シーフードカレーと猫 後編
◇◇
今日は雷雨。ゴロゴロと空が鳴き、時々ピカリと雷光が街を照らす。
激しい雨の地面をうつ音が、店のカウンターの中からも聞こえてくる。
「今日は開店休業……かもしれねえな」
「はい……」
ここまで天候が悪いと、明日出立する冒険者は宿で大人しく過ごし、今日帰ってくる予定の冒険者は、一日だけ帰還を伸ばすのが普通だ。自然と客足は遠のき、店内は静寂に包まれる。
――ミャアオ。
店内にとことこと入ってきたミウが、心配そうに窓を見上げた。
「マルシオさん、今日は帰ってこないと思うよ」
――ミャアオ。
私の呼びかけに答える彼女の声が、ただでさえ静かな店内に一層の寂寥感を漂わせる。
私は寂しさを紛らわせようと、そっと彼女を抱き寄せようとした。
……が、しかし……。
――ニャアッ!
と、ミウは強い声を上げると、ぴょんと私から離れた。
全身の毛を逆なでながらフーフーと威嚇している彼女の様子に、私はただ苦笑いを浮かべるより他ない。
「そんなに怒ることないでしょうに……」
……と、その時だった。
――バシャッ! バシャッ! バシャッ!
と、複数の人が街の外へ走り去っていく音が聞こえてきたのだ。
その足音は緊迫感があり、何か悪い予感で胸騒ぎが巻き起こる。
「救護班か……。あの様子だと、誰かが大けがをしたのかもしれねえな」
暗い顔をしたオンハルトさんがカウンターから出てくると、ミウの顔つきが途端に険しいものに変わった。
――ミャア!
その直後、大雨の中を彼女は飛び出していった。
いつも綺麗好きな彼女が、泥だらけになるのをいとわずに飛び出していったのを見て、私の胸の内に一つの黒い影が生まれた。
それはマルシオさんの身に何かあったのではないか、というものだ。
「ちょっと行ってくるわ。店のことは頼む」
「えっ!? オンハルトさん!? 待ってください!」
私の呼び止めなどお構いなしに、雨よけの外套を頭からかぶったオンハルトさんは、巨大な剣を背負って外へと飛び出していってしまった。
一方の私はと言うと、誰もいなくなった店内でただ不安と戦い、みなの無事を祈っていたのだった。
しかし、私の祈りは虚しくも、大地に打ち付けられた雨水とともに流されてしまう。
――マルシオがドラゴンに襲われて意識不明の重体!
教会の牧師様から伝え聞いたのは、雨があがった夜半過ぎのことだった。
どうやらエルフの家族を助けるために、彼は果敢にも自分よりも遥かに大きなドラゴンに挑みかかったらしい。
致命的な一撃を食らいながらもどうにか逃げのび、エルフの無事を確保した彼は、救護班へ救助を要請。しかし、救護班の人たちが駆けつけた時には、すでに意識がなかったらしい。
まだ近くにドラゴンがうろついていたが、一匹の猫が彼を守るように辺りを警戒し、少しでもドラゴンが近寄ろうものなら、安全な方向へ救護班を導いたと言う。
さらに程なくしてシェフハットをかぶったおっさんが現れると、ドラゴンの断末魔の叫び声がこだまし、その気配があとかたもなく消えたというから不思議なものだ、と救護班の青年が教えてくれたそうだ。
「それ絶対にミウとオンハルトさんだわ……」
そして日付けが変わる頃になって、ようやく泥だらけのミウと、大きなドラゴンの尻尾をかついだオンハルトさんが戻ってきた。
「待たせちまって、わりいな。今日はここに泊まっていけ」
何事もなかったかのように、いつも通りの穏やかな笑顔のオンハルトさん。
一方のミウは、心ここにあらずといった風に、フラフラと店内をうろついている。
私はマルシオさんとミウが心配で、ずっと目が冴えたままだった。それでも人の体は正直なもので、空が白み始める頃にはテーブルにうつ伏せになって深い眠りに落ちてしまったようだ。
そして朝の仕込みの時間が終わる頃になってようやく目を覚ますと、そこにはミウの姿がどこにもなかったのだった。
◇◇
その後、数週間以上もミウは姿を現さなかった。
一方のマルシオさんは、奇跡的に一命をとりとめたと風の噂で聞いた。
なんでも帝都で一番大きな病院に入院しているらしい。
ただ、受けたダメージが思ったよりも深刻で、たとえ傷が塞がったとしても、冒険者として復帰できるかは、未だに分からないそうだ。
そしてさらに時は過ぎた。
――ミャアオ。
仕込中の昼下がり、懐かしい鳴き声が耳に飛び込んできた。
「ミウ!!」
私はイモをむく手を止めて、彼女のもとへと駆け寄った。
すると開きっぱなしの扉の向こうに人影があるのが目に入ってきたのだ。
「こんにちは。エミリーヌさん」
「まあ! マルシオさんじゃありませんか!? そんなところに立っていないで、どうぞ中へお入りくださいな!」
「いえ、今日は客として来た訳じゃないですから……」
「えっ? どういうことですか?」
「オンハルトさんにお礼を言いにきたんです。あの時、ドラゴンを退治してくれたって聞いたので」
「ああ、あの話は、やっぱりオンハルトさんだったんですね……。分かりました! すぐに呼んできますので、ちょっとお待ちください!」
私はカウンターの奥で仕込み中のオンハルトさんを呼ぶと、彼は思いの外、険しい表情でやってきた。
そして低い声でマルシオさんに問いかけたのだった。
「決意したのかい?」
「ええ……」
マルシオさんは頬をポリポリとかきながら苦笑いを浮かべている。
そしてどこかバツが悪そうに続けた。
「お医者さんからも止められまして……。もうこれ以上は冒険者を続けない方がいい、と」
「そうか……。お前さんがそう決意したなら、俺がとやかく言う筋合いはねえよ。んで、これからどうするんだ?」
「ええ、これからは救護班の一員として、冒険者の方々を影から支えようと考えております」
マルシオさんの目が強い決意で、キラリと光る。
それを見たオンハルトさんは、嬉しそうに顔をほころばせた。
「そうかい。そいつは良かったな。次の目標が見つかって」
「ええ。それに冒険者よりもずっと身の危険は減りますから」
「ほう……」
そこで言葉をきったマルシオさんは、ちょこんと肩に乗ったミウの背中を優しくなでながら締めくくったのだった。
「だから、これからはこの子とずっと一緒にいようと思います。それが俺のできる、この子への恩返しですから!」
――ミャアオ。
ミウが嬉しそうに目を細めて、甘えた声を出す。
マルシオさんは、小さく頭を下げた後、ミウとともにその場を去っていった。
ミウがちらりと私たちの方へ振り返る。
――ミャアオ。
それは「ありがとう。ごちそうさま」と言っているように、思えてならなかった――
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