第6話 飛翔する巨体
――シュタールリッターとは、大地を闊歩する鋼鉄製の巨人である。
元来、騎馬の代替という位置づけで作られ、発展し続けてきたその巨躯は、決して宙を舞う事はないのだ。
しかし、そのあり得ざる状況をジャックは今、身をもって体験していた。
眼前のモニターにはどこまでもつづく青い空と砂漠が映っている。
しかし、当人にはそれを楽しむ余裕など皆無で、集音マイクが拾う下からの音に肝を冷やしていた。
(どうにか、避け切れたか……)
足下から響く爆音は、当たっていないとわかっていても神経をすり減らせ、心臓はばくばくと音を鳴らしつづけている。
(しかし、賭けには見事完勝だな)
ようやくこみ上げてきた生の実感に思わず口元が綻ぶ。
数秒前、無数の砲弾と火矢が直撃する瞬間――ジャックは、背中をはじめ全身に取り付けていた噴射装置を真下に向けて一斉に開放したのだ。
「うおおおおおおおおッ!」
恐怖とも期待ともつかない叫び声を上げながら祈るようにスイッチを押し続け――ついに、ふわりと浮かんだような感覚を感じた直後、すさまじい噴射力とすぐ下からの爆発の衝撃が合わさって、まるで体が上から押しつぶされてしまうかと錯覚するほどの強い力が襲いかかってきた。
「ぐうううううッ!」
砕かんばかりに歯を食いしばって大地からの鎖に抗う。
(もっと……もっと!もっと高く!)
ジャックの願いが届いたのか、くびきを引きちぎった漆黒の騎体はぐんぐん上昇をつづけ、現在、遠くの雲が下に見える程の高々度にあった。
無我夢中の当人は知るよしもないが、この急上昇こそ、全世界初の「飛行」であった。
パンドラが各所に装備する噴射装置とは、リッター用の制動装置である。つまり、噴射力で無理矢理体勢を変更する装備なのだ。どの作戦においても運用可能な汎用性を追求した結果、重量が加速度的にかさみ続けるリッターのバランサーとしての役割も持っている。
あくまで緊急時、一瞬の使用に限定して開発されていたその噴射装置を、誰もなしえたことの無い飛行に用いる――一見簡単に転用できそうだが、その為には数々の困難が伴い、これまで実現してはこなかった。
では、なぜジャックはこの奇跡を起こすことができたのか。
答えは、パンドラの設計思想にあった。
すなわち、これまでの重武装とそれに伴う大型化というリッターの進化の過程では異質な、超軽量型リッターという点である。
武装を極限まで削り、騎体の防御力も最低限に抑えていた事が、ジャックの命を救ったのだった。
さらに、安定した上昇飛行を支えた秘密がもう一つ。
それは、改修によって肘から前腕部にかけてと膝頭からすねにかけて取り付けられた、計四枚のブレードである。
大型で肉厚、さらに可動式の刃が、上空への推進力によって発生した気流をうまく捕らえ、揚力へと変換していたのだ。
このおかげで、現在パンドラは噴射装置を使用していないが、高度の下がり具合は微々たるものとなっている。
――敵は真下。さらに、こちらが生きていることに全く気づいていない様子で、展開した装甲を緩慢な動きで閉じようとしている。
「まさに、千載一遇の好機……!」
すかさず剣を頭上へ高々と振りかぶり、そのまま自然の法則に任せて落下していく。
おそらく、敵が上空の異変に気づいた時には決着がついているだろう。
ぐんぐん迫ってくる熱砂の中、敵騎は未だに気づいた様子を見せない。それどころか、なぜかその場で停止している。
一度は逃れた大地からの鎖に再び引き戻されて落ちていくその様は、ともすれば漆黒の流星にも見えた。
「うおおおおおおおっ!」
着地する寸前、裂帛の気合いと共に振りおろされた剣による一撃は見事、ミョルニルの頭頂部から股下までを一閃した。
一方パンドラは、着地の衝撃を吸収しきれなかった関節部分から異音を鳴らし、砂の大地へ膝から下を埋めてようやく落下を終えた。
「くっ……動けないか……」
あてがはずれ、歯がみするジャック。
(ふぅ……しかたない。マリアにアマツ達に連絡してもらうか……さすがにこんな軽装備で砂漠を歩くわけにもいかないからな)
残っていた一騎をどうにか撃破し、緊張の糸がゆるんでいた彼の耳に、不吉な警告音が届いた。
それと同時に、爆発による衝撃がコクピット全体をゆさぶる。
「な、何……ッ!」
即座にのぞきこんだモニターには、うつ伏せに倒れたまま腕だけをこちらに向けるもう一騎のミョルニルの姿が映っていた。
「くっ……まだ生きていたのか!」
『残念だったなぁ!ミョルニルの衝撃吸収能力は伊達じゃねえのさ!ただの気絶ですんだぜ!それにしても、おめーを的にして遊べるなんてなぁ!あの黄色い猿共の前に、軽く肩慣らしさせてもらおうか!』
まるで反応を楽しむように一発ずつ間をあけて放たれる矢が、装甲の薄い部分に襲い掛かる。
一発目でできた浅い凹みが、二発、三発と攻撃を受けてヒビ割れ、砕かれていく。
移動ができず、噴射剤も底をついたパンドラに残された防御手段といえば、両腕でコクピットのある胴体部分とセンサーの塊である頭部を覆うくらいだ。
『ぎゃはははははははッ!今どんな気分だ?お前、もうすぐ死ぬんだぜ?その狭いコクピットの中で、鉄に押しつぶされて、オレのオヤジみてえなミンチになるんだぜ!?』
「オヤジ……?」
『そうさ!ただの肉の塊になっててなぁ。スーツに描いてあった紋章と認識票からようやくオヤジだって判ったのさ!情けねえ!あんな途中でくたばるようなクズになんざ、オレは絶対にならねえ!』
気づいているのかいないのか、途中からは自分への戒めの言葉へかわっているミョルニル搭乗者の怒声を聞きながら、ジャックはこの八方塞りな状況を打破するべく、三度、必死に頭を捻っていた。
しかし、コクピットを揺さぶる衝撃は徐々に大きくなっていく。おそらく、フレームにも何発か直撃しているのではないだろうか。コクピットの閉塞感が高まっていくような錯覚すら覚える。
(このまま、コクピットにつぶされるのか……)
『ははははははははッ!死ね!死ねぇ!皆ただの肉の塊になっちまええええええ!』
外からは、ミョルニル搭乗者の狂気を伴った叫びと鋼鉄の矢が騎体を削る音が絶え間なく響く。
(まさに、万事休す……)
先ほど灯った心の火が再び消えかかろうとしていた、そのとき――
『ジャック!』
その声は、土砂降りのような雑音の中でも、はっきりとジャックの耳に届いた。
「マリア……?」
思わず漏れたつぶやきに、集音装置が拾った音がかぶさる。今までのクロスボウや大砲とは異なる音――それはロングボウの弦が風を切る音だ。
「!……何だ?」
『よかった……間に合った……』
感極まった声と共に、集音マイクから入ってきた歓声とも鬨の声とも取れる声がコクピットを満たす。
『いくぞおおおお!』
『うおおおおおお!!』
視線を巡らせると、サブモニターにはオウーマに跨り白い麻布を纏った一団が、ミョルニルめがけて次々と矢を射る姿が映っている。
その集団の先頭に立つ人物が目に入った瞬間、呆然となったジャックの口から驚きの声が漏れる。
「……アマツさん……」
どうして、と口に出しかけたジャックは、アマツの後ろに座る小さな白い少女を見て大まかな経緯を悟った。
「マリア……」
自分の半身と言っても過言ではない少女の名を口にのせると、脱走騎士はモニターを食い入るように見つめ続けた。
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