第2話
「……人違いだ」
「いいえ、それはありません。ずっと探していたのですから。あなたはマーカス=フェル……」
「やめろ……俺はお前なんぞ知らん」
「やはりマーカス様でしたね。お初にお目にかかります。ワタクシの名前はリィン……」
「興味ない。というか食事の邪魔をしないでくれ」
男は突き放すように言う。だが、女は勝手に話を進めようとする。
「マーカス様をお探ししていたのは他でもありません。あなた様にお願いがあります」
「……人の話を聞いてないのか。食事の邪魔を……」
バァァン!!
再び扉の開く音。しかし、今回はかなり乱暴に扉が開け放たれた。
「えーっと、どいつだ? お、いたいた。まちがいねぇな」
入ってきたのは大男。ツルッとした禿頭に、もっさりと蓄えた髭がまるで頭を逆さまに置いたような顔に映る。
「おい、ねーちゃん。聞いたぜ、金持ちなんだって? おれは貧乏でよう……今日飲む酒代もないんだわ。なあ、もってる金、こっちによこしてくれや」
ひねり一つ感じない恫喝である。もっとも、金髪女――リィンと男の体格差はゆうに倍を超えていた。それだけで充分に脅しにはなるはず……だが。
「確かにワタクシはお金を持ってはいますが……何故にあなたへお譲りしなければいけないのでしょうか? その理由をお聞かせ願いますか?」
ここでもまた、的外れな話を始めるリィン。
「理由だぁ? だから、俺は貧乏で金がないんだよ! だから、てめえの金を寄越せって言ってんだ!」
「それはあなたとワタクシの財産の話ではありませんか。ワタクシが尋ねているのは、あなたにお金をお渡しする理由です。大変失礼ですが、あなたはお金というものをよく理解していらっしゃらないのでは……」
「う、うるせぇーーーー!!」
髭の大男は叫びを上げる。どうやら、リィンのグダグダとした話にしびれを切らしたらしい。
同時に、男は思い切り拳を振り下ろす……が、それはリィンを狙ったものではなかった。当たったのは、マーカスの前に置かれたテーブル。その衝撃で、皿の上のパンと干し肉は床に落ち、カップに入ったぶどう酒もひっくり返ってしまう。
「いいから、金を出しゃあいいんだよ! おれぁ気が短けぇん……」
ガシッ……
マーカスは大男の手首を握った。
「ああ? なんだテメェ!!」
「お前、気が短いんだって? 気が合うじゃねぇか……俺もだよ!」
「何言ってやが……」
ヒュンッ……ドッカァァァン!!
「ゲボハァァッッ……!!」
大男は空中をくるりと回って、背中をしこたま床に打ちつけた。板でできた床が抜けてしまうのではないかという衝撃に、店の中にいた客たちは逃げ出してしまう。
「テ……テメェ、何しやが……!? お、おい、ちょっと待て!!」
マーカスはニヤリと笑う。そして、男の股ぐらを掴むと、そのまま扉のほうへと思いきり押す。
ズザザザザザァァァァァ!!!
巨体が床を滑る轟音と同時に、大男の体は店の扉へと勢いよく押し出される。更にそのまま、ポォーンと通りに飛び出した。
「ブビぎゃあァァガガガが……!!!」
大男は泣き叫びながら、道を転がる……自分の股間を抑えつつ。
ゆっくりと店の中から出てきたマーカスは、そんな相手の姿を見ても、眉間に寄せたシワを消そうとはしない。
「せっかくの食事を台無しにしやがって……こんなもんで済むと……」
「マーカス様! いきなりなんてことを!」
マーカスを追って、酒場から飛び出してきたリィン。彼女はマーカスを咎めるように言った。
「ああ!? そんなもん決まってるだろうが! この馬鹿ヤロウに礼儀ってものを教えてやるのさ!」
マーカスはリィンのほうへ振り向くこともせず、大男の腕をブーツで踏みつける。
「あが……あががが……」
「よぉし、腕一本だ。そいつで今回の件は勘弁して……」
「ま、待っておくれよ!」
背後の声に、マーカスは驚いた。振り向くと同時に、自分の横を通り抜ける影が目に入る。
「お前さん、大丈夫かい! ああ、こんなにボロボロに……」
酒場にいた女主人である。
泣きそうな顔をしながら、髭の大男を庇おうとしている。
「こ、この人を許してやってくれないかい! あ、あたしが悪かったんだ……つい、金貨のことを話しちまって……酒も回ってたから! 普段は気のいい人なんだよ!」
マーカスはしばらく女主人の顔を見つめていた。目に涙を貯めながら、必死に髭の男を……自分の夫を守ろうとする姿を。
店の中を振り返る。そこには、半分ほど口にしたぶどう酒が、床に零れ落ちていた。
「はぁぁ……もういいや。暴れるだけ腹が減る。今夜の寝床も探さねぇと……」
マーカスは女主人から目を離し、通り歩き始めた。日はすっかりと落ち、ポツポツとだけ道を照らしている魔道灯が映す寂しさは、一層深まっているようだった。
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