ポークカレー、二つ 前編

 午後六時――


 カレー食堂『ポム』のオープンの時間だ。

 ここは冒険者たちがよく通うお店。

 

 帝都のギルドでクエストを受注した冒険者は、この街で一泊する。

 そして翌朝に冒険へ出発するのが通例。

 冒険者たちは出発前夜の景気づけの場としてもこの店を使うし、冒険から帰ってきてぺこぺこなお腹を満たすのにも利用している。

 

 つまり冒険の『行き』と『帰り』をつなぐ場所なのだ。

 

◇◇


 私、エミリーヌにとっては初めての開店を迎えた。

 ドキドキしている私に対して、オーナーのオンハルトさんが優しい声で「大丈夫だから」と声をかけてくれているのが、とても嬉しくて、心強かった。


 そしてオープンの時間。

 来店をつげる扉の鐘がカランと響くと同時に、数名のお客さんが入ってきた。

 みんな頑強な鎧に身を包んだ冒険者ばかりだ。

 すると彼らは、気さくに声をかけて、笑顔を向けてくれたのだ。


「おっ! 新入りかい!? 可愛らしいお嬢さんだねぇ!」


「いよいよオンハルトさんとこにも、看板娘が現れたってことかい! はははっ!」


 それまでの緊張が嘘のように吹き飛び、温かい気持ちに包まれた。

 そうしていくつかオーダーを取り、お料理を運んでいるうちに、お店は冒険者たちでいっぱいになる。

 とても賑やかで楽しげな様子は、とてもこれからモンスターたちと死闘を繰り広げに行く直前とは思えないから不思議なものだ。

 

 

「みんな、ここで旨いカレーを食べている時だけは、血なまぐさいことは忘れたいんだよ」



 と、とある冒険者のおじさんが教えてくれた。

 私は『冒険者』という職業とは無縁の生活を送ってきたから、彼らがいかに過酷な旅をしているのか知らない。

 でも、ここにいる時は仕事のことを忘れて、みんなが幸せな気持ちになれるなら嬉しい。

 そんな風に思いながら、目の回るような忙しさの中、私も笑顔を忘れずにカレーを運び続けたのだった。

 

 

 あっと言う間に時間は過ぎて、もうすぐ閉店の時間となった。

 お客さんもまばらで、みんな今頃は明日からの冒険を夢見て、ぐっすりと寝息を立てているのかもしれない。

 そんな深夜の頃。

 

 カラン、カラン。

 

 と、来店を告げる鐘の音が響いた。


「いらっしゃいませ!」


 そこには一人の初老のお客さま。身なりからして冒険者であることは間違いないけど、他の人々と比べればずいぶんと痩せているし、どこか疲れているようにも思える。

 彼はゆったりとした足取りでカウンターまでやってくると、静かに席に腰を下ろした。

 私はお水を差し出す。すると彼の方から話しかけてきた。

 

「注文していいかい?」


「あっ、はい!」


 急いでオーダーを取る為の紙とペンをポッケから取り出した。

 

 

「ポークカレー、二つ」

 

「えっ? 二つ?」



 とても大食いには見えない彼の口から出されたオーダーに戸惑い、思わずカウンターの奥のオンハルトさんに目を向ける。

 するとオンハルトさんは、にこやかな表情で、コクリと一つうなずいた。

 どうやらオーダーは間違っていないらしい。

 私はオーダーの紙に「ポーク。2」と書くと、それを持ってカウンターへと入っていったのだった。

 

………

……

 

 オンハルトさんのカレーの人気の秘訣は、オーダーに合わせて作り置きのカレーに手を加えていることだ。

 それは二つのポークカレーをオーダーした初老の冒険者、マルクラスさんに対しても同じだ。

 


「ポークカレーのポイントは肉を『最後』に入れるってことさ」


「お肉を最後に?」


「そう、そうすることで、肉の柔らかみが残り、風味が増す」


「へぇ、そうなんですか……」



 二つのフライパンにカレーを入れて、中火で煮詰める。

 そこまでは両方とも同じだったが、一つにはハチミツを一回し入れたのに対して、片方はひとつまみのトウガラシを入れた。

 

 

「オンハルトさん、それだと味が違っちゃうんじゃ……」



 思わずつぶやくと、オンハルトさんはニコリと微笑んだ。

 

 

「好みが違うんだよ」


「えっ? 好み?」



 ますます訳が分からずに目を白黒させている私をよそに、フライパンのカレーはぐつぐつと煮えてくる。

 そこに薄切りした豚肉を入れて、色が変わるか変わらないかのうちに、さっと火を止めた。

 

 

「器を取ってくれ。一つはいつも通り。一つはそこにある」


「はい。えーっと、これですか?」


「そうだ。厚手の手袋をして触らないと火傷するから気をつけな」



 オンハルトさんが指差したのは、弱火に当たっているカレーの鍋の真横に置かれた一枚の器だ。

 ずっと火の側にあったから、随分と熱くなっているだろう。

 私は言いつけの通りに、カウンターにかかっている手袋をはめて器を取った。

 手袋の上からでも器は相当熱を帯びているのが分かるが、なんとオンハルトさんはそれを素手で取ってカレーをよそったのだった。

 

 そして私はハチミツ入りの『甘口』カレーを、オンハルトさんは熱い器でトウガラシが入った方の『辛口』カレーを持って、マルクラスさんのもとへと運んでいった。

 

 コトリ。乾いた木と漆器が高い音を奏でる。

 私はマルクラスさんの目の前に、オンハルトさんは隣の空席に置いた。

 

 

「お待たせいたしました。ポークカレー、2つです」


「ありがとさん」



 マルクラスさんは美味しそうに私が差し出したカレーを口に運ぶ。

 

「ああ、やっぱりここの肉は柔らかくて美味しいな」


 と、漏らしながら一気にそれを平らげた。

 次に隣に置かれたカレーにも手を伸ばす。

 

 

「器が熱いから、時間が経ってもカレーが冷めてない。いつも素晴らしい心遣いだね」



 その言葉を聞いて、私ははっとした。

 器を火のそばに置いていたのは、これが理由だったんだ。

 オンハルトさんは、マルクラスさんが今日来るのを知っていて、あえてそうしていたんだ。

 

 

「はふっ! はふっ!」



 熱い上に、先ほどよりも辛いカレーを、今度は噛みしめるように、ゆっくりと食べるマルクラスさん。

 そうして店じまいの時間ぎりぎりになって、ようやくもう一つのカレーを食べ終えた。

 満足そうにお腹をさすった後、すぐに立ち上がったマルクラスさんは、私に二杯分の代金を支払った。

 

 

「ごちそうさん。今日も美味しかったよ」


「ありがとうございました!」



 最後は、他のお客さんと変わらぬやり取りをして、彼は店を後にしていったのだった。

 私はテーブルの上に置かれた二つの器に手をかける。

 すると後から食べた方の器には、一枚の豚肉が残っているのが目に入ったのである。

 

 

「あら? やっぱりマルクラスさんには多すぎたのじゃないかしら?」



 私がそう言うと、オンハルトさんは低い声で答えた。

 

 

「そうじゃねえよ。昨日までマルクラスのおっさんは、ただの一度だって食べ残したことはねえんだから」


「じゃあ、今日はなんで?」


「まあ……。そういうことか……。これで良かったんだよ」


「え?」



 オンハルトさんは、含みのある言葉で締めくくった。

 その口調はなぜか寂しそうで、私にとってはモヤモヤの残る、初めての閉店時間となってしまったのだった――

 





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