プレーンカレーと小さな秘密
◇◇
私の名はエミリーヌ。つい先日、一七歳になったばかりだ。
私にはちょっとした『秘密』がある。
ママからは「絶対に他人に話したらダメよ!」ときつく言われているんだけど、仮に誰かに話したところで誰も信じないと思うの。
――私は魔法が使えるのよ!
と言ったって――
◇◇
カレー食堂『ポム』の閉店時刻は午後十時。
眠らない街である帝都と違って、この街では一件だけある酒場以外は、午後九時には店じまいしてしまう。
だから人々は夕食を終えれば早々にベッドへ入り、朝日が昇るのを夢の中で待つのだ。
街は大きくなく、大草原との出入り口にある『ポム』から、帝都へ続く街道の端にある出入り口まで、大人の足で三十分もかからない。ちなみに『ポム』から私の家までは十五分くらいだ。
お店からお客さんがすっかりはけると、オンハルトさんと私は、たまった食器洗いやら、店の掃除、余った食材の片付けを行う。
そうして全ての仕事が終わるのは、午後十一時より少し前。
そこで私たちはようやくその日の夕食にありつける。
そう。私が大好きな『まかない』の時間だ!
「おう、お待たせ」
「わあ! ありがとうございます!」
カウンターにオンハルトさんと二人で並んで、まかないを食べる。この時が一番、労働のありがたみを感じるのは、不謹慎かしら?
もちろんメニューはカレー。
私はオンハルトさんから差し出された器を目を輝かせて見つめた。
だがそこには具材はいっさい見当たらない。
いわゆる『プレーン』と呼ばれるものなのである。
「うーん! おいちい!」
「はははっ、そう慌てずに、ゆっくり食べな。カレーは逃げねえから」
私はこのプレーンカレーをこよなく愛している。
野菜のうまみがグッと凝縮され、余計な飾りつけがない。
たとえるなら『カレーの素顔』だ。
美味しさの原点とも言えなくもない。
そして食べながらいつも思うのだ。
――私もこんな風に、『素』で生きられたらいいのになぁ。
と。
この世界で人間は『魔法』を使うことができない。
私が『魔法』を使えるのは、ママがエルフという人間ではない種族だからだ。
人間であるパパとエルフのママは、かつて大恋愛の末、周囲の反対を押し切って駆け落ち同然で夫婦となったらしい。
そうして生まれたのが私、エミリーヌ。
私の見た目はパパと同じように人間だが、ママが使える『魔法』を受け継いだ。
でも、ママほどすごい魔法が使える訳ではないし、火や氷を自在に操ったりできる訳でもない。
ほんの少しだけ離れた場所にあるものを動かすことができる、それくらいなものだ。
それでも私の『魔法』が帝都にある研究所の人に見つかったら、たちまち私は研究対象として、一生監視されて生きることになってしまうだろう、ってママとパパは心配している。
だから、私はこの先ずっと『秘密』を隠しながら生きていかねばならない。
このカレーのように『素』をさらして生きることはできないんだ……。
そんな風に考え事をしていると、ふと横にいたオンハルトさんが私の顔を覗き込みながら問いかけてきた。
「明日……。カレーの作り方を教える。いつもよりも三十分だけ早く来てくれるか?」
「えっ? あ、はい! いいんですか!?」
「ああ、いいとも。……というよりも、お前さんには知っておいて欲しいんだよ」
「えっ? それはどういう……」
私の言葉が終わらないうちにオンハルトさんは立ちあがると、空になったお皿を持って台所の方へ消えてしまったのだった。
………
……
翌朝――
いつもなら午前十一時頃にお店に入るのだが、今日はそれよりも三十分前に出勤した。
ここから正午まで仕込みを手伝って、午後からは教会に行って、子どもたちにまじって勉強するのが日課なのだ。
「じゃあ、さっそくいくぞ」
と、オンハルトさんはいつも通りの低い声でカレー作りを始めようとかけ声をかけてきた。
そこで、私はペンとメモ帳を取り出して、彼の言葉を一言一句聞き洩らすまいと、気合いを入れたのだった。
オンハルトさんは、熱したフライパンにオリーブオイルをしき、刻んだニンニクをひとかけら分だけ入れる。
じゅわっと良い音がこだましたのと同時に、ニンニクの焦げた香りが、私の思考を食欲だけに傾けようとしてきた。
「ニンニクはしっかりと火を通した方がいい。でないと味が大ざっぱになる」
オンハルトさんの声で、ニンニクの香りの魔の手からどうにか現実に戻ってくると、私はペンをメモ帳へ走らせた。
その様子をちらりと見たオンハルトさんは、フライパンに千切りにしたタマネギを入れた。
――ジャオッ!
という音と共にタマネギたちがフライパンの中で踊り出す。そこに塩をひとつまみだけいれると、オンハルトさんはフライパンから手を放した。
その間にショウガをすりおろし、ニンジンやセロリなどを細かく刻んでいく。
わずか二分の間で、野菜たちがカレーの材料へと変わっていった。
そしてすぐにフライパンに戻ったオンハルトさんは、ガシャガシャとフライパンの中のタマネギをかきまぜ、そこにひとかけらのバターを投入した。
「バターは焦がしたらいかんが、タマネギは少しだけ焦げ目がついた方がいい。苦みが味の奥行きに変わるからな。ただ、焦がしすぎはダメだ」
「はいっ!」
「そしてこれからがカレー作りで一番大切なポイントだ。タマネギを飴色になるまで、ひたすら炒め続ける」
フライパンにタマネギを均等にならべて数十秒たってから、もう一度かき交ぜる。
それを何度も繰り返しながら、およそ二十分。
ようやく茶色になって、タマネギの原型が分からなくなってきたところで、すりおろしたショウガと刻んだ野菜、そしてペースト状のトマトを入れて煮込み始めた。
ぐつぐつとしてきたところで、ミルクとトマトジュース、ヨーグルト、果実のジャムを少々、さらにコンソメを入れて、再び煮込む。
そして数種類のスパイスがブレンドされたカレー粉を入れて、ゆっくりとかきまぜたら完成だ。
後はひたすら弱火にかけながら、鍋底が焦げないようにゆっくりとかき回し続ける。
「最後に粉チーズとハチミツを少量だけ、隠し味に入れる。これでコクが出る」
「なるほど……」
「つまり一見するとただのカレーでも、その中には色んな『味の秘密』が隠されているってもんだ」
「えっ……」
「そいつは人も同じだと俺は思ってる。誰しも、一つや二つ、『秘密』があるもんだ。それが人としての『味』だと思うんだよ。あんまり多すぎてもいけない。だが、全く『ない』というのも、味気ないものさ」
オンハルトさんはそれ以上は何も言わなかった。
でも、なぜ今日、私にプレーンカレーの作り方を教えてくれたのか。
それが何となく分かったような気がして、心の中がとても温かくなったのだった――
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