第三章「戦う剣士と恥じらう乙女」

第1話

「では、こちらがお荷物となります」

 マーカスはシエラが持ってきた自分の私物を受け取る。

「何か変な細工とはしてないだろうな?」

「へ、へんな細工ってなんですか? わ、わたしはそんな……ちょっと匂いを嗅いだりとはしましたが、変なことなんてしてませんよ……あっ!」

 語るに落ちるとはこのことである。

 シエラは顔を真っ赤にして、そのまま宿の外へと走り去っていった。

「まあいいか、なくなって困るものもないし」

 マーカスは自分の部屋の扉を閉じると、手に持った荷物をベッドの上に広げ、中身の確認を始めた。

 例のいざこざの後、マーカスは城に戻ることを拒んだ。もちろん、リィンの願いに応える気もなく、そのままリルムウッドから出ていくつもりだった。

 だが今は、城下町にある古い宿屋に部屋を取り、そこで寝泊まりしている。古いとは言っても、マーカスからすれば立派なものである。きちんとした個室になっていて、足を伸ばせるベッドまで付いている。魔道灯も設置されているが、今は使うことができないらしい。それでも、窓は南向きであり、太陽の明かりがしっかり入ってくる。

 もちろん、借りているのはマーカス本人ではない。

「まんまと口車に乗せられたぜ、まったく」

 マーカスは五日前の出来事を思い出す。


 リィンと別れた日の夜。マーカスは適当な民家の小屋に忍び込み、勝手に寝床としていた。貧乏旅を続けてきたマーカスにとって、そうした夜の過ごし方は日常的なことだ。

 だからその日も、荷物がひしめき合う小屋の中に、何とか寝転がる場所を確保し、ゴロンの横になって眠ろうとしていた。

 ところが、そこに尋ね人が現れる。マーカスは最初、家の持ち主が来たのだと思い、どう言い訳をするのかを考えていた……だが。

「マーカス殿、起きていらっしゃいますかな?」

 自分の名前を呼ぶ声を聞き、想定が間違っていたと理解する。

「いや、もう寝ちまったよ。用事があるなら、また明日にしてくれ」

 当然、マーカスの返事に対し、相手はそのまま小屋の中に入ってきた。

 現れたのは壮年の男性。白髪交じりの髪を後ろで束ね、口元にも立派な髭を蓄えた男性は、その身なりから身分の高い人間であることがすぐにわかる。

「私はグロノーツ=ゼインと申します。女王リィンの片腕として、微力ながらこの国の宰相を務めている者です」

 宰相――つまり、この国の政治を実質的に動かしている人間だ。リィンのような少女が国のトップでいられる理由は、実務面での支えがあるからだろう。

 だからこそ、マーカスは目の前の男を嫌な顔で見つめた。

「で、宰相閣下がこんなボロ小屋に何の御用ですかね?」

「ふむ。ここは単刀直入にいこうか。リルムウッドに力を貸してくれぬか?」

「断る」

「取り付く島もないな。助けを求める者を軽く見捨てるようでは、救世の四英雄の名が泣くぞ」

「いいか、爺さん。俺はそういう、他人の感情に訴えかけるような言い回しは大嫌いだぜ。首と胴が繋がってる間に、さっさと消えな」

 マーカスはスッと腰の剣に手をかける。護衛としてグロノーツの後ろに控えていた兵士が息を飲む。なぜなら、マーカスがいつ構えたのか、その兵士には見えなかったからだ。

「なるほど、そうか。ではお主の利益について話をするか。それならば、聞いてもらえるということだろう?」

 マーカスは沈黙する。構えこそ解かないものの、僅かに体から力が抜けていく。グロノーツは無言を肯定と受け取り、話を進める。

「リィン殿下より約束があった通り、我らを助けてくれるのなら、マーカス殿の身分を保証しよう。寝床や食事の心配は必要ない」

「知るか。そんなもんはいくらでも、どうにでもなるさ。ここみたいにな」

「では、ローデリアへの情報提供はしない、というのはどうかね?」

 マーカスは眉をぴくっと動かす。

「おいおい、いいのかよ。それはローデリアを裏切るってことだろ?」

「裏切るわけではない。客分として招いた人間とあらば、守るのは当然のこと。それに、このままローデリアに従っているだけでは、国が貧しくなる一方だ。そこから抜け出すために、マーカス殿の力を借りたいと、と。こういうわけだよ」

「別に保護される必要はねぇ。これまで通り、追いかけてくる連中は全員、叩き斬ってやるだけだ」

 マーカスは吐き捨てる。だが、グロノーツはゆっくりとした口調で続けた。

「この国を出ても、大陸中にローデリアの威光は広まっているぞ。もはやマーカス殿には、隠れることも逃げることも叶いはしまい。だが、リルムウッドなら、味方をしてやれる。お互いに利益があるからだ。どうかね?」

 グロノーツはまっすぐにマーカスを見つめる。マーカスは目だけを動かして、周囲を眺めた。

 ホコリっぽい小屋の中での寝泊まり。これは彼にとってマシなほうである。時には雨が降る中での野宿を強いられたこともあった。虫が這い回る樹のうろの中、体を震わせながら過ごした時間は、決して楽しい思い出ではない。

 それに引き換え、一夜とは言え、王族の住む城の中というのはどれだけ快適なものだったか……マーカスは自分の心が揺らぐのを感じた。

「すぐに答えを出さなくてもかまわんよ。ただ、今晩はもう、ここには泊まれないぞ? 家の主人を起こしてしまったからな。もちろん、必要ならすぐに宿を手配するがね」

「……このクソじじいがっ!」

 マーカスは返事を留保しつつも、グロノーツが用意した宿へと足を運ぶことになった。

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