閑話休題 オレと役者と過去物語(2)
朝の新聞配達が終わると、オレは眠い目を擦りながらその足で学校の近くの公園に行く。本当ならば家に帰って寝たいのだが、同じく新聞配達をしながら学校に通っていたクラスメートがそれをやってクセになり学校に来なくなった。ニノ鉄は踏むまいとしてオレは自分に渇を入れて向かう。
学校ではほぼお馴染みの基礎中の基礎練習。劇団でやっていることの方がレベルが高く、かったるいとさえ思う。じゃあ学校に行く目的は何かと問われれば、それはオーディションやスカウトの情報を得るためだ。芸能プロダクションに密接に繋がっているため、どこかで引っ掛かってくれたらと期待を込めて皆勤しているというわけだ。
公園に着くと、オレはコンビニで買ったサンドイッチと野菜ジュースで朝食を済ませ、劇団の公演に向けて自主練習を開始する。周りには吹奏楽や合唱の練習をしている学生や、オレと同じく発声やストレッチをしている演劇関係者もよく見かけるので、1人でやっていても変な目で見られることはない。
今回のオレの役としての最大の見せ場が殺陣。複雑な動きを要求されるので台詞よりもこちらの方が覚えるのに苦労している。
オレはバイト代で買ったデジタルビデオカメラをベンチにセットして自撮りし、一通りチェックする。
「もう少し背筋を伸ばして脇を締めたほうがいいな」
「それから相手の蹴りをかわすときは腰をもっと低くしたほうがシまるね!」
バッと振り向くといつの間にか後ろに立っていたのはマキだった。オレは名前も知らない他人の目は気にしないが、身内の目があったことに気づかずに滑稽な一人芝居をしていたことが急に恥ずかしくなる。
「い、いたのかよ!いつから?」
声が裏返りそうになるのを必死に耐えたが赤面は隠せなかった。
「ユキヤくんの動きが終わるくらいだったから数秒前かな。いつもこの時間ここでやってるの?」
マキは普段劇団の練習にはジャージでいるのだが、今日はお出かけかオシャレで女の子していた。
「学校もあるし、家にいると寝ちまうから・・・」
「ユキヤくん、学生だったんだ?どこの?」
そういえばオレはマキと劇団でしか会わないし、お互いのことを話したことはあまりなかった。実際には歳がいくつなのか、普段劇団以外ではどう生活しているのか、そういうことも全く知らなかった。
「すぐそこのビルの養成所。マキはどこか遊びに行くの?」
「うん、これからバイトの仲間と買い物に行くんだけど待ち合わせにまだ30分も早いから散歩してた」
マキはビデオカメラが置いてあったベンチに座ると上目遣いでオレに言う。
「よかったらちょっと時間潰しに付き合ってくれない?」
劇団いちのマドンナからの誘いを断るほど、ぶっきらぼうではなかったオレは「いいよ」と並んで座る。風が優しく吹き、マキの女の子の香りが心地よかった・・・いやいや、変態でも飢えてるわけでもないぞ?
「思えば劇団以外で団員の人と外で会ったの初めてかも」
「オレもだよ。マキはみんなから好かれてるからそんなことはないと思ってた」
「いやいや、ワタシ打ち上げとかも行かないからさ。あまりみんなのことを知らないんだよね」
マキはオレと同じだった。約1年劇団にいるがオレもマキも打ち上げには参加していない。
「オレの場合は酒が弱いのと、新聞配達でバイクに乗るからアルコールありの席を遠慮しているというのもある」
「え!ユキヤくん、新聞配達して学校行って劇団行って・・・いつ寝てるの?」
「平日は3時間くらい寝れたら大丈夫。日曜日に爆睡。マキはちゃんとした生活してる?」
なんかこちらのことばかり聞かれるので反撃をしよう。言いふらすつもりはないが、劇団の人気者はどんな私生活を送っているのだろうか。
「ちゃんとしてるかは分かんないけど、一応昼型の生活だし病気とかしてないから大丈夫!」
「ははは、何だそれ。バイトはどこで?」
「うーん・・・」
なぜそこでつまる?あまり答えたくない質問だっただろうか。質問を変えようとしたとき、マキは決意したようにオレに向き直る。
「ユキヤくんなら大丈夫か。隣の区の喫茶店で働いてるの。あ、ケータイ教えて」
オレなら大丈夫とは一体・・・。自然的にオレはマキとケータイの番号とメアド交換に成功した!マキのファンに知られたら相当羨ましがられるな。
「写メ送ったよ」
メアドの確認も込めてマキが送ってきた写真、それは・・・
「やべ・・・可愛い」
思わず本音が出てしまったのはメイド姿のマキがステージで歌っている様子だった。そうか、これがかの有名なメイド喫茶というやつか。喫茶店には違いはないがしかし・・・マキ意外に着痩せするタイプなんだな・・・って、違う違う。
「身内の人に来てもらうのはちょっと恥ずかしいからみんなには内緒だよ?」
「うむ。これはよろしくない。実にけしからん。こんなものを見せられたら男子団員全員でライブに行って『oi!oi! 』とか盛り上がってしまうじゃないか」
「フフフ、ウチのライブはヲタ芸禁止でーす」
しかし実に理にかなっている。演技、発声、歌、ダンス。全てにおいて演劇関係の練習にはもってこいだ。
と、ひとしきりイイ感じの「アオハルか」みたいな雰囲気が流れて、マキの待ち合わせ時間が近づいた。
「ユキヤくん、ありがとうね。もうそろそろ行くね」
「いや、こちらこそマキのこと色々知れて楽しかったよありがとう」
立ち上がったマキはオレに握手を求める。よく分からないがそれに応じようとした瞬間
チュッ
オレの差し出した手はスルーされ、マキの唇がオレの右頬に触れた。
マキはすぐに5メートルほど駆けていきピタリと立ち止まるとこちらを振り向く。
「みんなには内緒だからねー!」
それだけ言うとまた駆けて行った。
えーと・・・バイトのこととチューされたことは話さない。オッケー、平常心は保てている。
「んなわけあるかー!」
オレは1人で混乱したうえに若干舞い上がっていた。
「次、風上」
「はい」
「風上ぃ、オマエわかってるよな?この殺陣でミスったら全部シラケんだぞ」
「・・・はい」
長谷川は相変わらずオレに対して八つ当たりにも近いスパルタで接する。しかしいちいちその目を気にしていては演技に集中できない。誰に何を言われようとこの役は『オレ』なんだ。オレらしく全力で表現してまずはオレが満足しなくてはならない。
終わるまでオレの動きを黙って見ていた長谷川がひとつ頷くと口を開いた。
「言っておくが、この殺陣の構成に高い難易度のものは入っていない。なぜかわかるか?」
「わかりません」
「今のオマエの実力がそこまでだからだ。この程度がすんなりクリアできるなら本当はもっとド派手なやつをやりてえんだ。わかるか?」
悔しいが反論できない。長谷川がああいうヤツだとわかってからも、業界で多くの演者を見てきた目に狂いはなく、言っていることも間違いはない。今のオレの演技を自己採点するならばまだ85点。それはつまり監督の長谷川からすれば更に低い点数をつけることだろう。
長谷川に「下がれ」と言われ、オレは肩を落としながら地べたに座り込んだ。
「次、倉田」
「はい」
今回のマキの見せ場はやはり壮大なクライマックスのミュージカル調な歌とダンスだ。オレ以外には厳しくつっこまない長谷川も、こればかりは何度となくダメ出しを重ね、マキも必死でついていこうと頑張っているのは団員全員が感じていた。
「指先の微細な仕草まで神経を使え。遠目の客席からじゃわからないだろうというあまえは捨てろ」
「はい!」
稽古場ではまず、長谷川に個別に与えられた課題がどのような現状かを全員の前で披露する。そうすることで、この人がこう動くなら自分はこうしてみようだとか、このときは場がこういう雰囲気になるのかとか、いわゆる情報の先だしと意思の疎通を図る。
その後、全員で通し稽古をする。その最中、長谷川は一切口出しをしない。
『誰がどんなにミスしても、例え芝居がストップする事態になっても、これが練習であれ本番であれ、舞台に立った以上は舞台の外に助けを求めてはならない』
台詞はとび、自分のことだけでいっぱいいっぱいなボロボロの初通し稽古で、長谷川はみんなに告げた。
そんなことを思い出していると、マキの個別披露が終わる。
「倉田、世界観を全体で共有すること。そしてその中心にオマエの確固たる意思がなくてはならない。長い台詞も多いが、話の流れを理解しその役と一体化していれば自ずと言葉は口から漏れる。それが台詞だ。暗記するものではない」
「はい」
「みんな、あらすじと配役だけ決めたら本当は台本に書かれている台詞などいらないんだ。これがどういう意味なのか寝る前に考えてみてくれ。じゃあ1度通して今日は終わろう」
こいつは本当にスゲエ監督なんだと改めて思わされる。悔しいがやはり前線で大ヒット作をバンバン仕切ってきた手練れだ。ただ「ダメだね」ではなく、理由付きでその演者にダイレクトにコンパクトに要件を伝え、そしてやれるようにしてしまう。
野球で言えば少し立ち方や構え方を変えさせただけで、誰でもヒットを連発させる打者にしてしまう名コーチというわけだ。
だから業界では一目置かれ、多くの人間から恩も恨みも買い、そしてひねくれて捻り曲がり、自分は帝王だとなってしまったのだろう。
劇団の稽古が終わり、オレは1人帰路につく。そういえば明日はクリスマスだな、なんて思っても別に一緒に過ごす相手はいないし、なんだかんだで今年もシングルベルだろうよとタカをくくっていたのだが・・・。
『ユキヤくん、明日ヒマかな?デートしようよ!』
と、電車に乗ってすぐに劇団のお姫様がメールをくれたのでどうしたものかと戸惑っている。
ファッションセンスのかけらもないし、エスコートできるほどデートスポットも知らない。ましてや劇団で内部恋愛禁止だし(いやまて、デートって別に恋人同士じゃなくてもするって言うし?駄菓子菓子御菓子)。
とりあえず恥をかき幻滅されることは必至。よってオレの出す返事は、
『悪いけど明日は』
メールの返事をそこまで打って手を止める。
ふと周りを見渡せば電車内はクリスマスムード一色と言わんばかりにカップルがせしめている。あと、疲れたサラリーマン。
勝ち組に!
オレはなる!
しかし、ただ『いいよ』だと何か素っ気ないし上からみたいで感じ悪いし。
『ほんと!?やったー!楽しみだ!』なんてのはキャラじゃないし。
結局のところ何て返したらいいのか分からないまま困っていると降りる駅に着いてしまう。一度ケータイをコートのポケットに仕舞うとオレは改札を出る。するとタイミングよく、今朝登録したばかりの番号から電話がかかってきた。
「もう!なんですぐ返事くれないかなあ。もしかしてって言うのは失礼だけど、彼女さんいた?」
「いや、いない。オッケーするつもりだった」
「なるなる。内部恋愛禁止だしあんまりデートって言われてもピンと来ないし断るつもりだったけど、周りを見たらカップルだらけでいいなーって思ってオッケーするつもりだったんだけど、何てメール返したらいいんだー!ってパニクって今に至るわけだねアケチくん」
「アケチじゃねえけど、その通りだよモウリくん」
「うぇぇ!?当たっちゃった?もしかしてユキヤくん、ワタシの想像通りの人?」
「マキの頭の中ではオレはどんなキャラなんだよ!」
「んとね、見た目はクール!心はアツい!アニキのような優しい男!だけど実はめっちゃ可愛い弟みたいな二面性」
「わかんね」
「アハハ、言葉じゃ伝わらないこともあるよ。それで、どうかな明日は」
「日曜日は朝刊やったら後はヒマだよ。マキの都合に合わせるよ」
「イエス!あのね、実は行きたいところがあって・・・」
「オレでよければどこまでも振り回していいぞ!」
「話が早いわー!イイワー!モテるワー!じゃ、電話終わったらメールしとくんでシクヨロ!」
「なるだけ幻滅されないよう頑張りますのでシクヨロシマスネガイ」
「アハハ、ありがとう!じゃ、明日ね。おやすみー!」
何か今日一日オレすげーハッピーじゃね?って恋愛体質じゃないって言ってるのに、あれだ。今朝のこともあってマキのことが段々気になっていくのは確かだった。
オレはこのあと遠足前夜の子供のようになかなか眠れなかったのは言うまでもない。
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