書庫

 謁見が終わると、イリスは、別室に案内された。

 華美ではないが、贅沢な調度品が置かれた部屋だ。皇族が、執務で客人と会ったりするときに使われている部屋らしい。窓は大きく開け放たれていて、外の中庭が見える。時折、こそこそと人の気配がするのは、ここにイリスがいると知って好奇心にかられた者なのかもしれない。

「パーティか……」

 イリスは大きくため息をつく。社交の場に、顔をさらしてしまえば、このような好奇な人々に覗かれることもなくなるのは事実だ。そして、一度顔を合わせてしまえば、その傷がいかに醜くとも、封魔の現場でつけた傷を、醜いと言えるものは少なくなる。

 クアーナの英雄を貶める噂は、消えるだろう。帝国の基盤を盤石にするには、必要なことだ。

 特に、傷を負った封魔士が蔑視されるような風潮は、許されるものではない。

 だが。

 魔人に魅入られているイリスは、公女の座に留まるわけにはいかないのだ。

「やっぱり、駆け落ちかしら」

 イリスは、自らの未来のシナリオを想い、苦笑した。

 トントン、とノックの音がして、イリスは、ぴくんと緊張した。

「どうぞ」

「失礼します」

 入ってきたのは、レキナールで、イリスはホッと息をつく。慣れない場所で緊張を強いられていたので、見知った顔は心強い。

「お疲れでしょうか?」

 レキナールは、イリスを気遣って、表情を探っているように見る。

「疲れたわ。お上品でいるのは、たいへん」

「みな、そうですよ。ゼクス様も、同じことをおっしゃっておりました」

 レキナールは、扉の向こうの侍女にお茶をもってくるように命じて、イリスに座るように促した。

「えっと、これから五日間の日程をご連絡に参りました」

 レキナールは、そういって、口を開く。

「まず、この後は、パーティ用の衣装の採寸ですね。ああ、料金等は、ご心配なく」

「本当に、パーティに出ないといけないのでしょうか?」

「ゼクス様のご意向というなら、私もお止めしましたけれど、陛下のご命令とあればどうにもなりませんので、お許しを」

 すまなそうにレキナールは頭を下げる。

「そうね。陛下の命とあれば……」

 ちょうど茶を運んできた侍女と目が合ったイリスは、侍女の目が大きく見開かれているのに気が付いて苦笑した。

「ごめんなさいね。本当に醜くて、びっくりさせてしまったかしら?」

「め、滅相もございません!」

 頭を慌ててさげ、侍女はカチャリと音を立てながら、茶器をテーブルへと載せた。

 侍女は、顔を真っ赤にしている。

「し、失礼いたしましたっ」

 侍女は、逃げ出すように部屋から出て行った。

「あらあら」

 イリスはひょいっと肩をすくめた。

「咎めたつもりはなかったのに」

「ご不快な思いをさせてすみません」

 レキナールが苦々しく謝罪する。

「いいのよ。でも、あんなふうに逃げ出すほど、醜いのかしら?」

「まさか。彼女は、噂と違ってお美しいイリス様に驚いただけです」

 レキナールの言葉をイリスはくすくすと笑った。

「もういいです。無理しないでください。それで、採寸のあとは?」

「今日はそれだけです。もっとも、それだけでも、とても時間がかかるとは思いますけどね。ご婦人のパーティの準備というのは、面倒ですから」

「……封魔士の制服で参加したらダメなのかしら?」

 イリスの言葉に、レキナールは苦笑した。

「明日からは、ゼクス様も交えて、ルゼ将軍や、たくさんの魔術師と、封印石の意見交換が始まります。そちらの方は、封魔士の制服で全然構いませんよ。場所も、城でなく魔術院の方ですし」

「よかったわ。私、ドレスは持っていないの。パーティはともかく、新しくつくっても、たぶん着る機会はないし」

 パーティが終わったら、イリスはクアーナに戻る予定だ。そして、期を見計らって公女の座を退き、国外へ出る。これは、もう、変えようがない未来である。

「イリス様は……あきらめが良すぎますね」

 ポツリと、レキナールが呟く。

「ゼクス様は、反対にあきらめが悪すぎる」

 レキナールの嘆きは、イリスには聞こえなかった。



「ゼクス皇太子が、帝都に戻った?」

 昼食時にもたらされたその報告に、スワインの顔が色めき立つ。

 ザルクは、そんな父にうんざりとしながら、カップに手をのばした。

 開け放たれた窓から、明るい光が差し込んでいる。家族全員で、白いテーブルを囲んで食事をするのは久しぶりであるが、ザルクは柔らかな気持ちになれなかった。

 帰還祝いのパーティの招待は、各公国の公爵に送られ、帝国のほとんどの重鎮が参加することになっている。スワインの頭の中は、いまや、皇太子妃にオリビアを据えることしかない。

 いかに根回しするか、そのことばかり考えているに違いない。

「仕立て屋を呼べ。オリビアに、最高のドレスを作らせよ」

 ご機嫌な父の横で嬉しそうに頷く、妹のオリビアにも、ザルクはがっかりした。

 しばらく会っていないうちに、妹はすっかり、きらびやかな世界に心を奪われていた。

 豪奢な金髪。整った顔立ち。すらりと伸び、しかもメリハリのある身体。

 兄のザルクがみても、オリビアは美しい。社交界では、オリビアに男どもが群がり、蝶よ花よとおだてあげるのも無理はないと思う。だが、そのことで、彼女はすっかり高慢で贅沢好きな女となってしまっていた。

「お父様、私、黒曜石のアクセサリーが欲しいわ。ゼクス様の瞳のいろを身にまといたいの」

 甘かったるい声で、オリビアはねだる。

「おおっ、そうだな。それは良い考えだ」

 ザルクは唇を噛みながら、口から出そうな言葉を封じ込めた。

 ウエルデン公国の財政状態はあまりよくはない。無駄な出費は最小限にするべきだ、と思う。

 だが、オリビアが望んで、皇太子妃になるというのであれば。それを否と言うほど、ザルクは妹の縁談に否定的ではない。何より、本当に皇太子妃の実家となれば、ウエルデンの帝国での地位は上がる。公国の安定にはつながるのである。

 しかし、封印石がみせた、ゼクスとイリスの幻影が頭によぎる。

「……宝石で、気を引ける男だろうか」

 声にならない声で、ザルクは呟く。

 幻影の中で見た、ゼクスの瞳には、明らかな恋情があった。

 ただの幻影だ。しかし、抱擁をかわすゼクスとイリスの姿は、あまりにも生々しく、ザルクの胸を刺す。

「宝石商を呼べ。今すぐに」

 胸のざわつきを感じながら、ザルクは大使を呼びつけるスワインの姿を、ぼんやりと見ていた。



「うーん。私、流行ってわからないのよ」

 イリスは、ドレスのデザインを問われて首を傾げた。

 ドレスの作成に呼ばれた、マーサという女性は、社交界の流行を作ると言われている仕立て職人である。

 彼女の見せてくれるデザインはどれも見事である。だが、イリスには、違いがわからない。

 いや、それを着た自分がどんなふうなのか、想像が出来ないのだ。

「……こちらのドレスは、宝石が縫い付けてありまして皆様に人気なのですが」

 マーサの言葉に、イリスは苦笑した。

「そんなに贅沢じゃなくていいの。一度しか着ないドレスなのだから」

「でも」

 豪奢なドレスを仕立てることこそ、職人の誇り、そんなマーサの雰囲気に、イリスはほんの少し辟易とする。気持ちはわかるが、そんなに華美なドレスを着たら余計に笑いものになりそうな気がしてしまう。

「入ってもいいか?」

 ドアの向こうで、声がした。

「どうぞ」

 イリスの声を待って、侍女の開けたドアから、ゼクスが入ってきた。

「どうなった?」

 ゼクスの言葉に、マーサは静かに頭を下げた。

「ごめんなさい。まだ決まらなくて。どれも素晴らしいのですが」

 イリスは苦笑いを浮かべた。

 ゼクスは、マーサの広げているデザイン画を覗きこむ。

「そのデザインは、イリスの為に描いたのではないのだろう?」

 ゼクスは苦笑した。

 マーサがびっくりしたように、顔を上げる。

「イリスのためのドレスを作れと言っている。美しいドレスを作れとは言っていない。イリスの美しさを引き出すドレスを作れ」

「ああ」

 マーサの目が大きく見開かれた。

「お、おっしゃる通りでございます。私は、その原点を忘れておりました」

 マーサはブルブルと震え、興奮で顔が赤く染まる。

「ゼクス様、あまり無茶な注文は……」

「やります。ぜひ、公女様のためだけのドレスをお任せくださいませ」

 深々と頭を下げるマーサに、イリスは苦笑した。

「では、あまり華美でないものにお願いできるかしら。ほら、普段、ドレスを着ないから窮屈なのよね」

 その言葉に顔を上げたマーサは、イリスの身体を鋭い目で見つめる。

「デザインは、任せても良いな? イリスを連れていってもいいか?」

 ゼクスの言葉に、マーサが頷く。

「よし。イリス、俺に付き合え」

「え?」

 ゼクスは、イリスの手を引く。

「見せたいものがある」

 ゼクスは、廊下をひょいと見まわす。

「レキに見つかると、うるさい」

 いたずらっぽく微笑まれて、イリスはドキリとする。

 本当は、あまりゼクスとイリスが親しいところを見られるのは、好ましいことではない。

「あの?」

 戸惑うイリスを、手招きしながら、ゼクスは地下への階段に誘った。

 階段の傍らに、用意してあったのであろうランプがあり、ゼクスはそれを手にして、階下へと降りていく。

「秘密の書庫に案内する。陛下の許可はとった」

 秘密は言いすぎだが、皇帝の許可がないと入れない場所である。

「よろしいのですか?」

「ああ。俺もずいぶん古書を見たが、今回の旅では、価値観がひっくり返ったからな。前には見つからなかったものがあると思って」

 ゼクスはニコリと笑う。

「それに、俺には解けなくても、君になら、解ける謎があるかもしれない」

「そんなことは」

 ゼクスの言葉に、イリスは首を振る。

「あるさ。大いにあてにしているから」

「がんばります」

 イリスはくすり、と笑う。

 ゼクスが、重そうな扉を開くと、ギィッと、嫌な音がして、誰もいない暗い空間が現れた。

 書庫におかれたランプに灯りをともすと、ぼんやりとしていた黒いものが、たくさんの本であることがわかった。

 部屋の中央には、小さな机があり、椅子が数脚置かれていた。

「すごいですね」

 ここにあるのは、公文書ではない。あくまでも、皇族の個人的な手記などが主に保管されている。もちろん、中には、皇族のみに伝えられる秘儀などの記載されたものもある。

 イリスは、ぐるりと書棚を見まわした。

 表題のない束ねただけの書類が山となっているのに気が付く

「あれは?」

 ゼクスは、イリスの視線の先にあるものを見て、苦笑した。

「あれは、歴代の皇族が、婚儀のときに記す誓約書だよ」

「そんなものがあるのですか?」

「ああ。なんというか、継承権がらみの取り決めを記したものだ」

 俺はまだ、よく知らんが、と、ゼクスは首をすくめた。

「歴代……ということは、アレンティア女帝も?」

「そうか。そうだな。そうかもしれん」

 ゼクスは、イリスに頷いて、書類の束に手を伸ばした。

「うわっ」

 束に手をかけた時、書類を閉じていた紐が切れ、バサリと、床に散らばる。

「しまった」

 ゼクスはあわてて、床にちらばった書類を拾い上げ、イリスもそれに倣う。

 書類を拾おうとしたゼクスとイリスの手が、不意に重なった。

「あ」

 小さなイリスの声が、部屋の中で響いた。

 ゼクスの大きな手の温もりに、イリスはドキリとする。思わず見上げたゼクスの黒い大きな瞳に自分の姿が映っているのをみて、イリスは慌てて目を背けて手を引いた。

「ごめん」

 ゼクスは手を引いて、書類を持つとそのまま椅子に腰かけた。

「俺が結婚する前に、閉じ直しておかないと怒られそうだな」

「ゼクス様の誓約書も一緒に閉じてもらえばよいのでは?」

 イリスがそういうと、ゼクスは何か呟いたが、イリスには聞こえなかった。

 問いかけても、ゼクスは答えず、そのまま書類に目を落としたのだった。


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