シーフードカレーと猫 前編
◇◇
カレー食堂『ポム』は街の出入り口の近くに佇んでいる。
店のすぐ側の教会の裏に、一匹のメスの三毛猫が軒下で借り暮らしをしていた。
彼女の名前は『ミウ』と呼ばれている。
あまり人懐っこいとは言えない彼女は、開店時間が近づくと、必ずどこかへ消えてしまう。彼女はすごく綺麗好きだから、きらきらと輝いている毛にカレーが跳ねてくるのが嫌なのかしら?
だが、マルシオという青年冒険者がお客さんとしてやって来る時だけは別なのだ。
――ミャアオ。
甘美さすら感じさせる鳴き声が、マルシオさんの来店を報せるベルがわりだ。
彼女はマルシオさんが来店する日だけは、開店前から店の中で待機する。
別に毎日来る訳でもないし、毎週同じ曜日に来る訳でもない。
三日連続で来る時もあれば、まるまる一週間こない時もある。
それなのにミウは、実に正確にマルシオさんの来店を予告するのだ。
「おう、今日はマルシオが来るんだな。よし、じゃあ仕込みをしとくか」
ミウは何も答えずに、真顔でオンハルトさんを見つめる。
オンハルトさんは、にこにこしながら冷凍ボックスから今朝仕入れたばかりのエビや貝を取り出し、マルシオさんの来店に備えていた。
そうして開店時刻を迎え、少ししたところでマルシオさんがやって来た。
――ミャアオ。
ミウは一声あげると、マルシオさんに向かって一直線に駆け出す。
そして勢い良くジャンプすると、彼の肩にちょこんと乗っかって頬をペロペロと舐めはじめた。
「あははっ! ミウ! くすぐったいよ!」
気の良い彼は嫌がる素振りも見せず、いつもの席に座った。
「いらっしゃいませ! マルシオさん!」
「やあ、エミリーヌさん。相変わらず元気そうだね!」
私もいつも通りに挨拶をすると、爽やかな調子で返してくる。
ただ不思議なことに、この時のミウはいつにも増して目つきが鋭くなるのだ。
まるで「私のマルシオに近寄らないで!」と言わんばかりに……。
「ご、ご注文は何になさいますか?」
「ああ、いつも通り、シーフードを頼むよ!」
「はいっ! かしこまりました!」
私は怖い顔をしたミウから逃げるように、急いで注文を取り終えるとカウンターへと入った。
「シーフード、1つ! お願いします!」
「はいよ」
オンハルトさんに注文内容を告げたところで、私はカウンター越しにマルシオさんとミウの様子を見つめる。
笑いながらじゃれ合う姿は、まるで恋人同士のようだ。
だが、周囲がうらやむくらいに彼らの仲が良いのは訳がある。
とある冒険の最中、モンスターに襲われそうになっていた孤児(みなしご)の仔猫ミウを、マルシオさんが助けて、安全なこの街に連れて帰ってきたのは、まだ私がこの店で働き出す前のことだ。
だが、マルシオさんは明日どうなるか分からない『冒険者』という職業。
もし自分が冒険の途中で命を落としたら、ミウを一人ぼっちにしてしまう、そう考えた彼は自分で飼うのを諦めて、教会の牧師様にミウの身を預けたらしい。
牧師様は快く彼の願いを受け入れて、教会で飼うことにした。
しかしミウは納得いかなかったのだろう。
牧師様になつくこともなく、教会の軒下で暮らすようになった彼女は、マルシオさんが冒険に出る前のわずかな間だけ、彼と水入らずの時間を『ポム』で過ごすようになったのだった。
「うちのシーフードカレーはエビの殻で取ったダシを使うのがポイントだ」
私がぼけっとしながらマルシオさんとミウを見ていると、オンハルトさんが背後で声をかけてきた。
くるりと振り返ると、オンハルトさんは私の方を見ずに、オリーブオイルをしいたフライパンにエビの殻を入れた。
「エビの殻を赤くなるまで炒めた後に、水をぶち込む」
――バシャアッ!!
派手な音を立てて煙がもくもく上がる。
水がぐつぐつしてきたところで、オンハルトさんは火を止めた。
「フライパンでエビの殻と一緒に熱した水……もう、ダシ汁だな。それをボウルに移すんだが、その際、ザルにエビの殻を押しこむようにして、エビのエキスを絞り出す」
こうしてできた赤白く濁ったダシ汁を、別のフライパンに移したカレーの中に注ぎ込んで、ワインで軽く炒めたエビの身や貝と一緒にぐつぐつするまで煮込む。
「これで完成だ。さあ、持っていってくれ」
「はいっ!」
「おっと、忘れちゃいけねえ。こいつはミウの分だ」
小さなお皿に盛りつけられたのは、エビの殻を細かく砕いたものを余った魚の身にふりかけたもの。
これを忘れるとミウの機嫌が悪くなるのは目に見えている。
マルシオさんがいつもシーフードカレーを頼むのは、好み、というシンプルな理由だけではない。
シーフードカレーをオーダーすれば、ミウのふりかけが自然と作れるからだ。
つまりマルシオさんもまたミウとの食事の時間を、こよなく愛しているのだと思うの。
私はマルシオさんのシーフードカレーと、ミウの餌を持って、彼らの席へ持っていった。
「おお! これこれっ! うーん、良い香り!」
――ミャアオ。
一人と一匹の喜ぶ声が店の中に響くと、次の瞬間には彼らの幸せそうな顔が見られるのだ。
「はあぁ。このエビの甘さが引き立っているダシ! いつ食べても最高だなぁ」
――ミャアオ。
一足先に食べ終えたミウが、甘えるようにマルシオに頬をすり寄せている。
こうして彼らの幸せなひと時は、ゆっくりと過ぎていくのだった。
………
……
マルシオさんは非常に律義な青年だ。
翌朝、彼はいつも通り、出立前に『ポム』に顔を出して
「いってきます! 昨晩は美味しいカレーをありがとうございました!」
と、挨拶をしてきた。
朝の仕込みの最中のオンハルトさんと私は、ちょっとだけ手を止めて、
「気をつけてくださいね」
と答えて送り出す。
そこには、当然ミウもやってくる。
彼女が心なしか寂しげなものを顔に浮かべ、小さな鳴き声をあげると、マルシオさんは彼女の背中を優しくなでてから旅に出て行った。
――ミャアオ。
そしてミウは、マルシオさんの背中が見えなくなるまで、微動だにせずにじっと見つめ続けるのだった――
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