第6話

 日が傾き始め、城下町はオレンジ色に染まり始めている。

 メイドのシエラは途方に暮れていた。宿に泊まっていると聞き、赴いた先には、なぜか尋ね人はいなかった。宿の主人に、市場のほうへと歩いていったと聞いたので、そちらに出かけてみても、結局マーカスの姿を見つけることはできなかった。

「一体どこにいかれたのか……困りました。リィン陛下から、お手紙を預かっているのに。はぁぁ……どうしたらいいんだろう」

 行き交う人々に片っ端から声をかけてみるが、男を見かけたという話は聞けなかった。刻一刻と暗さが増していくのと同時に、シエラの不安も深まっていく。その時だ。

「あんな強ぇヤツが、この街にいるなんて……」

 シエラが聞き取ったのは、『強いヤツ』という単語だった。もはや、縋るような気持ちで、声の主を探す。

 大通りから僅かに外れた場所。暗がりの路地で見つけたのは、いかにも柄の悪そうな人達であり、シエラは一瞬怯んでしまう。しかし……。

「お手紙を……女王様のお手紙を届けないとっ……!」

 大きく深呼吸をしてから、シエラは大きな声で問いかけた。

「その人って、右手に黒い手袋をした、目つきの悪い人ではありませんでしたか?」

「ああ、なんだテメェは……まさか、アイツの連れか?」

 ギロリと睨みつけられ、シエラは一瞬、ブルッと身震いをしてしまう。

「リーダー、アイツの仲間なら、こいつを人質にして……」

 他の男が発した言葉に、今度は涙を浮かべて、一歩後ずさるシエラ。

 どうしてこんな人達に声をかけてしまったのか……シエラの頭の中は後悔でいっぱいになる。

「バカ野郎っ! 俺は、あんなヤツとはなるべく関わりたくねぇんだ! 余計なこと考えるんじゃねよ!」

 カッツェは、仲間の言葉に苛立ちを露わにした。そして、もう一度シエラを睨みつける。

「あの男なら、西の丘にいるぜ。だが、俺らは『誰も近寄るな』って追い出されてきたんだ。テメェみたいなガキが行きゃ、殺されるかもしれねぇぞ」

「本当ですか! ありがとうございます!! 見た目よりずっと親切な人なんですね」

「あぁ!?」

 シエラの一言に声を荒らげるカッツェ。だが、それを聞くことなく、シエラは駆け出していた。


 シエラが丘を登る頃には、太陽の姿は完全に見えなくなっていた。山の向こうが微かに赤いばかりで、あとは月明かりだけが頼りである。

「あの人、どうしてこんなところに来たのかしら。何かいかがわしいことでもしてる、とか? なら、そこに居合わせたら、私……いやいや、そんなまさか」

 自分の身に危険が及ぶかもしれないという想像を膨らませているにもかかわらず、なぜか口元が緩んでしまうシエラ。それを自覚して、恥ずかしさから両頬をパンパンと叩く。

「いけないわ。淑女たる者、常に慎み深くないと!」

 気を取り直して丘の頂上へと続く道を歩き出す。しばらくすると、道の先に小さな人影が見えてきた。暗い道を歩いてきた心細さが、ここに来て一気に弾ける。

 だが、同時に違和感も湧く。影は何かを手に握りながら、体勢を低くしていたからだ。どういう状況なら、そんな格好をすることになるのか、シエラにはわからなかった。

 不思議に思いつつも、暗い道を歩き続けてきた不安から逃れるために、シエラは呼びかける。

「マーカスさーん! マーカスさん、見つけましたよ! これ、手紙ですぅ! リィン様からの手紙なんですぅーー!」

 シエラは手紙を持った手を大きく振りながら、思いきり声を張り上げた。

 マーカスはシエラの声に気付いたのか、スッと振り向く。

「バカヤロウ!! さっさと逃げろッッ!!!」

 ギイイィヤオオォォォ!!

「……へ?」

 背後から落ちる影。

 シエラが振り向くと、視界は真っ黒になる。目の前に現れたものの正体はわからないが、それが危険であることは直感で理解した。

 だが、あまりにも唐突な出来事で、シエラの足はまるで動かなかった。

「き、きゃあああぁぁぁぁっ!!」

 黒い影から、鋭い何かが飛び出してくる。シエラは恐怖から目を外らしてします。

 カキイイイィィィンンッッ!!

 金属が打ち合うような音がした。そっと目を開くと、シエラの前には男の背中が映る。

「お前……こんなところで何してやがる!」

「あ、私は……手紙を私に……宿にいなくて、探してて……」

 シエラは持っていた手紙を差し出す。

「あのな……こっちはそれどころじゃ……おっととと!!」

 マーカスは急に体勢を崩しそうになる。

 剣で抑えていた爪が、急に離れていったからだ。前に倒れそうになる体を何とか踏ん張って引き戻す。

 距離が離れたことで、シエラの目に巨大な影の全体像が映る。

 大きな四枚の羽根を持ち、鋭い鉤爪と大きな牙。そして、ギラギラと光る真っ赤な瞳を持つ生き物が、天空に浮かんでいた。

「これが……竜?」

「そうさ、こいつが竜だ。人間の敵、俺が殺し続けてきた……竜ってヤツさ!!」

 ギィィィヤァァァアアア!!

 竜が咆哮する。あまりの爆音にシエラは耳を押さえる。だが、マーカスはまるで怯むことなく、剣を構え続けている。

「どうして、どうしてこんなところに竜がいるんですか!?」

「……っ! 今はそんなことどうでもいいだろうが! お前、さっさとここから逃げろ!」

 空中に留まる竜を見定めると、道の脇に生える樹に目を向ける。竜が浮かぶ場所よりも、やや低いところまで伸びている樹木に、チャンスを見出した。

 すぐさま駆け出すと、マーカスはまるでイタチか猿のように猛スピードで登っていく。そして、そのまま竜に向かってジャンプした。

「オラァアア!! くたばりやがれっっ!!!」

 ザシュッッ!!

 竜に飛びついたマーカスは、その背中に剣を突き立てた。竜は叫びとも呻きとも区別できない声を上げる。

 そして、そのままバランスを崩し、地面に激突……するかと思いきや、急に体勢を立て直した。

「こいつ!! 怯まねぇのかよ!」

 竜は背中にマーカスを乗せたまま、どんどん上空へと昇っていく。そして、急激に滑空しながら、丘から離れていった。

 その姿を見送りながら、シエラは声を上げる。

「あのーーっ!! 手紙! リィン様のお手紙があるんですけど!!」

 当然、その声がマーカスに届くことはなかった。

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