第7話

 心の空き家の中に響く甘いピアノの音色。

 静かな希望を歌う上昇旋律。

 それは悲愴という曲だと姉は教えてくれた。

 悲愴。

 でもちっとも悲しそうではなく、むしろ幸福の響きのように思えた。

 緑と灰色の森の中でひざを抱えて、僕は一人甘い思い出に浸る。

 見上げる木々の隙間から秋の青空がのぞいていた。

 どうして僕は人間を狩ることを逡巡していたのか?

 僕自身がついこの間まで人間だったからだろうか?

 人間に対してまだ仲間意識というものが残っていて、人間時代に学んだ倫理観というものがまだ生きているからなのか。

 しかし僕は思う。

 もし倫理観なるものが実在して、いつも普通に作用しているならば、この世には殺人とか戦争とかは決して起きないはずである。

 けれども戦争も殺人もごく当たり前のように起こる。

 あまりにも当たり前すぎて、数が多すぎて、猟奇殺人とかではない普通の殺人事件ではニュースにすらならないほどである。

 中近東とかアフリカで小戦争大戦争が起きても、ろくに関心も持たれないのが現実だ。ビアフラ戦争って何パーセントの日本人が知ってるのだろう。

 倫理観なるものが仮に実在しているとしても、それは甚だ脆弱なものであるはずである。

 人はそのような弱いものにほとんど影響は受けない。

 人を動かすものはもっと強い何かである。

 僕は何かを恐れていたと考えるべきである。

 何を恐れていたかと言えば、自分の命の危機に他ならない。

 もっと端的に言えば、警備隊とかゾンビハンターとかからの反撃を恐れていたらしい。

 らしいなどと言うのは、よく分かっていないからである。

 何もかもよく分かっていない。

 彼我の力関係というものが特によく分かっていない。

 あの爆弾頭付きの矢というのは厄介だ。

 腕一本ならば再生も出来るだろうが、あれが頭にでも命中すれば、それでオサラバのはずである。

 信じるの反対語は考えるであり、考えるの反対語は信じるである。

 僕は人間時代からとても気が弱く、自分を信じること、すなわち自信なるものはほとんど保持していなかった。

 その弱さは今となっても大して変わることもない。

 何もかもが暗中模索の新生活の中で、いったい無邪気に何を信じればいいというのか。

 かくなる自考こそが僕の逡巡の正体であるらしい。

 

 それにしても腹が減った。

 

 死ぬほど腹が減った。

 

 僕の性向などとは無関係に、ばったりと「自考」を停止せざるを得ない瞬間もどうやら近づいているらしい。

 僕の頭の中にはまだ姉の弾く美しいピアノの音が響いているが、この音が閉ざされた時にどのような闇が 目の前に広がるのか。

 一つだけよく分かっていることといえば……………………

 ネズミはとてもまずいということだけだ。

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