第5話 決死のチェイス


 快晴の空の下、二騎の人造巨人による追跡は開始からすでに三〇分を過ぎようとしていた。

 砂丘から時折見え隠れするオウーマを、まるで反射神経を鍛える遊戯の様に火矢で射る。

 十字砲火をかける二騎の《ミョルニル》から、いらだった声が開かれた外部スピーカーを通して砂漠に響く。

『くそっ!アイツどこいきやがった!?』

 舌打ちとともにコンソールを殴りつけるのは、ジャックよりいささか年下の、少年と言っても通じる程に小柄な男だ。

『まあまあ、そうカッカすんなよ』

『ああ!?アイツ捕まえればヴァルハラ勲章も夢じゃねえんだぞ?』

 冷静な相棒にさらに怒りがたまっていく。

『それに、この狩りが終わったらあの町での「お楽しみ」が待ってるしな。どうせ逃げるだけしか出来ねえんだ。ゆっくり楽しもうぜ?』

「お楽しみ」という言葉に、歯をむき出して笑う相棒の顔が浮かぶ。

『そうだな……さて、墜ちたエース殿はどこかな~っと』

 口笛混じりに照準をつける。

 モニターの向こうには、大きな爬虫類にまたがり、弓矢を背負った男の姿があった。


「くっ……!」

 すぐ後ろで起きた爆発に、首を縮める。

 相手が遊んでいる事など、とっくに分かっていた。彼らがその気になれば、障害物として活用している砂丘などあって無いような代物なのだから。

 自分のリッターを取りに行く――ジャックはそんな事、ハナから考えていなかった。

 もし自分のシュタールリッター《パンドラ》を使ってしまえば、その分マリアの中にあるマイクローゼが収集されてしまうのだから。

 だが、ジャックは死中に活路を見出そうとしていた。

(今が好機か……!)

 いくら装備や射程が優れていようとも、油断している相手となれば、付け入る隙もうまれると言うもの。

 腰に下げていた水筒のフタをはずし、散々引っ張り回しているオウーマに、感謝と信頼の想いを込めた水を注ぐ。

 器用に顎で受け止めて水分を補給したオウーマは、もうひと頑張り、と言わんばかりに尻尾を振って、速度を再び上げてくれた。

 巧みに砂丘の間にできた谷間を蛇行しながら、現状持ちうる戦力を分析する。

(――装填済みのクロスボウと矢が三本、ダマスカス鋼製の小剣が一本、あとは……)

 思わず腕に目をやりそうになった自分に苛立ち、頭を振って愚考を追い出す。

(何を腑抜けた事を! 俺はマリアを守るために今までやってきたんじゃないか!)

「たとえ素手になろうと、立ち向かってやる!」

 自分に活を入れなおすが、先ほどのクロスボウの射撃結果を思いなおすと心に暗雲が立ちこめる。

 鋼鉄製の矢も、分厚い装甲の前では成すすべ無く弾かれ、明後日の方向へと飛んでいった。どうやらあの丸みを帯びた形状は簡単に貫ける物ではないようだ。

 さらに、主武装としているクロスボウは威力や命中精度と引き替えに、再装填には通常の弓と比べてかなり手間がかかる。それが今までできたのは、ひとえに敵の油断と慢心故だ。

「ブオオオッ!」

 今までの攻撃で気配を覚えたのか、オウーマが野太い咆哮をあげる。

 その直後、今度はすぐ横にあった砂丘が爆ぜた。

「うおっ!」

 反射的に手綱を引いて、至近距離に着弾した火矢を間一髪のところで避ける。

 無傷なオウーマに安堵しつつ、ミョルニルの性能を思い返し、考察してみる。

(重装甲・大火力という事は、その巨体を支えるフレームも相当頑丈ということだ。だが、その分機動力が犠牲になる。さらにここは砂漠。ならば――)

 作戦を閃くも、その表情には厳しくしかめられたままだ。

(しかし、相手は十字砲火の陣形を崩そうとしない……これでは厳しいか……)

 顔を後ろに向けると、ちょうど左右を砂丘に挟まれて立つ巨人が見える。

(ええい!迷っている時間はない!今しかないんだ!)

 怖気を振り払い、手綱を引いてオウーマを旋回させて正面に巨人を捉える。

『お?何か考えでも浮かんだのか?』

 敵の外部スピーカーから漏れる耳障りな声を聞き流して、一直線にオウーマを走らせながら、手綱から離した片手でクロスボウの引き金をしっかりと握る。

『ぎゃはははははッ!死ににくるなんて、ついに頭イッちまったかぁ~?』

 次々と射出される火矢を巧みな手綱さばきで紙一重で避け、騎体の股下を目指してオウーマの速度を上げ続ける。

(勝機は一瞬。最初で最後――)

 視線を斜め上で固定しながらも、周囲への最低限の警戒は怠らない。

 いつ、もう一騎のミョルニルが自分の策を看破して進行方向へ先回りしてきてもおかしくはないのだ。

 ぎらつく太陽の光がふっと陰る。

 相手――ミョルニルの下に入ったのだ。

 股の間をくぐりながら、油断なくクロスボウを上に向け、目を凝らしてタイミングを伺う。

 そして――。

(――今だ!)

 全速力で駆け抜けるオウーマの上から、クロスボウの一撃が放たれた。

 狙いは装甲の間――砂漠の砂が詰まって半ば開いた状態になっている腰部と脚部を動かす関節部分。

 果たして、鋼鉄の矢は狙いたがわず、装甲の隙間へと吸い込まれていった。

 それを見届ける間もなく、ひたすら次の大きな砂丘までオウーマを走らせるジャック。

『お?な、なんだ?動かねえぞ!?』

 戸惑った声に振り返ると、そこには直立不動のまま腕を振り回す、滑稽な巨人の姿があった。

「バランサーと噴射装置が機能停止した状態で、重い腕を高速で動かすとは……愚かな」

 ジャックのつぶやきを証明するように、鋼鉄の塊が前のめりに倒れた轟音が、砂漠をゆらした。

「…………」

 さきほどまでやかましく喚いていた外部スピーカーが静まり、それきりコクピット内に設置された空調の規則正しい音が流れてくるのみとなった。

 それだけで、中の搭乗者がどうなったのか、残った二人には容易に想像がついた。

「チッ!……まさか、アイツが負けるとはな……」

 先ほどまでの騒々しい声から一転。冷えきり、研ぎすまされた別の声が砂漠に響く。

「腐っても元エース様だ。まさか弓矢ごときでリッターを倒すなんてな」

(本気になった、か……)

 予想通りの反応だったが、状況は好転などしていない。

 相手が余裕を消し去ったこの後こそ、本当の正念場なのだ。数の差がなくなったとはいえ、リッターと人間とでは埋められない戦闘能力の差がある事に変わりはない。慢心が消え去った、純粋な殺気がひしひしと感じられる。

(どうする……)

 撃ち終わったクロスボウを背負い、武器の優先順位から外す。

 撃つたびにオウーマから降りて再装填をしなければならないクロスボウでは、これからの戦闘にはあまりに不利な為だ。そんな時間など、与えられる事は決してないだろうから。

(残りは、ショートソードだけ、か)

 打開策を必死に探しながら、雨あられと飛んでくる矢弾を、砂丘の間を縫うような動きで避ける。やはり蛇行を織り交ぜた動きはトカゲの仲間であるオウーマの面目躍如だ。

 現状において唯一幸いな部分といえば、ミョルニルの機動力が予想していたほど高くないことだろう。

砂漠に来たのは想定外の事態だったのか、防塵装備がされていないその動きは、かなり遅い。

(これなら、少なくとも攻撃をやり過ごすくらいならどうにか――)

 ミョルニルの射撃に向けていた意識を、戦闘方法の組立へと振り分ける。

 その、一瞬の油断が命取りだった。

 風切り音が耳に届いた瞬間――。

「グガアアアアアアアッ!」

 地鳴りのような低い断末魔の叫びとともに、オウーマの態勢がガクンと崩れる。それまで十分すぎるほどについていた速度が災いし、熱砂の上をソリのように滑っていく。

「オウーマ!」

 手綱を握り締め、振り落とされないよう必死にバランスを取るジャック。

 勢いをそのままに、大きな砂丘へと入り込んだところでオウーマは停止した。

 加速を使いきって最後まで騎手を守ったオウーマは、砂に身体を横たえたまま微動だにしない。

「……すまない……」

 火矢で串刺しになったオウーマの目をそっと閉じてやる。僅かな時間ではあったが、生死を託しあっていたオウーマに、哀悼の眼差しを向ける。

『さぁ、頼みの綱はもう無い。どうする?元エースぅ?』

 加虐嗜好がにじみ出た声を発する鋼鉄の巨人を、キッと鋭い視線で睨みつける。

「……たとえ、どんな状況でも、俺の信念は変わらない!」

 立ち上がりざま、腰から抜いたショートソードの切っ先をミョルニルに向けて叫ぶ。

『フン、所詮は帝国の――皇帝様の理念にそわない愚か者か……』

 腕の装甲がスライドし、発射装置をこれみよがしに開けるミョルニル。

『さて、そろそろ相棒を連れていかなきゃなんねえし、とっとと死んじゃえ』

 アンタの首から上だけ持っていってやる、という言葉をかき消すように、巨大な矢が射出された。

 その先端で燃えるやじりを見た瞬間、ジャックの体感時間が引き延ばされた。

 一秒が数十倍に伸長された時間の中、水中での挙動のように体がゆっくりと動く。まるで、知覚だけが何倍にも加速したような感覚だ。

 そして、自分自身の緩慢な動きとは対照的にまったく速度を落とす事無く向かってくるミョルニルの腕の隙間から射られた矢。そのゆらゆらと揺れる炎をまとった先端が、伝説の鬼火――ウィルオーウィスプ――のように見える。

 すべてがゆっくりと流れる中、死神の鎌が首に当てられるような感覚を味わいながら、冷静にジャックは悟ってしまっていた。

(ああ、これは……死ぬな)

 高速で飛来する矢を切り払う芸当など、持ち合わせていない。なにせ、この引き延ばされた時間の中で身体の動きはひたすら鈍く、全力を振り絞っても数秒かけて腕一本すらあがっていないのだ。

 それに、周囲にはそれまで有効活用していた砂丘も無い。風向きが変わってしまったのか、起伏の少ない平坦な砂地となってしまっている。

 冷酷に突きつけられた現実と迫る鬼火が、ジャックの心をこれまで支えてきた鋼のような芯に、パキリと亀裂を入れてしまったのだ。

「すまん……マリア……約束を果たせ――」

 ジャックの言葉はそこで途切れた。

 なぜなら、今までの刺すような太陽光が、何か巨大な物体によって遮られたから。

 と、腕の通信機が鳴る。


『ジャック!あきらめないで!!』


 それまでの聞き慣れてしまっていた無感情な音声からは想像もつかない、必死の叫びが耳に届いた。

「――ッ!」

 砕かれかけた魂が、再び輝き始める。

 それを後押しするように、独特の跳弾音が響く。ジャックが施していた傾斜装甲が功をそうし火矢を弾き飛ばしたのだ。

 ボロボロのマントに見を包んだソレは、ずん、と砂地を揺らしながら着地した。

 顔にあたる部分には、青いツインカメラアイが輝き、起動中であることをジャックに伝えてくる。

「これは――パンドラ!?」

 自分に臣下の礼をとるような姿勢でその場にたたずむ漆黒の巨人に、ジャックは目を剥いた。

 まさか。あり得ない。そんな否定の気持ちで頭の中は一杯になっている。

 いったい誰が乗り込んでいるのか――それがジャックを悩ませる疑問だった。

 通常、リッターは搭乗者無しで動く事などあり得ない。

 それは、管制心理が搭載されていようとも例外はない。

 実際、ジャックが乗っていない時にはレーダーを使った周辺警戒をさせる程度だったし、過去に見たパンンドラの仕様書にもそんな記述は無かったのだ。

 では、騎体を動かしているのは――。

「マリアか!?」

『――はい』

 腕から返答が聞こえると同時に、ジャックをいざなう様に開くコクピットハッチ。

「!」

 予想していた少女どころか人の姿そのものが無く、計器類の明りがぽっかりと空いたシートを照らすだけのコクピットに驚愕するジャック。

 異常事態の解明に思考を巡らせながら砂地を蹴り、漆黒の巨人の中へと身を躍らせる。

「ハッチクローズ!」

 無人のコクピットに座りながら、ジャックはこの奇跡の理由を考え続け、そして――思い至った事象に怖気が走った。

「……マリア、まさか君のマイクローゼは――」

『……想像の通りです。私の情報はマイクローゼによって収集され続けています』

 マリアの言葉に、思わずギリッと歯を鳴らす。

 マイクローゼがパンドラに収集されるという事は、マリアの人間としての性質が薄れていく事を示している。それは裏を返せば、パンドラとの適合率が上がっていくという事だ。

 マリアはそれを利用して、周辺警戒状態のまま近くの砂漠に隠しておいたパンドラを動かし、通信機の反応がある場所――ジャックの元へと届けたのだ。

「やっぱりそうだったか……」

 よくよく考えてみれば、成長しない肉体や色素が抜け続ける髪など、普通と違う部分は

いくらでもあったのだ。

(……俺は、なんてバカな男なんだ……)

 どうしようもない怒りに震えるジャック。

『そんなに自分を責めないで。少なくとも今、私はこうして貴方と会話ができる。それだけでも十分幸せ。貴方にはいつも守ってもらってばかりでした……だから今度は、私が貴方を守りたいの』

 マリアの強い決意がこめられた言葉に、無理矢理気持ちを切り替える。

「くっ……待っていてくれ、すぐに終わらせる!」

 搭乗者の奥からにじみ出る後悔を体現するように、砂地に拳を突き立てるパンドラ。

 拳から伝わる反動を利用して素早く立ち上がりながら反転し、重装甲シュタールリッター《ミョルニル》を正面に捉える。

 動きを阻害するマントを脱ぎ捨てると、使い慣れた小さな剣を逆手に握り、構えをとって敵騎と相対する。

『へえ……もらっていた資料から随分いじくったんだね。前腕部と膝につけられた刃と制動用の噴射装置……高速機動を利用した一撃離脱に特化させているのか』

 的確な指摘に、おもわずコクピット内でうなるジャック。

(さすがリッターパイロット。特性は一目で見抜いてくるか)

『それにしても、最新技術の噴射装置なんてどこで手に入れたんだか……背中につけている大きい噴射装置も不格好で美しさや力強さとは無縁な騎体だね。それなら――』

 集音マイクが拾う《ミョルニル》搭乗者の声に喜色が混じるのを聞いた直後、モニターに映るミョルニルに変化が生じる。

 それまで、球体が連結したような姿をしていたミョルニル。

 その四肢を構成するそれぞれ四つの球が、まるで貝が開くようにぱっくりと展開されていくのだ。

 球体内部には、パンドラの腕くらいの太さのフレームを基点として、球の内壁に遠隔発射型の巨大なクロスボウ――バリスタや攻城兵器を転用したと思われる巨大な大砲がびっしりと並べられていた。

「なっ……」

 その場で威容に飲まれたように立ち尽くすパンドラの中で、ジャックは言葉を失っていた。

『あははははっ!驚きで声も出ないかな。この姿こそ、戦神の振るう鎚の名を冠する由来さ!圧倒的な火力!美しいだろう?この一斉射撃から逃れられるヤツなんているわけないんだ!この前だって、流れ弾に見せかけて町一つ焼き尽くしたし。その前に焼いた町から十分補給もできて、一挙両得だったなぁ』

「――この、外道がッ!」

 喜々としてそれまでの戦果という名の虐殺や蹂躙をべらべらとしゃべり出すミョルニルに、ジャックの貴族としての心――ノブレス・オブリージュ の信念が怒りに燃え上がる。

「民とは、共に過ごし、富を分けあう、すばらしき隣人。蹂躙などという暴挙、断じてしてはならない!」

『ククク……あーっはっはっは!』

 ジャックの言葉にこらえきれなくなり、しばらく大笑いするミョルニルのパイロット。

 その後にかえってきたのは、嘲りの言葉だった。

『なにを馬鹿な!民衆など貴族の道具!その田畑も、生み出される富も、奴らの血肉さえ、ぼくたち貴族の作った土台の上に成り立っている。貴族が人なら、民は豚以下の存在さ!まさかここまで頭の悪いヤツがリッター乗りにいたとはね……貴族の風上にも置けないな』

 がしゃり、とミョルニルの踵から巨大な杭が打ち出され、砂漠に突き刺さる。発射の衝撃による転倒を防ぐ為の装置だ。

『さて、そろそろ末期の祈りは済んだかい?大丈夫、この攻撃ならそんな痩せっぽちの装甲なんてあっという間に砕けるから、きっと即死できるさ。痛みなんて感じるヒマもないだろうね』

『ジャック……敵の魔力が増大しているわ。もう発射まで数秒しか時間がない!』

 コクピットに響く敵の嘲笑と、マリアの悲鳴じみた報告。

 まさに進退窮まった状況の中、ジャックは思考をフル回転させる。

 彼我の戦闘方法の差、残された時間――。

(――!)

 ハッと見開かれた目も、すぐに苦り切った表情に細められる。

 まさに、奇想天外としか形容できない策。分の悪いどころの話ではない。成功する確率は一割も無いだろう。

 しかし、実行をためらって時間を消費すればするほど、成功の可能性は0へと近づいていく。

『ジャック!!』

 かけがえの無い少女の声に意を決し、ジャックは操縦幹の下にあるコンソールへと手をのばした。

「俺は、俺たちは――こんなところでくたばるわけにはいかないッ!」

 喉の奥からほとばしる叫びとともに、スイッチを力一杯押し込む。

「うおおおおおおおおおおッ!!」

『はははははっ!悪あがきなんてする意味ないのに、滑稽だねぇ!』

 直後――砂の大地はまばゆい光と地鳴りのような轟音に包まれた。

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