぶ。だが、さっきまでの怒声とは違い、どこか悲しい響きが混じっていた。

「リィン様は……幼くして父上を亡くされてから、ずっとこの国を背負ってきたわ。ご自分が無知だと……無力だと知っていたから、手に入る限りの書に目を通して、寝る間も惜しんで……どんなに辛くても『これが自分の務めだ』と……笑って……どうして! どうして私は、あの方を止められなかったのっ! 命さえ、危険だと……気づいていた、はず……なのにっ」

 ポタポタと雫が落ちる。床を赤く染めるものと、その赤を薄めるものが交互に落ちる。

 マーカスの胸には、二つの感情が湧き上がった。一つは苛立ち。目の前の現実に足を折る人間への、激しい怒りである。

 だが、もう一方の気持ちは、何なのかわからなかった。息苦しくなるような、これまでに味わったことのない感覚。知らないはずの感情だったが、マーカスはそちらにこそ、強く心を動かされる。

 だから、くるりと踵を返すことにした。立ち去ろうとするマーカスの姿に、シエラが問いかける。

「ど、どこに行かれるのですか?」

 マーカスは足を止めることなく、鬱陶しそうにこう言った。

「猫の手でも借りにいくのさ」

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