ポークカレー、二つ 後編
マルクラスさんが来店してから三日経った。
言いかえれば、私がカレー食堂『ポム』で働き始めてから三日が経過したことになる。
「いらっしゃいませ!!」
「おっ! エミリーヌちゃんも、ずいぶんと板についてきたね!」
「えへへっ!」
この頃になるとお客さんとの会話にもようやく慣れてきて、自然と声が出せるようになった。
毎日が忙しく、一人一人の顔と名前は一致しないが、それでもマルクラスさんのことだけは、あの日からずっと気になってしょうがない。
そこで、この日の閉店後、ついに私はオンハルトさんにたずねてみることにした。
すると意外な答えが返ってきたのだった。
「もうマルクラスのおっさんは来ねえかもしれねえな」
「えっ? どういうことですか? そもそもマルクラスさんは、なんで二杯のポークカレーをオーダーしていたのですか?」
オンハルトさんは、これ以上、私の問いには答えなかった。
だけど彼の予言は、翌日の閉店間際になって外れることになる――
「いらっしゃいませ! あっ! マルクラスさん!?」
その姿を見て、思わず声が裏返ってしまったのもしょうがない。
だって、彼はスーツ姿に髪も七三に整え、いかにも『役人』といった風貌だったのだから……。
「ご注文は?」
驚き戸惑っている私をよそに、マルクラスさんに水を差し出しながら問いかけるオンハルトさん。
まるで何事もないかのような様子は、どう見ても不自然そのものだ。
だが、マルクラスさんもまた、淡々とした調子で答えた。
「ポークカレー、二つ」
注文内容は、前回と同じ。ただ、今日はこれで終わらなかったのだ。
「辛い方は『弁当』にしてもらえるかい?」
オンハルトさんは、ちらりとマルクラスさんの顔を覗き込むと、「あいよ」と短く答えてカウンターの中へ消えていった。
以前と同じように二杯のポークカレーを手際よく作っているオンハルトさん。
そして一杯はいつも通りに器に盛り付け、一杯は容器につめて、持ち帰れるように袋に入れた。
「二つとも持っていけるかい?」
「はい、大丈夫です」
私は言いつけどおりに、二つのカレーをマルクラスさんのもとへ持っていくと、彼は嬉しそうにポークカレーを食べ始める。
前回よりも、ゆっくりと。
まるで誰かが座っているかのように、時折隣の空席に優しい眼差しを向けている。
私はその様子を、ただじっと見つめていた。
そうして最後の一口を口に入れ終えた彼は、小さく頭を下げた。
「ごちそうさまでした。ありがとう」
深い感情が込められた言葉に、私は次に何をすべきかを忘れてしまっていた。
するとマルクラスさんは、少しかすれた声で続けた。
「閉店前で忙しいとは思うけど、少しだけじじいの話を聞いてくれるかい?」
「え? はい」
「俺が初めて冒険へ出たのは、ちょうど三十年前のことだ。その時から、ハントという相棒がいてな。俺たちは寝ても覚めても、毎日一緒にいた。ハントは俺と違って、とても優秀な冒険者。何度も彼に救われながら、俺は少しずつ冒険を覚えていった」
「そうなんですか……」
話を一旦切ったマルクラスさんは、当時を思い出したのか、口元をかすかに緩める。
だが、口調は変わらずに淡々としたまま続けた。
「人間、慣れてくると油断が生まれちまうもんだ。だが冒険者のそれは命の危機でもある。俺はそれに気付こうとしなかった」
「まさか……」
「情けねえよな……。こんな俺のために優秀な冒険者が一人、身代わりとなって散ってしまったんだからよぉ」
「嘘……。そんな……」
再び話を切るマルクラスさん。
今度はしばらく沈黙が続いた。
そして、振り絞るような声で彼は続けたのだった。
「ここのポークカレーが俺もあいつも好きでなぁ。わずかな報酬を得るたびに、通ったもんだ。俺は『甘口』で、あいつは『辛口』。若い頃は貧しかったから、滅多に来ることができなかった」
ジャラ……。
マルクラスさんは、机の上にそっと小銭を置いて立ちあがる。
そして『辛口』のポークカレーが入った袋を大事そうに持ち上げると、カウンターの奥で背中を向けているオンハルトさんに視線を向けて、力強い声色で締めくくったのだった。
「二人分のカレーを食べてから冒険に出ると、あいつが側にいてくれているように思えたんだ。でも、それも終いにした。だからよ。今日はこれを墓前に供えて、礼を言うのさ。『今までありがとうございました』ってな」
この言葉を最後に、マルクラスさんは、店から出ていった。
それは一人の冒険者……、いや『二人』の冒険者が、引退した瞬間でもあったのだった――
◇◇
三日後――
カラン。
閉店間際になって、スーツを着た老人が店に入ってきた。
カウンターに座ったところで、私はたずねた。
「ご注文は何になさいますか?」
すると彼は晴れやかな表情で、こう言ったのだった。
「ポークカレー、二つ。……一つはお弁当で」
と――
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