ザルク・ウエルデン
ウエルデン公主であるスワインの遺体は、布にくるんでから別室に運ばれた。息子であるザルクは既に城を退出していたため、現在、呼び戻しているらしい。
娘のオリビアへの引き会わせは、まだ行われていない。あまりに遺体の状態が悪いため、女性のオリビアには会わせない方が良いだろうとの判断である。
パーティ客のほとんどが帰された。
あまりにひどい顔をしていたのであろう。イリスは、あのあと、すぐにゼクスに休むように言われ、客室に案内された。
部屋はベッドとソファがあって、ランプのそばに、ラパ茶と着替えが置かれている。着替え用に用意されていたのは、ドレスと、封魔士の制服の二着。細かなところに気づかいを感じさせた。
ただ、待遇は悪くはないが、部屋の片隅に侍女がひっそりと立っている。
監視である。
イリスの存在が魔を呼んだかどうかは別として、今のイリスを一人にすることは、出来ないとの判断なのであろう。
美しいドレスの裾は、薄汚れ、結い上げられた髪はほどけかけている。
イリスは、着替えもせず、ソファに座り、ぼんやりとティカップに満たされたラパ茶を見つめた。
ドレスをまとい、ゼクスと踊ったことが、もう随分と昔のことのように思える。
ほんの一瞬でも、夢を見たことは、そんなにも間違っていたのだろうか。
――帝都に来るのではなかった。
イリスは瞼を閉じる。
封印石の謎を解きたい。謎を解きさえすれば、ひょっとしたら、と思う気持ちが旅を決意させた。
しかし、封印石は、イリスの境遇を変えるものではなかった。
天人の影によって、知らされた『真実』は、死に逃げることさえ許されない道だ。
運命から解放されるには、魔人を倒すしかない。
なぜ、大侵攻のあの時、魔人は自分を連れていかなかったのだろうと思う。
あの時に、レザルのモノになってしまえば、こんな苦痛な人生はなかった。そう。この苦しみこそが、レザルには甘美なのだ。
自分が悩み、苦しめば苦しむほど、レザルにとっては喜びにつながる。なんという残酷な連鎖であろう。
『君を守りたい』
ゼクスはイリスにそう言った。
その言葉だけを思い出すだけで、胸が熱くなる。その想いは、おそらくレザルの望むものとは真逆のものだ。しかし――ゼクスを、自分の運命に巻き込んではならない。
たとえ、ゼクスがそれを望んでいようとも、ゼクスはこの国の皇帝となるべき人間で、イリスの傍らにいてはいけない人間なのだ。
それでも。
ゼクスに灯された光は、イリスにとっては大切な光だ。
隣りにいることはできないけれど、ゼクスに灯された光を抱いて前を向いてもいいのではないだろうか。イリスが、魔人を倒すか、魔人の花嫁となれば、しばらく魔人の侵攻は食い止められる。
ゼクスが作り上げるであろう、帝国の礎になることは可能だ。
そう思いいたると、イリスの胸は温かさに満たされ始めた。
――ゼクス様のために、できることがある。
そのためには、イリスは戦い続けなければいけない。
その生き方は、今までと変わらない。でも、ほんの少し考え方を変えただけで、心が強くなれる気がした。
――それにしても、どうして?
今までの経験では、イリスが封印石の前に立たなければ、異界の門が封印石の中に開くことはなかった。門が開くまで、イリスは鏡石とは無縁のところにいたのである。
宮殿内は実に念入りに結界が施されている場所だ。通常ならば、絶対に妖魔蟲など現れるはずのない場所である。それに、今までイリスが原因であった場合、そこには魔人レザルの影があった。
今回は、視線すら感じることはなかった。
――封印石に異常が?
イリスは、両手で自らの頬を叩いた。
――もし、そうだとしたら、呆けてなんていられない。
思考を止めていても、誰も救えない。自分の運命は変えられないかもしれないが、それでも、誰かを救うことはできるかもしれないのだ。
イリスは侍女に、レキナールを呼ぶように伝え、ドレスを脱ぎすてた。
「泣いて、悔いるのはいつだってできるわ」
封魔士の制服をまとい、イリスは顔をあげる。大侵攻からずっとそうしてきたように、背筋を伸ばした。
「封印石の様子って、大丈夫か?」
封印の間に続く階段を降りながら、ゼクスはイリスを気遣う。
階段には灯りがなく、先導するレキナールの持つランプの弱い灯だけが辺りを照らす。
帝都を守る封印の間は、窓ひとつない長い螺旋階段の底、城の地下に作られている。
「とりあえず、『異常』がないことをお二人でお調べください。そのあとで、私も入ります」
イリスは、同行している二人を安心させるように、微笑んでみせる。
恐怖がないといえば、嘘だ。
封印の間に入るたびに、感じるおぞましい感触それは避けようがない。しかし、苦痛に感じたり、嫌悪を感じることそれ自体がレザルの喜びとなるのであれば、受ける恥辱を無視することで、運命に抗いたい。
本能的な恐怖を振り払えるかどうかは、わからない。
わからないが……やってみなくてはわからない。
イリスは、階段の先へ目を向ける。先に見える深淵の闇は、いままでほど怖くなかった。
オリビアは、与えられた控室で、茫然としていた。
突然、パーティが終わりとなり、『父が死んだ』と告げられても、実感は全くなかった。
父の遺体との対面は、兄が来てからにと言われ、その時はじめて、オリビアは兄、ザルクがいないことに気が付いた。父を置いて、帰ってしまうのは、兄らしくない、と思う。
オリビアも、兄ザルクが、意に染まぬ縁談を父から勧められていたのは知っている。
ザルクは、浮名を流すタイプではなく、社交界の付き合いを好むタイプではなかったが、決してモテない訳ではなかった。オリビアから見ても、兄は、眉目秀麗なほうであったし、ウエルデン公国の時期公爵としての手腕も期待されていた。美人で、家柄が良いとはいえ、出戻りで評判の芳しくないサリーナを嫁にするのは、不満があっても不思議はない。
しかし、兄は父に絶対に逆らわないと思っていた。
「公子さまがお見えになりました」
その声に顔を上げると、兄、ザルクが部屋の中へと入ってきた。
「大丈夫かい? オリビア」
掛けられた言葉は優しいのに、オリビアは、何故だか背筋がゾクリとした。
兄の顔には、表情がなかった。しかし、オリビアが見るザルクは、いつもこんな顔だったようにも思う。自分の意志を殺し、父、スワインの意のままを受け入れていた兄。
「今から確認にいってくる。お前はここで待つといい」
有無を言わさぬ、威圧感のある声。
オリビアは頷きながら、違和感を覚える。どこが、とは、はっきりはしない。
しかし、いつもと違う、何かがある。否。もしくは、いつもならあるはずの何かの欠損か。
「お兄……さま?」
ザルクの目が、オリビアに向けられる。その瞳には、感情がみえない。
「心配はいらない。すぐにすむ」
ザルクはそう言って背を向けた。
見慣れているはずの兄の背中が、まるで違うもののように映る。
オリビアは、兄が退出してからもずっと、その背の残像を見つめ続けていた。
遺体安置所にされた部屋は、薄暗い。
ルパートは、ルゼ将軍とともに、変わり果てたスワインの遺体を封魔の陣を張った台の上においた。
手足の欠損した、遺体。しかし、遺体の状態から見て、食われる前に、絶命していたと思われる。
それを不幸中の幸いととるかどうかは、生きている人間側の問題だ。
「欲の皮のつっぱったおっさんではあったが、こんな死に方をするとは」
「公子、さすがにそれは死者の前で言うことでは」
生真面目なルゼが顔をしかめた。ルゼは、クアーナ公爵および、エリアリナ公爵と親しいがゆえに、ウエルデン公であるスワインと折り合いが良かったとは言い難い。
とはいえ、死を望むほどに険悪だったわけではなかった。
「ウエルデン公子、ザルクさまがおみえになりました」
静かな声がそう告げると、一人の男が部屋に入ってきた。
――ん?
ルパートは、思わず、男を凝視する。
優雅に頭を下げて入ってきた男は、まぎれもなくザルクだ。秀麗であるけれど、陰鬱さを感じさせる白い顔。しかし、これほどまでに無表情な瞳をしていただろうか。
「ザルク公子、こちらです」
ルゼが、安置した遺体を示すと、ザルクはツカツカと台に歩み寄り、遺体に掛けられていた布をためらいもなくめくり上げた。
「……無様な」
ザルクの口角がわずかにあがり、吐き捨てるようにそう呟いた。
「ザルク公子?」
びっくりしたルゼにザルクは酷薄な笑みを浮かべる。
「魔を封じる血を引きながら、抗うこともせず絶命するとは、我が父として情けないですね」
ザルクは、再び遺体を布で覆うと、そのまま荷物でも担ぐかのように、父の遺体を肩にかつぎあげた。
「不出来な父のせいで、お手数をおかけしました。遺体は引き取らせてもらいます」
「ザルク公子、何も公子自らそのように」
人を呼んで屋敷まで運ばせます、と、ルゼは言おうとした。
「妖魔蟲ごときに、なんなく殺されたとなっては、公爵家の恥。お気遣いはご無用に願います」
その言葉に、はじめて、冷たい怒りと憤りの感情が見えた。
「公子、おぬしの気持ちはわからなくもないが、仮にもお前の父親は、公爵だ。それなりの敬意をもって遺体を扱わねば、ルゼや、俺の立場もある」
ルパートの言葉に、ザルクはフンと鼻を鳴らす。
「我らは、『魔』を封じられる血を持つからこそ、尊い。違いますか?」
ニヤリとザルクの口角が上がり、それから、大きく息をついて、ザルクは遺体を台の上に無造作におろした。
「……しかし、将軍や、エリアリナ公子にもお立場があるのでしょう。それに敬意を表して、一応、形式は守りましょうか」
仕方がないというように、ザルクはそう言った。
「では、ひとを手配いたします。お気遣い、感謝を」
ルゼは丁寧に頭を下げ、人を呼ぶ。
ルパートは、ザルクの動かぬ表情を見ながら、どこか寒気を感じた。
――この感じは、どこかで。
背筋を這うような、嫌な冷たさに身に覚えを感じながらも、それがなんなのか、ルパートは思い出せず、ただ、ザルクの冷たい目を見つめ続けていた。
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