第3話 社長とワタシと幸福理論
休日。
それは世間一般的に幸せな響き。
目覚まし時計と戦わずに済む朝。
予定の有無を問わず好きなことを好きなだけして過ごせる1日。
「そう、祝日のワタシの朝は極上の1杯のカフェオレから始まる・・・」
「優雅なご身分ですねお姫様」
ユキヤはワタシとパパのぶんのコーヒーを淹れると自分の作業デスクに腰掛け、パソコンを立ち上げる。
「ユキヤはてーねんたいしょくしたら喫茶店をやればいい」
「あ、いいね。ユキヤくん、コーヒー淹れるの上手いし、お客さんからも可愛がられるから」
「ナオさん・・・今でこそ良くなってきたけど、人間嫌いのオレが接客業なんてできないの知ってるっしょ」
ユキヤは昔、役者を目指して田舎から出てきたらしい。その時に人間嫌いとなり、それ以上はあまり語りたくないそうでワタシもパパもあまり突っ込んだ質問はしていない。
「でもユキヤくん、昔より喋るようになったよね」
パパはニコニコしながら経済新聞を流し読みしている。
「会話が仕事に必要だからっすよ。基本は1人の仕事だからってことでここに来たんじゃないすか」
「ユキヤは迷惑?」
ワタシはこの際だからと思うことを直接ぶつけてみた。少し困ったような顔をしたものの、自分で淹れたコーヒーを一口飲んで答えを告げた。
「アマネには何度も助けてもらってるし、迷惑だなんて思ってねえよ」
「やったーうへへへへ」
「手はかかるけどな・・・はい、変な声出しながらダブルピースしない」
「世の男は喜ぶらしいと」
「ダークサイドばかりを知るんじゃない。おい!何の話だ!」
そんなやり取りをパパはクスクスと笑いながら聞いていた。
「パパ今日は仕事?」
「夜から打ち合わせに出るけど日中はのんびりデスクワークでもしてるよ。ユキヤくんばかりに負担かけるのも悪いからさ」
「や、いいっすよ。タイピング関連は得意なんで」
ユキヤは普段から見積書や請求書等の客先提出用の事務方もやっている。パパは役所関係の提出書類作成や売上管理をしている。2人共キーボードを打つのが早い。
「アマネちゃんは遊びに行かないの?学校の友達とかできた?」
「学校で友達はできたんだけどさ、やっぱりその・・・夜間学校に通う人ってワケアリだから付き合い方は難しい」
パパは一瞬しまったという表情を見せた。
「ごめんね、日中の学校のほうが良かったんだとは思うんだけど」
「学校行かせてくれてるだけ感謝だよパパ」
理解している。自分が何者なのか、なぜ傷だらけで倒れていて記憶がなかったのか、パパは事件性を考えてワタシをなるべく普通に寄せた生活を送らせながらもトラブルから匿ってくれている。ユキヤに拾われたあの夜、無理矢理病院にブチ込んで我関係せずとすることもできただろう。ワタシはそれでもよかった。好きこのんで自ら訳のわからないトラブルに巻き込まれたがる人間などいないから。でもパパはそうしなかった。
今から2ヶ月前。
バタン!
「ナオさん!近くの病院ってどこだ!」
「ユキヤくんどうした?」
「事務所の側で女の子が倒れてるんだ!救急車呼ぶよりオレらのが早い!」
「容態は?」
「あちこち傷だらけで、でも脈はある」
ナオキはジャケットを掴んで寒空の外に飛び出すと、ユキヤの指差す現場へと走る。
「轢き逃げにしては骨折の類いはない。暴漢にあったとしたら致命傷がない。何があった・・・?」
ナオキはその状況から推測する。出血もひどくなく、命に別状はないと判断する。ただ11月の下旬で初雪の降った今日の夕暮れは特に冷える。上着も羽織らずに薄着の女の子は体を強張らせて震えていた。
「ユキヤくん、この子を3階に運んでくれ」
ナオキは自分が羽織るはずだったジャケットを彼女にかけると直ちに自室の3階に駆け上がり、暖という暖を集めた。ひとしきり準備ができた頃に少女をおぶったユキヤが到着する。
「ナオさん、どうする?」
「救急を要する程ではなさそうだ。内出血なんかも特にない。一晩様子を見ておくよ。この子の体力が回復してからどうするか話し合おう」
ナオキはユキヤに暖かい飲み物の用意を頼むと、少女の身に何か変化がないか付きっきりで看病することにした。
少女が意識を取り戻したのは真夜中を過ぎた頃だった。
「・・・ここは」
「気がついたかい?」
ナオキはユキヤがポットに用意してくれたお茶をカップに注ぎ、上半身を起こした少女に差し出す。少女は「ありがとう」と掠れた声で呟いてカップに口を付けた。
「寒くはないかい?」
ナオキは本当ならば「痛くはないかい?」と聞くつもりであったが、少女の顔色から起きてすぐに痛みを思い起こさせることに躊躇したため、別の質問をした。頷いて返事をしたのを確認し、ナオキはゆっくりと話し出す。
「ボクは新堂ナオキ。運送屋だ。キミは?」
「アマネ・・・」
「アマネちゃんか。いい名前だね」
ナオキが微笑むとアマネは頭を押さえて苦しみ始める。
「アマネちゃん、どうした?」
「思い出せない。思い出そうとすると頭が割れそう・・・うぅっ」
「ユキヤくん!」
ナオキは大声で下の部屋にいるユキヤを呼ぶ。瞬時にドタドタと階段を駆け上がる音の後で寝癖だらけのユキヤが部屋に飛び込んでくる。
「救急車を呼んでくれ!」
「分かった!」
しかし刹那
「イヤアアアアアアアアアアアア」
アマネが発狂する。
「アマネちゃん!しっかり!大丈夫か?」
ナオキが暴れだすアマネを沈めようとするも、それを振りほどく力は普通の女子の倍。とてもか細い少女の力ではない。
「ナオさん!」
慌ててユキヤも押さえに入るがアマネの足が綺麗に鳩尾に入り、一瞬でKOされる。
「ワタシは知らない!何も知らない!もうやめて!注射!痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!」
「アマネちゃん、しっかりしろ!ボクを見ろ!ボクは味方だ!大丈夫だから!」
強引にアマネの顔を自分に向けさせ正面に構えるとようやく落ち着きを取り戻す。
「あ・・・あ・・・」
「何かつらいことがあったんだろ?何も思い出さなくていい。落ち着くまでここにいていいから、ね?今日はもうおやすみ」
ナオキはアマネをベッドに寝かせ、毛布をかける。
「部屋の電気はこのリモコンで消せるから、枕元に置いておくよ」
「・・・ありがとう」
「また明日ね、アマネちゃん」
ナオキはアマネの頭を優しく撫で、うずくまるユキヤに肩を貸して部屋を出る。
その後も機会があるごとにアマネのことを尋ねてみるも、『警察』『病院』この2つに関するワードが出る度にアマネは発狂。手がかりをアマネ自身から引き出せることはなかった。
アマネの外傷が目に見えて癒えた1週間後、ナオキは自身の推測をユキヤに話す。
「彼女はどこかから逃げてきたんだと思う。多数の擦り傷や切り傷は隠れながら必死で走ってきたからだろう。そして寒さと体力の限界で倒れたのではないだろうか。それが単なる家出ではないとボクは思う」
「研究施設の披検体だとかそんな映画みたいな話じゃないっすよね?」
「最初暴れたときに注射がどうとか言っていただろ?でも腕や足には注射痕はなかった」
「リアルに考えられるのは家からの逃亡ならDV、仮に何らかの施設からなら検査か尋問をされていた、と?」
「何にせよそれがトラウマとなり彼女を苦しめていることに代わりないのは事実。ボクは彼女を救ってあげたい」
ナオキの真っ直ぐな決断にユキヤも首を縦に振った。
「何でワタシを追い出さないの?」
アマネが唐突にナオキに質問したのは、ナオキがアマネに夜間学校に通うことを提案したタイミングだった。ナオキは一瞬の間の後にゆっくりと話し出した。
「少しボクの長い話に付き合ってくれるかい?」
アマネは黙って頷いた。
「悪いことをする大人の集団にボクはいたんだ。借金取り、押し売り・・・人殺し以外は何でもやった。いや、正確には直接の人殺しはしていないけど、間接的に人を死に追いやってきた」
ナオキの家は元々ヤクザの家系で小さな頃から任侠の世界を見せられてきた。自分の目の前で何人も傷ついてきたのを見て育ち、中学を卒業してすぐに若頭として跡取りを命じられる。数十名の年上の部下を引き連れ、毎日搾取できる金を集めては大元の組へと上納していた。
そんな中、部下の1人が他の組のテリトリーを犯し、組同士の抗争に発展する。ナオキの側はさほど武力派ではなかったため一網打尽にされるのに時間はかからなかった。
行くあてもなくただひたすらに遠方へと墜ち延びたナオキはとある老人の家に押し入った。
「金と食料を出せ!」
「さて、どちらさんだったかね?」
「じいさんボケてんのか!殺すぞ!」
「この家には老いぼれが1人、満足いくような財もなかろう」
驚くでもなく恐れるでもなく、布団に寝たきりの老人はただ静かに来るべき時を待っていた。この老人にとってナオキという強盗は、自分の死が早まるか遅まるかでしかない存在であることを示しているとナオキは感じた。
「じいさん、家族はいねえのか?」
「息子は若い頃事故で死んで、婆さんは何年か前に逝った」
「そうか・・・」
好きに物色はするものの、老人が言うとおり金目の物も食べ物もそんなになかった。
「早くそちらに行きたいと願えば願う程、生き長らえてしまうこの世に神仏はあまりに無慈悲よ」
「悪いがこの手で人を殺る気はねえ。特に死にてえってヤツは殺り甲斐もねえ」
ふと手にとって見てしまったのはこの老人が若かった頃に死んだ家族と一緒に写っている写真だった。
「お前さん、真っ直ぐな眼をしとるな」
そんなことを言われたのは初めてだった。目つきが悪いだ、いつも機嫌が悪そうだと周りから言われることには慣れていたが。
「どういう意味だ」
「あんた素直だのう」
激昂するのを抑え、ナオキは老人の側に座り込み尋ねる。
「何でそう思う?」
「あんたの話にムダがない。そして動きに迷いがない」
ナオキはここに来てからの会話を冷静に振り返った。なるほど、確かにシンプルで全てに理由があり、芯がある。
「堂々としていなきゃ務まらねえモン抱えていたからよ」
「そうか」
「今は全部なくなった。思えばオレは何でまだ生にしがみついているのか・・・」
ナオキはその先の言葉を失った。同時に一筋の雫をこぼす。
「あんた、いっぺんにたくさんのモンなくしちまったんだなあ」
老人が詳しくは語らずとも年の功で理解できるとしみじみと呟いた。
「死にたがり同士だな、オレたち」
無理矢理口角を上げ、ナオキは老人にぐちゃぐちゃな顔を向けた。
と、その時外で大きな物音が物音が聞こえる。追っ手に見つかったのだろうか。ナオキは反射的に立ち上がり、その場から離れようとした。
「裏の小屋にしばらく使ってない軽トラがある。動くかどうかはわからんがな」
老人はナオキに優しい口調で語りかける。
「わしもそうだが、今生きてるってのは必ず何か意味があるんだと思っている。苦しいだけの今を越えた先にきっとよかったと思えることがある。あんたはまだ若い。いくらでも生きる道はあるよ」
「じいさん・・・」
ナオキはズズッと鼻をすすると袖で涙を拭い、立ち上がる。
「車は借りるだけだ。また来るよ」
「ああ。お互いに生きてたらな」
「そして男はその時のじいさんの名字を勝手に使ってその軽トラで日雇いの運送屋を始めたんだ」
ナオキは「おしまい」とアマネに告げると、アマネはナオキの頭を自分がしてもらった時のように撫でた。
「なんだかんだで自分はやはり義理人情で今を生きさせてもらってるんだって思うと、アマネちゃんのことも放っておけなくてね。真っ当な人生を歩いてきたわけじゃないから、自分ができる全てのことを最期までやり遂げて償いとさせてもらえたら・・・って都合いい考えなんだけどさ」
「パパは今幸せ?」
「ユキヤくんがいて、アマネちゃんもいて、2人のために頑張れる自分は幸せ者だと思う」
「ありがとう」
アマネはナオキを抱き締め泣いた。
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