第7話 アマネとユウキと一つの身体
「やはりこの子をあの人と会わせるのはまだ・・・」
私はスタンガンで気絶させたこの女の子を見張りながら車を運転している篠原さんに言った。
「田上くんは優しいですね。ですが外見にとらわれて本質を見誤ってはなりませんよ。その子は虎、いや、鬼の子ですからね」
フゥと一息ついた篠原さんは胸ポケットからタバコを取り出し、火をつけようとする。しかしライターのガス切れかうまく火がつかない。
「チッ、こちとら危険な橋渡らされてるんだ。たまにはいいことのひとつでも起きてくれていいんですけどね」
荒げた口調で運転席の窓から火のつかないタバコをプッと吐き捨てると、篠原さんはバックミラー越しに私に話し掛ける。
「田上くん、この辺の地理に詳しい方ですか?」
「いえ」
私は篠原さんに返事をすると、その質問の真意を理解した。ここいら一帯の停電で信号機がやられ、私たちは見事に渋滞にはまっていた。
「車を捨てますか?」
「それは愚の骨頂だよ田上くん。連中の裏をかくのさ。まさか必死に逃げてる側がこんな近距離で悠長に渋滞にはまっているなんて思わないだろ?暗闇でこちらの車種やナンバーは特定されていないのはわかっている。行けるところまで車を使い、どこかからまた別のルートで脱出を図ると考えるのが普通だろう。それに・・・」
篠原さんは車のラジオのボリュームを上げた。
『現在復旧の目処が立ち、もうまもなく通電が再開されるとの発表がありました』
「となれば次にヤツラは一斉検問を始めることにするわけですが、現場に出される警察はこちらの味方ですから、我々は堂々とお勤めご苦労様ですと言い残しこの街を去れば良いのです。ちなみに先手は打ってますのでこの先、全国指名手配なんてことにもなりません。ヤツラはただ自身の力と限られた人数のみで我々を探さなくてはならないのです」
なんという策士・・・もはやこの人の計画通りになるべくして今に至る。
まて。では、なぜ・・・
疑問を口に出すより早く、お見通しだと篠原さんは語る。
「この辺の地理について聞いたのは、万が一我々のどちらかが作戦遂行不能になったとき、この子をあのお方の元へお連れできるか。そういう意味ですよ田上くん」
「ここまで篠原さんの計画に穴はないと感じます。万が一などあり得るでしょうか?」
ンッフッフと篠原さんは停車していた車が揺れるほどに笑うと、バックミラーに映るどこか引っ掛かりのあるような目でこちらを睨む。
「私は神ではないですからね。イレギュラーは数多あります。それをどう乗りこなしてまた自分の道に戻すか、そこが重要だったりするんですよ。あくまで主導権や切り札はこちらが握っていなくてはなりません。有利を利用する。ただそれだけで我々は任務が完了するんですよ」
時折篠原さんはこういう哲学染みた余談をよくする。この人とコンビを組んでまだ半年だが、ミスターパーフェクトとでも言うべきか。常人には難しい案件をこの人は時に荒く、時に繊細に計画を立ててそれが見事にハマり今まで成功させてきた。余程の修羅場を掻い潜ってきたのか、いつも余裕を垣間見せながら軽々と任務をこなしてしまう。今回も何事もなくあと数時間で我々の仕事は終わるだろう。そう思っていた時の、篠原さんらしくない弱気な発言に、私は今まで感じたことのない篠原さんの焦りを感じていた。
「田上くん、連中が近くにいる。毛布をかぶって」
篠原さんは急に話を打ちきり、指示を出す。私は言われるまま後部座席下に置いてある毛布で少女と私を覆う。
「ふむ、なるほど。やはりこの案件、一筋縄ではいかないようですね。いいですねいいですねえ。久しぶりに面白くなってきましたよ」
毛布越しにクックックと篠原さんの不気味な笑い声を聞きながら私はいたいけな少女の額をそっと撫でた。
『もしもし、新堂ナオキさんの電話でよろしかったでしょうか?』
電話口は少し高めの女性の声だった。
「ええそうです。失礼ですがどちら様でしょうか」
まず名乗るべき自分のことより先にこちらのことを確認する。つまりそれはボクの知り合いではないことと、何か事情があるから先に名乗らないことを意味する。
例えば昔、振り込め詐欺で稼いでいたとき、名を名乗らずまずはそちらが何者であるかを探りながら隙をつく常套手段。やってきたことだから向こうの思惑と対策は分かる。
だが、どんな手段でくるかと警戒していた自分に思わぬ返答がある。
『調べはついているはずです。私がアマネですと言えばわかりますか?』
「アマネさんですか。どのようなご用件で?」
突っ込んだ話はこちらからしない。かといってシラを切るつもりもない。アマネちゃんに関しての情報が少なすぎるこちらとしては、この電話は今後重要な取引になると予感したからだ。
ボクは自分のスマホの端子にケーブルを取り付け、コウタにひとつ目配せをして今立った席に再び二人で着席した。
取り付けたケーブルの先に録音と逆探知の機材を。そういう意味だ。
警察がよく使う機材のそれをコウタはすぐに自分の鞄から取り出し組み立てた。
『私の娘を助けてください。あの子は何も知らないのです』
「すみません、仰る意味が伝わらないので断片的でも構いませんから詳しくお話ししていただけますか?」
コウタは無言でこちらに準備ができたことを身ぶりで伝える。ボクはできるだけ逆探知できる時間を稼ぐこと、あわよくば情報を引き出すことを目的にゆっくりと優しい口調で答えた。
『あの子は・・・多重人格障害なんです』
「何人いるんですか?」
その症状をボクは身近に知っていた。その人は一つの身体に四人の人格を宿し、互いに互いのことを記憶していないのだ。いや、今はそんな話はいい。アマネちゃんが多重人格?短い間だが共に過ごしてきてユキヤくんの話からもそれを匂わすような言動はなかった。
『二人です。あの子のそれは普段は発症しません。強烈な痛みを受けることで切り替わります。アマネはもう一人のほうの名前です』
「なるほど。ちなみに本当のあの子の名前は?」
『ユウキです』
そこでコウタはボクに一度手のひらを向けた。
待て、突っ込みすぎ。焦りすぎです、と。
ボクは山ほど聞きたい質問を止め、向こうが自発的に出してくる話を喋らせておくことにした。
『ユウキは元々、前の総理大臣の娘でした。ですが総理が暴力団と癒着し辞任し、その発覚で被害を受けた暴力団の腹いせに誘拐され、夜の商売へ投じられました』
ここで言う暴力団とはコウタの話と照らし合わせて関口組のことだろうと察した。
『当時マスコミは、その辞職を機に総理が離婚し自殺したと報じましたが、自殺に見せかけ父母は殺され残されたあの子が拉致されたということが事実です』
スケールが少しばかり膨らみすぎ、確たる証拠もない以上、本来ならば信用のおける話ではない。
『あの子がうちの店に来たのはまだ小学生の年頃でした。うちを経営しているその暴力団からその子の素性を教えられ、海外向けのポルノ娼婦として育てるよう命じられました。ですが汚れた私にはこの子の純白さが眩しくて、この子にはこんな世界ではない普通の世界に生きてほしいと願うようになり、暴力団にごまかしながら母親として庇って育ててきました。ですがある日、それが暴力団に知られ、ユウキは酷いことをされたのです』
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