視点についてぼちぼちと
ここに書き連ねていることは個人的見解と断っておく。
視点とは
どこから見ているかという、対象を見るときの立脚点のこと(wikiより)
視点を決めると言うことは、小説をどこから見るのかをはっきりさせることである。
つまり読者を物語に案内する時、誰から(何処から)見せるかを決める必要があるのだ。
一人称の場合は多くの場合で視点者は主人公となる。他には、主人公を脇で見るヒロイン目線で物語を紡ぐ、なんて時は視点者は主人公ではない。
特殊な形態ではあるが、こんな小説もないわけではない。
明智光秀視点の織田信長物語とでも思えば想像できるかもしれない。明智光秀がヒロインだと言っているわけでない。決して。
三人称の時はちと考える。
大抵は一人称と同じく主人公であるのだが、戦記などの群像劇を書こうとすれば、おのずと視点者は複数となる。
視点者が増える事は別に悪い事ではない。複数の人物の胸の内を分っているのは読者だけであり、登場人物は知らない。そこに面白さが生まれるのだ。
お互いの真意を知らぬままぶつかり合うライバル達、なんて胸熱な展開を期待できる。読者はそこにハラハラするのだ。
実は恋愛ものでも応用できる。
ラストでは結ばれる二人が惹かれあっている描写を書くが、周囲の状況がそれを許さない。なんて時は二人の心情を読者に知らしめて、これからどうなるんだろう、という不安感を煽る事で物語に引き込むこともできる。ロミオとジュリエットなんてさいたるものだ。
あれは悲恋だが、ハッピーエンドにだってできるだろう。乗り越えるべき障害を設定すれば良いだけなのだから。そして安心の大団円を迎える。ハッピーエンドはいいものだ!
三人称でも一元視点でなければダメ、とか、多元視点はツマラナイ、という方がおられるが、それは書き方がまずいだけである、と思っている。
一元視点は確かに基本だ。これ一本で話を貫き通すのが正しいと、私も思う。が、先述したように群像劇などには向かないのだ。
多元視点でも、その場の登場人物すべての心情を書く、なんて説明している方もいるが、何故全員の心情を書かなければいけないのか、私は理解できない。書く必要性が無い。
一つの場面に一つの視点。これを貫けば良いのだ。
分らないモノは分らない。その場面での視点者以外の心情は書かない。仕草や表情の描写で他者の心の内を予測させるのだ。
多元視点だからと言ってすべての人物の心情をツラツラと書いている方を見掛けるのだが、隠すという事を知らないのだろうか、と思ってしまう。伏線とミスリードの宝庫なのに勿体無いなぁと思わずにはいられない。
三人称神視点というのもある。
これを常に使用することは悪手である、と思っている。海外の小説では良くあるようだが。
物語冒頭の描写などでは神視点で書くしかない。これは良い。問題は戦闘シーンなどでも神視点で書く人がいる事だ。
その戦闘シーンで知らしめたい事はなんぞ?
まずここから始まる。
よくある俺ツエーものなら無双だろうか。本格ファンタジーならば臨場感とか焦り、緊迫感だろうか。
断言するが、神視点では臨場感や緊迫感は出ない。なぜなら視点が神視点ということは、読者はその場にいないということになる。
それで臨場感が出るのか? 出せる方もいるだろうが、私には無理だ。
神視点で無双は良いだろう。爽快感がありスカッとするだろう。だがピンチは書けない。迫りくる緊迫感が無いからだ。読者は他人事として見てしまう。それではだめだ。読者を当事者にしなければいけない。
さて視点にまつわる書き方に移る。
先日書いた一人称についてのエッセイでも触れたが、動作の書き方が出来ていない方が多い。
視点者の行動は問題は無いが、他者が視点者にする行動は書き方が少しだけ違う。
他者が手を差し出す行動も、視点者から見れば手を差し出されるように映る。この違いがわかるだろうか?
他者が【する】行動は視点者から見ると【してくる】となる。些細な差だがこれが物語に引き込む要因なのだ。
例
「男女が向かい合っている状況で、男が女に手を差し出した」
上記は神視点だ。カメラは横にあり、二人を映している。
「向かいにいる男が手を差し出してきた」
これが視点者の視点だ。カメラに映るのは男だけで、自分に向かって手を出してくる映像が浮かぶだろうか?
この細かい積み上げが、読者を引き込む力となる。
「は」と「が」
この違いを述べると辞書になってしまうし、論争に決着が付いているわけではない。ので、あくまで個人的見解。
凄い簡単に述べてしまうと、視点者の行動では「は」を、他者の行動では「が」を使うと、読者を引き込みやすくなる、と思っている。根拠は無い。
例
「男は手を差し伸べてきた」
「男が手を差し伸べてきた」
まぁ、おんなじ動作だが、「が」の方が、自分と他者の区分けがはっきりとしていないだろうか?
気のせいかもしれないが。
またも偉そうに書き連ねてしまったわけだが、視点というのは作者の武器であり、読者を引き込むための道具である、と思っている。
読者を物語りの中に立たせ、そこにいると錯覚させる為のツールというかテクニックの一つだ。
勿論これだけで読者を引き込めるわけではなく、物語の設定や構成も関係するし、キャラの魅力も必要だ。
このエッセイで言いたい事は、視点というのは重要なファクターなのだ、ということなのだ。
疎かにしてはいけない。これは声高に言いたい。
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