小説について徒然なる独り言
凍った鍋敷き
一人称についてのボヤキ
ここ【小説家になろう】では一人称が主流と言えるほど多い。別にその事にとやかく言うつもりはない。一人称は正式な人称だ。
それに視点者の心情を余すところなく伝えるのには、とても優れている。恋愛物、推理物には特に向いていると言える。
その反面、視点がぶれるなどすれば台無しなのも一人称だ。
残念ながらここ【小説家になろう】で読み漁っている小説の中の一人称のモノで「これはちゃんと書けてるなぁ」と感心できたのは一割だろうか。もっと少ないかもしれない。これは書籍作家に限らずだ。
漏れ聞くところによると【なろう】では一人称だったが書籍化に当たり三人称に書き直しさせられた、というような案件もあるようだ。金を出してもらうに値する一人称というのは難しいのだろう。
私が一人称の小説を読んで、まず引っかかるのが『私は(俺は)〜をした』という文章だ。
一人称において主語無しの動詞が入っている文章は視点者の地の文であると判断できる。つまり主語が私や俺のみだった場合、その言葉自体が不要なのだ。ようは「〜をした」とでも書けばいい。文字数も減らせるし文章の流れをせき止めることも無い。
例外として「〜をしている俺は」「〜をした後に私は」など読んでいて違和感なく感じられるような流れならば問題は無い。尤も、この場合でも主語は削れるが。
後は視点だろう。
視点者が見たものを視点者の言葉で書くのが一人称だと、私は思っている。だから視点者が子供なら描写に用いる言葉は難しい言葉ではいけないし、語彙も豊ではだめだろう。
結構多いのがなんちゃって一人称だ。三人称の主語を一人称に置き換えただけの文章だ。過去に私もやってしまっているが、描写に用いる言葉が普通じゃ使わない言葉とか、文学的な文章を書いてしまっている、などだ。視点者が作家とかならその限りではないが。
視点者もコロコロと代わり、その度にその人物の内面描写が入る。悪い事ではないとは思う。まぁ、恋愛のすれ違いを演出するのには良いのかもしれないが、そうすると主人公(大抵の場合主人公が視点者であるから)に入り込み辛くなる。
視点者がその場にいない場面を書きたいとかあるのだろうが、それならば三人称でも良いんじゃないかと思う。三人称でも心の内は書くことができる。
また相手の人物の仕草表情で示せば対象者の心理はおおよそ分ると思うし、隠すことによってミスリードすることもできると思うのだ。伏線も作りやすいだろう。情報を隠すと言うのも重要なテクニックだ。
それと、視点者から見た他者の行動を書けていない人が多い。他者が視点者に対して行動するときは「〜してくる」というような書き方をするのが一般的だ。あくまで読者は視点者として物語の中に入っているのだから。これが一人称の醍醐味であり、読者を物語に引きずり込む重要な手段の一つでもある。
つらつらと偉そうに書いてしまっているが、一人称を否定するつもりはない。私が読み漁っている小説の感想欄でも特段指摘する事は無い。
ただし、これだけ書けてるのに惜しいな勿体無いなこの人、と思われる人だけは、迷惑だろうが指摘させてもらっている。まだまだ上に行けるなと思えるからだ。
上から目線で申し訳ないのだが、愚痴を並べさせていただいた。異論はあろうが。
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