サグカレーと片想い 前編

◇◇


 私、エミリーヌには、同い年で幼馴染の女の子がいる。

 この街で道具屋を営んでいる御夫婦の一人娘、ノエラだ。

 私よりも少しだけ背が低くて、赤毛でくりっとした大きな瞳が特徴的な彼女は、とても活発的で、道具屋のカウンターの奥で大人しく座ってお客さんを待つようなたちではない。

 だから、売り物を持って、街へ訪れる冒険者たちのたまり場まで売りに行ってしまうのだから、その行動力にはいつも感心させられる。

 

――なんでも自分から動かなきゃダメよ!


 が口癖の彼女だが、どうしても積極的になれないことが一つだけある。

 

 それは『恋』だ。

 

 彼女は今、『恋』をしている。

 お相手は新人冒険者のヘンリー。彼はこの街の出身で、私たちより一つだけ年下の十六歳だ。

 彼は孤児として教会で育てられた経歴の持ち主で、彼の両親は商人だったということまでは知っているが、どんな過去があって孤児となったのかまでは教えてくれない。

 それでも彼は自分の生い立ちを嘆くこともなく、真っ直ぐと大きくなっていった。

 私たちとは幼い頃からの友達で、よく遊んだものだ。

 心優しく穏やかな彼は、年下なのに、まるで私たちの御兄さんのような存在だった。

 そんな彼が冒険者になると決めたのは、ちょうど一年前のこと。

 

――ヘンリーみたいな、ひょろっとした男が冒険者なんて絶対に無理よ! 止めた方がいいに決まってるわ!


 と、ノエラが何度も止めたのは、彼のことが心配でならなかったのと、離れ離れになりたくなかったからに違いない。

 しかし彼の決意は鋼鉄のように固く、ついにこの春、彼は念願の冒険者登録を終えて、寮がある帝都へと引っ越していった。

 その後の数日間、いつも明るいノエラがちょっぴり元気なかったのだけど、それを彼女に言おうものなら、火山が噴火したように怒って否定するに違いない。

 

――見てなさい! すぐに音をあげて帰ってくるわよ!

 

 元気を取り戻した彼女は、そう減らず口を叩いていたが、ヘンリーに何度も手紙を送って、励ましていたのも私は知っている。

 

 そうして数カ月がたったつい先日のことだ。

 一通の手紙が牧師様のもとへ届いた。

 なんでも近いうちに、ヘンリーが『冒険者』として街へ凱旋してくるそうなのだ。

 もちろんそれはたった一日だけ滞在して、今度は大草原へと旅立っていくことになっているらしい。

 

――ふん! どうせ先輩冒険者のヒモなんでしょ! 凱旋でもなんでもないわ!


 なんてノエラは口を尖らせていた割には、その日のために、必死にお化粧を覚え、お小遣いをはたいて可愛い服を新調していたのを、私は微笑ましい気持ちで見ていた。

 

 そしてついに今日、彼が街へやって来る日を迎えたのだった――

 

………

……


「いらっしゃいませ! あらっ!? ノエラじゃないの? どうしたの?」



 開店してすぐに現れたノエラに私は目を丸くしてしまった。

 覚えたてのメイクをばっちり決めて、可愛らしい白を基調にしたワンピースに身を包んでいる彼女は、さながら貴族のパーティーにデビューする少女ように美しい。

 しかし、ここは冒険者たちの集まるカレー屋さん。ちょっとくらいなら汚れてもいい格好で来るのが『マナー』でもあるのだ。


 当然、冒険者たちからの視線が集まる。

 それでも彼女は、彼らの好奇な目などものともせず、空いている席にどかりと腰をおろすと、私を呼んだ。



「エミリーヌ! ちょっと、早くこっちへ来て!」


「ノエラ? どうしたのよ?」


「……来てる?」


「誰のこと?」


「もう! 知ってるくせに! エミリーヌの意地悪!」



 小さな頬を桃色に染めたノエラを見て、私はようやく彼女がここに来た理由を理解した。

 言うまでもなく、ヘンリーだ。

 新米冒険者なら必ずと言ってもいいほど、先輩たちに連れられ、腹がいっぱいになるほど、カレーをおごられる。

 それは言うなれば『新人歓迎の儀式』だ。ノエラもそれを知っていて、ここにやってきたに違いない。

 

 でも、それは決まって夜がふけてから、つまりお店が少し落ち着いてから、というのが暗黙のルール。

 今からではまだ時間に余裕がある。

 そのことを彼女に告げると、あからさまにガッカリした顔でメニューを開いた。

 

 

「じゃあ、カレーを食べながら待つわ。オススメはなにかしら? うんとヘルシーなのがいいのだけど」



 私があごに手を当て考え込んでいると、隣から水を持ってきたオンハルトさんが、低い声で言った。

 

 

「サグカレーはどうだい?」


「サグカレー? 初めて聞いたわ。でも、おじさんのオススメなら、それをいただくわ」


「はいよ」



 注文を取り終えたオンハルトさんはそのままキッチンに入ると、さっそくサグカレーを作り始めた。

 

 

「サグカレーの『サグ』ってのは、青菜の野菜のことさ」



 そう私に教えてくれながら、オンハルトさんは、沸騰したお湯の中にホウレンソウを一束入れた。

 そこに塩をひとつまみ、さらに砂糖と重曹を加える。

 

 

「まあこいつらはなくてもいいんだが。今のお嬢ちゃんにはあったほうが良さそうだな」


「えっ? どういうことですか?」



 オンハルトさんは私の問いに答えずに、茹でたホウレンソウをお湯から取り出すと、冷水で軽く締める。

 そしてミキサーの中に少量の水とともに加えると、緑色のペーストが出来上がった。

 

「ヘルシーなのがお好みってことなら、肉の代わりにマメを使おう」



 一晩水に浸して置いておいた『ひよこ豆』を塩をいれたお湯で茹でる。

 その間にニンニクをフライパンで火にかけた。

 

「あれ? すでにプレーンカレーにニンニクは入っているんじゃないんですか?」


「サグカレーは少しだけニンニクが効いていた方が味が引き立つんだ」


「でも彼女はこれから……」


「これから? なんかあるのかい?」


「いえ! なんでもないです!」



 危ない! 思わず口を滑らせるところだったわ。

 まさか恋する相手に想いを伝えにきた、なんて言えないもの。

 

 私が目を丸くして口に手を当てている間にも、オンハルトさんの調理は続く。

 よく炒めたニンニクにプレーンカレーと緑色のホウレンソウペーストを混ぜ、煮立ってきたところでひよこ豆も入れた。

 そして水分をよく飛ばすまで火にかけ、ドロっとしたところで完成だ。

 

 盛り付けたあと、少量の生クリームをかけて、より鮮やかな緑色を引き立たせる。

 

 

「砂糖と重曹を入れると、緑色が鮮やかになるんだ」


「そういうことだったのね! 今の綺麗な格好のノエラにぴったりだわ!」


「さあ、持っていっておあげ。くれぐれも可愛い服にこぼしたりしないように、紙のエプロンも一緒に渡してあげるといい」


「はいっ!」



 サグカレーを一目見たノエラは、あからさまに「げっ!」と血の気の引いた声をあげた。

 それでも恐る恐る一口、口に入れると、途端に幸せそうな顔に変わっていったのだった。

 

 

「すごぉい! カレーだわ! 見た目はグロテスクだけど、ちゃんとカレーの味がする! しかも美味しい!!」



 パクパクとどんどん口に入れていくノエラ。

 そしてあっという間に平らげたのだった。

 

 

「ふいぃー! 美味しかったぁ! ごちそうさま!」


「ふふ、よかったわ。気に入ってもらえたようで」


「さすがは王国一のカレー屋さんだけあるわ! これなら毎日食べても飽きないわね」



 ノエラは、サグカレーによほど満足したのか、ぺらぺらと『ポム』の褒め言葉を並べ始めた。

 ……と、その時だった。

 

 カラン。カラン。

 

 と、来店を報せる鐘の音がすると、数人の冒険者たちが笑顔で入ってきた。

 そして、その中にノエラの目的の人、ヘンリーもいたのだった――






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