第5話

 怒号と悲鳴が上がる。真っ黒な巨躯と血で染めたような紅い瞳。比べるもののない異様な姿は、あらゆる人間に恐怖を与える。突如として空から降りてきた怪物に、我先にと逃げようとする人もいれば、我が子の名前を呼び続ける母親の姿もあった。

 だが、不思議なことに、命を落とした者はいなかった。

 市場のど真ん中を占拠するドラゴンの前に、立ち塞がる者がいたからだ。剣を抜き、構える男は、額からツーっと脂汗をかく。四年ぶりに対峙する黒のバケモノは、相変わらず恐ろしかったからだ。

「何やってんだ、カッツェ!! 俺らも逃げようぜっ!!」

 仲間達が呼びかけてくる。だが、カッツェは剣を収めようとはしない。ジッとドラゴンの目を睨みつける。すると、そこには赤く染まった自分の姿が見えた。

「ったく、不吉だよな。まるで自分が血まみれになってるみたいだぜ」

 呟いた時、仲間の一人が駆け寄ってきて彼の腕を掴んだ。

「逃げるぞ! ドラゴンと戦うなんて無理だよっ! 逃げよう、リーダー!!」

「ダメだ!!」

 カッツェは腕を引っ張ろうとした仲間を突き飛ばす。よろめきながら、後ろに下がる相手を見ることはない。そんな余裕は今、カッツェにはない。

「逃げてぇヤツはさっさと逃げろ。だが、俺は逃げねぇ……もう、散々逃げてきたんだ。俺らを用済みだと言った連中から、きたねぇって笑う奴らから! これ以上、どこに逃げるってんだ!!」

 カッツェは駆け出すと同時に、剣を脇に構え直す。狙いすましたように襲ってくる鉤爪。それを剣で捌き、逆にドラゴンの腕へと一撃を叩き込む。だが、表皮を薄く斬る程度がせいぜいである。

「くそっ! こんなことなら、手入れくらいしとくんだったぜ!」

 今度は上から、大口を開けたドラゴンの頭が襲いかかる。体を牙に貫かれそうになる直前、カッツェは後ろに大きくジャンプをし、クルリと一回転しながら着地をした。

「左右に展開しろ! わかってるな、狙うのは翼だ!! 飛ばれたら相手にならねぇ! 気合入れろ!!」

 背後で声がした。カッツェの腹心――レギエスが指示を出していた。すると、カッツェの仲間が数人、ドラゴンを挟むように陣形をつくる。

「残ったのは十人ちょい……半分ってとこか。人望ってもんがねぇな、俺は。いや、上出来かもな」

 仲間たちがドラゴンの翼に攻撃を集中させる。隙を見て、カッツェは正面から切り込むが反撃が激しい。まともに近づくことができない。

「カッツェ! 俺らには、こいつを倒すことはできない!! しばらく時間を稼いだら、撤退するぞ!」

「何言ってんだ! 逃げねぇって言ってるだろうが!」

「バカヤロウ! ドラゴンは魔法がなきゃ倒せねぇんだろうが! 忘れちまったのか!」

「あ、そうだった……」

 レギエスの一言に気を取られた。だから反応が遅れてしまう。ドラゴンは口に炎を溜め込んでいた。

「まずい!」

 カッツェはすぐに建物の影に駆け込もうとした。だが、直感する。一歩足りない、と。

「なんてマヌケな死に様だ……」

 諦めを口にする。だが、ブレスの轟音よりも前に、カッツェの耳には別の音が響いてきた。

「隆起せよ! 母なる大地の怒りと共に! 〈ランド・ライズ〉!!」

 ドラゴンの吐く炎とカッツェの間。地面から巨大な壁が発生する。

「う、うあああぁぁぁ!!」

 壁がブレスの直撃を防ぐが、熱気と激しい風にカッツェは身を屈めた。

「危ないところだったなぁ。えーっと、チンピラ君?」

「なっ……お前はっ!」

「まさか、本当にドラゴンと戦えるとは……しかもこいつはワイバーン級だ。ちょっと驚いたぜ」

 マーカスはカッツェに手を差し出す。腕を掴むと思いきり引っ張り、立ち上がらせた。

「ワイバーン級って……ドラゴンを見たことがあるのかよ!」

「見たことがある……まぁそうだな。見てきたぜ、ずっとな」

 マーカスはひょいっと跳び上がる。地面から隆起させた壁の上に立つと、目の前のドラゴンに目を向けた。カッツェの仲間達が両翼だけに攻撃を仕掛けている姿を見て、ウンウンと頷いてみせる。

「いいねぇ……十人そこらでここまで戦える連中は、俺もあんまり見たことがないぜ。鉄騎の髭ジジイか、紅蓮ところのキザ野郎のとこくらいか?」

「鉄騎って……ヴァーザム将軍のことか!」

「お、当たりか! なら納得だぜ。あの髭ジジイ、元気にしてたか?」

「……亡くなったよ、一年前にな。てか、あんた一体、まじで何者なんだ?」

 するとマーカスは不思議そうな顔をした。

「鉄騎にいたのに、俺のことを知らないのかよ。それなりに有名だとは思ってたんだが、ちょっとガッカリだぜ。ま、知らないっていうなら……見てりゃいいさ」

 スタッ!

 壁から降りると、のんびりとした足取りでドラゴンへと近づいていくマーカス。静かに剣を抜くと、構えることもなく歩いていく。

 マーカスが抜いた剣は、薄っすらと赤い光を放つ。

「お前の仲間は優秀だな。おかげで仕事がしやすい。ここはエーテルが薄いが、これなら街への被害は最小限に抑えられるぜ。まさにお手柄ってやつだな」

「仕事? 仕事って一体……」

「決まってるだろ? 俺にできるのはただ一つ……『竜殺し』だけだよ!」

 ニヤリと笑い、思いきり飛び跳ねるマーカス。ドラゴンの頭に届くと同時に、真正面から左右に二連撃を放った。狙いはドラゴンの目。

「グワゴアアアアァァァ!! ギャオオオォォォアアアァァッッ!!」

 苦しそうな叫びを上げる。だが、マーカスは間髪を入れず、そのまま頭に剣を突き立てた。ドラゴンは首を振り回しながら、翼を大きく広げる。

「お前らっ! 飛ばせるなよ! こいつはここで、片付けるぞっ!!」

 いきなり飛び入ってきた男の言葉に、カッツェの仲間達は戸惑ったような表情を浮かべる。だが、ドラゴンを逃がすわけにはいかないという一心で攻撃を続けた。

「さて、仕上げだぜ? 観念して餌になってくれよ、ドラゴン君!」

 マーカスの剣は強烈な赤い光を放つ。そして輝きを増しながら、色合いを紫へと変えていった。

「触れたるものは動くこと能わず! 力を、命を、姿さえも奪い取れ! 八這迅雷〈やしゃじんらい〉!!」

 マーカスの剣から、七本の電撃がドラゴンの表皮を走っていく。同時に突き刺した剣の先から、体の中を一本の雷が貫く。そして、ドラゴンの後部で八つの雷撃が結び、弾ける。

 体から焦げた匂いを放ちながら、ドラゴンは倒れ込んだ。

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