第2話 平穏な生活と奪還前夜


 太陽が落ちはじめ、灼けつく暑さに寒風が混じりはじめる。

 夕食を終え、青年は見えない場所に置いておいた防寒用シートを取り出す。使い込まれたシートに複雑な表情を向けていると、横にたたずんでいた少女が口を開いた。

『ずいぶんと嫌われているわね、ジャック』

「仕方ない。それほどの事を、俺たちの先祖はしてしまったのだから……」

 白衣のポケットにしまっていた通信機から届く声に、医師の仮面をとって、いつもの調子で答える青年――ジャック・L・マーズ。

「それにしても、あそこまで根深いとは思わなかったよ。今では帝国からの行商人も定期的に訪れるようになって、徐々に交流も盛んになってきているというのに――これも、侵略した側の視点か……」

 未知の医学知識が眠っている可能性があり、さらに追跡の手が及ばない場所としてこの地を選んだが、想像していた以上に厳しい場所であった。今はだいぶ緩和されたが、最初の頃に向けられた敵意は今思い出しても息が詰まる。

『今から150年前、それまで協調路線を歩んでいたゲールド人とヤマンチュール人の間に、当時即位したばかりの皇帝ヴェルⅡ世が割って入ったのです。大のヤマンチュール嫌いで知られた彼による「民族統一令」によって、強制的な移住を強いられたヤマンチュール人たちは、だんだんとその土地を追われ、今では帝国がヤマト自治区と名付けたこのオアシス付近にしか住む場所が存在しない……』

 パンドラによって変換されて抑揚の無くなった声による説明は、まるで歴史の講義のようだ。

「当時、ヤマンチュール人への根も葉もないデマが横行したとも聞く。それを今や、大多数のゲールド人は真実だと思いこんでしまっている」

 過去の無知な自分を後悔のため息と共に吐き出すジャック。彼もいっときはその迷信を信じていたのだ。父とともに、当時蛮行とされた砂漠旅行に行くまでは。

「……先達の残した罪は、重い……。さっきの人だって、俺に唾でも吐きかけてやろうか、って目をしていたよ」

『そのわりには、うれしそうだったわね』

「うれしそう?俺が?」

 通信機は沈黙し、代わりに自分の横にいる少女――マリアがしっかりとうなずいた。

「そうか……もしかしたら、俺の父親がああいう人間だったからかも知れないな」

『ジャックの、お父さん?』

 うん、と首を縦にふると、自然、視線が思い出へ向かっていく。

 最後に会ったのは、訓練校を卒業した時だったか。

 当時、すでに老境に入っていたというのに、まるで自分の事のように息子の主席卒業を祝福してくれた。

「自らの身を省みてはならない。貴族とは下の民を支えるためにあるのだ」

 あの時に父が遺した言葉は今もジャックの魂に刻み込まれている。

「もう亡くなったが、周りにも自分にも厳しく、いつも周りを気にかけられる……そんな人だった」

『アマツさんがそうだと?』

「息子――タケル君をはじめとしたヤマンチュールという民族に向ける愛情の裏返しが、俺たちゲールド人への嫌悪になっている……そんな気がするんだ」

『ずいぶんとポジティブな思考ね』

 その言葉に複雑な笑みを浮かべるジャック。

 ――脱走して以来、追っ手を撃退し、様々な危ない橋を幾度も潜り抜けてきた。飢えをしのぐために色々な仕事を転々としながら色々な知識や技能を集め、マリアを元に戻す方法をどうにか構築しようと努力を続けてきた。自分も、医者の真似事ができるくらいには技術や知識を身につけた。

 しかしその結果は、自らが行おうとしている事がいかに無理難題であるのかを再確認させるだけだった。

 ある闇医者からかけられた、諦めの言葉が耳の奥にこびりついて離れない。

「まさしく、神の御業でもなければ不可能だろう」

 藁にもすがる思いで掴んだ希望に裏切られる毎日の中、自然とこんな笑い方が染みついてしまった。

 しかし――。

「まだ、諦めてないからな」

 それでも揺るがなかった決意を言葉に乗せると、マリアの頭を優しくなでる。

『ありがとう、ジャック』

 彼の手の感触に頬を赤らめながらも、身を任せるマリア。

 砂漠の夜は、静かにふけていく――。


 同じ夜、族長の館の一室。

 月明かりを室内に入れるための窓はしっかりと隙間無く閉じられ、代わりに行商人から買った貴重な蝋燭が灯されている。

 その薄明かりを頼りに大勢――ざっと三〇人はいるだろうか――が、部屋の中央に置かれた大きな机を中心に、輪になって集まっている。

彼らが鋭く見つめるのは、机の上に置かれた帝国の地図。

 数日かけてきた議論も結論が出揃い、回数を重ねて開かれてきた会議も終いになろうとしていた。

「な、なぁ……ここまで決まってから言うのも何なんだが……本当に、やるのか?」

 静まった議場で、おずおずと輪の中の一人が声をあげる。

「なにをためらう?臆病風に吹かれたのなら、ここから去れ!」

 弱腰な発言を一喝すると、リーダー格である男――アマツは、周囲へ厳しい視線を走らせる。

 萎縮する皆の中から、ふぅ、とため息交じりに声がかかった。

「アマツ、そう熱くなるな。多かれ少なかれ、不安は誰でも持ってる。責められるもんじゃない」

 長年の親友である男の言葉に、アマツは怒りの眼光を抑えて、素直に頭を下げる。

「ヤシロ……そうだな、俺もどこかで持っていた不安を皆にぶつけてしまったのかもしれん。すまん」

「気にするな。それじゃ、計画をまとめよう」

 輪の中から進み出て、アマツの横に立った線の細いモノクルをかけた青年――ヤシロは、全員がこちらを注視している事を確認して、口火を切った。

「出発は、明後日の夕方。目的地はヴィクナスト監獄」

 ヴィクナスト監獄――そこは、反体制的言動をした知識人や有力者を収容する専用の施設である。そこに収容された者は苛烈な拷問の中で徹底的に帝国の理念を心と身体に刻み込まれると噂されている。

 囚人たちが持つ影響力の大きさから、監獄の防衛態勢は軍事基地をも上回っていると言われる。

 実際、過去に指導者の奪回をもくろむ集団が数回攻め入ったものの、外壁にもたどり着けずに全員捕縛・処刑されたという話からも、その堅牢さは伺い知る事ができるだろう。

「我々は、彼の洗脳施設より、ヤマンチュールの希望の光である〝導師〟ことヤチホコ様をお救いする!」

 アマツとは違う、凛とした響きをもったヤシロの言葉に、その場の全員がおおきく頷く。

「前々回に決定した通り、到着後、陽動班と救出班に分かれて行動する。最優先は外門の守衛と警備装置の無力化。そして――」

 それからしばらく、ヤシロによる作戦の詳細を説明する声が部屋に響いていた。

 静かに語られる言葉を一言一句聞き逃すまいと、メンバーたちは身動きひとつせず、参謀が纏めた計画に耳を傾けている。

「――以上です。いいですね?」

 おう、と低い声の唱和に、満足の笑みを浮かべて頷きを返すヤシロ。

「皆、少しいいか?」

 予期せぬアマツの言葉に、荷物に手を伸ばそうとしていたメンバーたちの動きが止まる。

「丘の上に越してきたヤークトとかって医者がいるだろ?ヤツについて、どう思う?」

 どうせ、反感しか買っていないだろう――アマツのそんな予想とは裏腹に、メンバーたちは考え込むそぶりを見せた。

「どう、って言われても……」

「悪い人ではないよな。オレの娘の怪我も治してもらったぜ」

「あ、俺のカミさんもヤークト先生に世話になったって言ってたな。ずいぶん物腰も柔らかで、他のゲールドみたいな差別意識も無いし……」

「そういや俺、治療費払えないって言ったら『いりません』って笑顔で返されたぜ?一体どうやって生活してるんだろうな?」

 彼等の話す内容が、まさしく自分にも施されたものであった事を思い出し、アマツの表情が愛憎渦巻く複雑なものへと変わっていく。

「彼は他のゲールド人とは違う――そんな感じだね」

 皆の思いを代弁するヤシロの穏やかな口調と表情が、思考をさらに混乱させる。

 薄暗い蝋燭の明かりの中、アマツは唸るように口を開いた。

「――そうか。分かった」

 それきり着席したまま沈黙し、思索に耽るリーダーに代わって、ヤシロが会議を閉幕させた。


「なぁ、ヤシロよ」

 メンバーたちも解散し、すっかり元の広さを取り戻した部屋。

 そこから出て行こうとしたヤシロを引き留めたのは、それまでイスに座ったまま動かなかったアマツの声だった。

「どうした?」

 その声にいつもの豪放磊落さとは違うものを感じ取ったヤシロは、踵を返し、向かいのイスに腰をおろす。

「あの医者、なんでここに来たんだろうな?」

「余所者の詮索はしない――それがここの掟じゃなかったか?」

「そりゃそうだが……」

 口ごもりながら、アマツは今日受けた施しとゲールド人について考えていた。

 今まで、この地に流れてくる金髪碧眼にはロクな輩がいなかった。

 そして、やって来るゲールド人は誰も彼もが周りをうかがって同族を警戒していた。しかし、自身より下だと感じているヤマンチュールの民には躊躇無くその刃を向けてくる。

 毎回、帝国によって派遣されてきたゲールド人によって連行されていくのだが、ヤマト自治区には来訪者が自治区で犯した罪に対して少しの補償金が渡される程度で、実質野放しと大差ない有様だ。

 それでもヤマンチュールが来訪者を区別なく受け入れるのは、この地にたどり着いた際の族長――今は亡きアマツの祖父――が定めた掟が今も残されているためだ。

 生活の知恵から争いになった際の解決方法まで、様々な事柄が微にいり細に渡り記されているこの掟が、現在のヤマンチュールにとって絶対遵守すべき規範である。

 さらに、導師への嘆願によってのみ内容の変更が可能であるとされたため、現在は条文の書き換えが不可能となっており、条文修正を要求することもヴィクナスト監獄襲撃の目的の一つとなっている。

 (今度来た男も、どうせ厄介ごとしか持ち込まない輩だろう――そう決めつけてかかっていたが、果たしてそれは正しかったのだろうか……? しかし、これまでの我々に対する行いを考えれば、ゲールドを許す事などできぬ……)

「……ツ。おい、アマツ」

「――ッ!」

 竹馬の友の呼びかけに、いつの間にか思考の奥に沈んみこんでいた意識を戻す。

「あ、ああ……すまねえ。ぼおっとしちまってた」

「めずらしいな。いつもならそれは俺の役割なのに」

「そうだな……」

 子供の頃、書物や考えごとに集中するあまりその場から微動だにしないヤシロを引きずって集会場に連れていった事を思いだし、思わず口角が上がった。

「それで、考えはまとまりそうか?」

「別段これといって特別な事はしない。何かひと悶着起きるまでは静観の構えだ。こちらの害になる事があれば、執政官に連絡すればいい」

「いつもと同じ……か」

「俺たちは、俺たちのなすべき事を成すだけだ」

 うなずくヤシロを見て、イスの後ろの梁にかけられた布をはらうアマツ。

 その奥に所狭しと詰め込まれた剣や槍、さらには自動巻き上げ式の弓と矢など各種武装がろうそくの光を浴びて剣呑な輝きを放っていた。

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