第9話
変な婆さんがいる。
一年中、朝から晩までしかめっ面をしている。
怪我をしたのだか何だかいつも大袈裟に足を引きずっている。
あたしは『病人』で『被害者』で『悲劇のヒロイン』であることを全身でアピールしたがっているようである。まあゾンビも色々な人がいるものだ。
その『被害者』婆さんが脱兎の如き勢いで走っていた。
中野通りだった。
なんだ婆さん走れるんじゃねえかと突っ込んではいけない。
そうだ。
ゾンビハンターがやって来たのだ。
白い胴着に紺色の袴姿の女。
左手に黒く長大な弓を持っている。
見るのは2度目だった。
ショートカットの黒髪。雪のように白い肌。
あの時、この女に見惚れてしまった理由は自分でよく分かっている。姉に似ていたからだ。
戦士とはいえ女をこんな最前線に送り出すのは良くない。
危険極まりないことだ。『被害者』婆さんみたいに振る舞っているのが正解なのだ。
分かってはいるのだろうが、それだけ人間側も余裕がないのであろう。若いメスの数が減ってしまうということは種にとって死活問題そのものなのであるが。
女ハンターと俺との間には50メートルほどの距離があった。
これぐらいの距離があればまだ矢もかわしやすいので俺も余裕がある。あの爆弾頭の矢も当たってなんぼの物である。
ところが最高のゾンビハンターは爆弾頭の矢を使わないとか。普通の矢を使うとか。それでまるで稲妻みたいな矢を放って、ただの一矢でゾンビを倒してしまうとか。
白いシャツの男だという。
そんなすさまじい強豪と一度お会いしたいものだが、俺みたいなペーペーはまだ歯牙にも引っかけていないのだろう。さてこの女ハンター様の実力は如何に?
廃墟の空気が玲瓏と冷えた。
秋の鱗雲の下、女戦士が天高く弓を打起し始めた。
さて俺は作戦を考える。
逃げるか、戦うか、である。
逃げるのは男らしくないなどと言うのは戦ったことのない人である。
俺は何度か狩りを経験して、獲物が力強く逃げて行くのを見ると、その背中に敬意みたいなものを感じるようになった。
逃げるというのは立派な行いなのである。
自分の身を守るために全力で生きている人なのである。
戦うならば接近戦に持ち込まねばならないが、向こうは日本刀も持っているようだ。やれやれ。こちらは爪と牙だけである。
あの刀で可愛がられてしまってはたまったものではない。
逃げようか?
そうすべきである。
うん、そうしよう。
けれども女の足元に何かの残骸……旧世界の打ち捨てられた自転車らしき物が転がっているのを見て、俺は気が変わった。
俺は女ハンターに向かって走った。
「ドン」
と俺の耳元をかすめて行った爆弾頭の矢が後ろの方で炸裂した。
地上を飛ぶチーターの如く俺は駆けた。
50メートルの距離は5秒でゼロになった。
女ハンターは日本刀を抜いていた。
裂帛の気合いと共に振り下ろされた切っ先を俺は身を翻してかわす。猫のように地を這って女の足元を回り込み、そうして自転車のフレームを手にした。
案の定金属製だった。
俺は女の2撃目をこの自転車で受け止めた。
形勢が転じた瞬間。
女の顔色が変わった。
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