第三章 帝都

皇帝との謁見

 石畳は月を背にした城へと伸びる。

 帝都アリルは、賑やかな灯りが通りにおちはじめていた。

 ゼクスは、イリスとレキナールを伴って、街の喧騒の中、馬でゆっくりと城へと向かう。あえて夕闇を選んだのは、イリスの為に人目を避けたかったからだ。

 ゼクスが『帰った』となれば、たちまち公務と社交はさけては通れない。そうなれば謎解きどころではなくなってしまうのではあるが、ゼクス本人として、皇帝と今後を話し合わなければ、どうしたら良いのかわからなくなっていた。

 エリの遺跡から戻った後、ためらうイリスを説き伏せ帝都へ同行を了承させた。封印石の謎は一部、解けたものの、イリスが救われる方法は見つかっていない。

 天人の影は、『人生を謳歌しろ』とイリスに告げた。しかし、現実問題として、魔人を倒さねば、イリスは他人を巻き添えにすることをおそれ、一人で生きていくことを選ぶであろう。そして、その孤独こそ、魔人にとって甘美に違いない。

 初めて見る帝都の賑わいをイリスは興味深そうに眺めながら、進んでいる。

 落ちてきた夜の闇のせいもあって、誰もイリスの頬の傷など気にしていない。そもそも、封魔士の鎧をまとった彼女の傷を、面と向かって醜いとそしるようなものは、いない。

「あちらが、魔術院になります」

 城とは違う、堅牢な建物を指さしてレキナールが告げると、イリスは憧憬にも似た表情を浮かべてそれを眺める。『魔術を極めたかった』と、言った言葉は、本当なのだろう。そして、その想いは、未だに彼女の心の奥底にくすぶっているように思えた。

 賑やかな街並みを抜け、閑静な官庁街へ入る。ここをぬければ、城はすぐそこだ。

「やっぱり、私、クアーナの屋敷に一度戻って、それから登城したほうが良いのではないでしょうか?」

 イリスが、ぽつりと呟き、歩みを止めた。

 公国の領主は、帝都に、公務で滞在する時のために、屋敷を構えている。クアーナ公国も、例外ではない。

「なぜ? 状況を説明するのに、君がいた方がわかりやすい。クアーナの屋敷から登城となると、『正式』な公務になって面倒だろう?」

 ゼクスの問いに、イリスは苦笑する。

「私がゼクス様の旅に同行していたというのは、面倒以上に、問題があると思います」

「言わなければ、わからんさ」

 ゼクスがそういうと、レキナールが物言いたげにゼクスを見た。

「やっぱり……クアーナの屋敷に参ります。明日、城の方へお伺いしますから」

「イリス」

「私は、ゼクス様のような方のそばにいてはいけない人間です。もちろん、陛下にはすべてお話するつもりですが……レキナールさま」

 イリスはレキナールの方を見る。

「クアーナの屋敷はどこにあるのでしょうか?」

 レキナールはゼクスに目をやりながら、大きく息をついた。

「ゼクスさま、イリス様をお送りしましょう」

「レキ」

 レキナールは大きく首を振る。

「イリス様をおひとりで夜道を行かせる訳には参りません」

「私は」

 一人でも大丈夫、といいたげなイリスをレキナールは目で制した。

「帝都にお連れした時点で、イリス様はもはや、クアーナ公女。一介の封魔士と同じように扱う訳には参りません」

「そう……だな」

 ゼクスは大きく息をついた。

 クアーナ公女である以上、ゼクスの都合で振り回すわけにはいかない。

 急にそのことを実感し、ゼクスは寂しさを覚えた。

「ご心配なさらなくても、明日、必ず、登城いたします」

 淡く微笑むイリスに頷きながら、ゼクスは天を仰ぐ。

 街明かりに慣れた目に、夜空はぼんやりと暗かった。



「つまり、封印石というのは、生気を天界と魔界に流すためのものということなのだな?」

 皇帝ファルタは秀麗な顔をしかめる。

 ゼクス達が城に戻ったころには、かなり夜が更けていたが、ファルタはすぐに報告を聞きたがった。

 広い皇帝執務室は、灯りがともされてぼんやりと浮かび上がるファルタは、甥であるゼクスとよく似ている。

 ゼクスの意向で、既に人払いがなされ、部屋の中には、ゼクスとレキナール、ファルタの三人だけだ。

 執務机に腰かけたファルタの前に、ゼクスは立ち、レキナールはゼクスの後方にひっそりと立っている。

「はい。それで、生気を流せば、普段はこと足りるのですが、魔人は自らが生まれ直すために『花嫁』を欲して、こちらにやってくるそうです」

 ゼクスの苦い顔に、ファルタは大きくため息をついた。

「しかし、それは、ほぼ防ぎようがないということか?」

「はい。ただ、輝石を使用したラザナルの守りの陣は有効のようです」

 イリスは輝石のほうが封魔効果は高いという仮説を立てていた。

「国すべてにラザナルの守りを施すのは難しい。各地、要所に、ラザナルの守りの陣を作り避難場所とするのが現実的だな……」

 顎に手を当てながら、ファルタはそういった。

「現状、それしか方法がない。気を流すことに意味があるとするならば、やめるわけにもいくまい。鏡石だけという封印石に輝石を組み込む必要はあろうが……」

「そうですね。やめてしまっては、かえって魔の侵攻を呼びましょう」

 ゼクスはそう答えた。恐怖が奴らにとって美味である以上、『絶滅させない』程度に、人界を襲うことを躊躇することはない。

「……それから、イリス公女か。今すぐ、とは言わぬが、儂の立場では帝国の外に行ってもらわねばならぬ」

 ファルタは、ゼクスの顔を見て何を思ったのか、軽く首を振った。

「皇帝としての意見だ。結局のところ、彼女は生をまっとうせねばならぬのに、死するときは身内に害が及ぶという。それを防ぐには、魔人を倒さねばならない……だとしたら、この国にいても良いとは、言えぬであろう?」

「しかし、国外に追放とは!」

 ファルタは、『落ち着け』と、ゼクスを制した。

「彼女は、クアーナの英雄、いや、このルクセリナ帝国にとって、救国の英雄だ。追放などというわけにはいかん。彼女自らが望む形でなければ」

 ファルタの言葉に、ゼクスはイリスの言葉を思い出す。彼女は天人に会う前から、自分の立場をわきまえていた。『領民たちの夢の中だけでも、幸せな自分でいたい』と、寂しそうに笑った顔を思い出す。

「彼女は……身分違いの恋ゆえに国外に出るというシナリオを描いてはいました」

「賢い女性だな」

 ファルタは大きくため息をついた。

「……魔人に魅入られさえしなければ、皇太子妃に公女ほどふさわしい人間はなかったであろうに」

 ゼクスはそれには答えない。否、答えたくなかった。

 何も答えぬゼクスを、諦めたようにファルタは見つめ、軽く首を振った。

「何にしても明日、直接イリス公女に会おう。我々はもっと早くに『大侵攻』の英雄をねぎらわねばならなかったのだ。彼女を醜いとそしったものの鼻をあかして、灸をすえるべきだ。クアーナの民の怒りを鎮めねば……イリス公女は傷があっても美しいのだろう? レキナール」

 ファルタはゼクスの表情を見ながら、レキナールに問いかけた。

「それはもう。ちまたでは、オリビア公女がアレンティア女帝の再来と言われているようですが、私は、イリス様こそが、容姿も才覚も、アレンティア女帝の再来だと思います」

「なるほどね」

 ファルタは、黙り込んだゼクスに目をやる。

「まあ、ゼクスを見れば、イリスという女性がいかに魅力的なのか、想像がつくが……それはそれで問題だな」

 ファルタは大きくため息をつく。

 ランプがジジっと小さな音を立て、灯りがゆらめいていた。



「しかし、イリス様、やはり登城する、というからにはドレスが良いのでは?」

 クアーナ大使のジギルは眉をしかめる。ジギルは長年、大使を務めている男で、非常に有能である。

 年齢は四十六。髪には白いものが混じり始めていて、ひょろりとした体形だ。現在は、帝都のクアーナの屋敷の敷地に妻とともに住み、屋敷を管理している。

「でも、ドレスなんて、すぐに用意はできないわ」

 イリスは苦笑した。

 言いながら、クアーナの封魔士としての正装をまとい、髪を整える。染めた髪を元に戻したため、髪の色は銀色に戻っている。

「母のドレスのほとんどは、大侵攻のあと、売ってしまったもの」

 公国を復興させるために、ありとあらゆるクアーナ家の所有していたものは売り払ってしまった。

 帝国や、他の公国からの援助だけでは、まかなえず、領民を守るために、すべてを切り詰めてきたのだ。

「封魔士の正装は、決して無礼にはならないわ。そうでしょう?」

「しかし……」

 ジギルは言葉に困ったように眉間にしわを寄せた。

「大丈夫よ。それに……誰も、私に令嬢としての美しさなんて求めてないから」

「イリス様は、お美しいです。帝都の奴らは、知らないだけですから」

 悔しそうにそういうジギルにイリスは肩をすくめた。

「ありがとう。そうね。何日こっちに滞在するか、決めていないけど……必要なら、ドレスも作るわ。でも、今日は間に合わないから、これで行くわね」

「では、今日の夜にも、仕立て屋を手配します」

「ジギル、あまり気を使わないで」

 イリスの言葉に、ジギルはため息をついた。

「イリス様は……少しはご自分の人生を楽しむべきです」

 その言葉に、イリスは口をつぐむ。『楽しめ』と、天人の影も言った。しかし――。

「……私は、戦うことしかできないわ」

 頬に手を当てながら、イリスは呟く。

「馬車を用意して。わるいけど、ジギル、同行をお願い」

「承知いたしました」

 ジギルはまだ何か言いたそうであったが、イリスは話を切り上げた。

 


 馬車から降りると、イリスは、すぐにたくさんの視線を感じた。

 かなり、野次馬がいるらしい。

 ジギルの後ろに立って宮廷のホールで待つ間、視線を動かすと、がやがやと通路の向こうから声がする。

――ふためとみられぬ醜い女って、そんなに見たいものなのかしら。

 イリスは、つい苦笑する。

 ひとは、美しい女だけでなく、醜いという女にも好奇心をかんじるようだ。

「イリス様、こちらへ。陛下がお会いになられます」

 案内されるがままに、赤いじゅうたんの敷かれた廊下をぬけ、謁見室へと向かう間、イリスは好奇の視線にさらされているのを意識した。

――なんか、噂ほど、ひどい傷じゃなくてがっかりさせたりするのかしら。それとも噂通りと言って、大喜びしたりするのかしら。

 思わず、そんなことが心によぎり、思わず笑いが込み上げる。

――そうね。こういうことも楽しまないと。これくらいなら、誰にも迷惑はかけないもの。

 謁見室の扉が開くころには、イリスは、周囲の目を楽しむ気分になっていた。

 広い部屋の奥には、皇帝と思われるゼクスに似た男が一段高い位置に座っており、そこから控えるように、ゼクスが立っている。

 皇帝の玉座から一段低い位置の脇に、六名の男がいた。イリスの知っている人間は、レキナールと、ルゼ将軍だけだ。シンと静まり返った謁見室に、自分の歩く足音だけが響き渡ることにイリスは緊張する。

 イリスは促されるままに、玉座へと歩み寄り、封魔士としての完璧な作法で頭を下げ、膝をついた。

「ほうっ」

 感心したようなため息が皇帝から洩れた。

「顔を上げよ。イリス公女」

 イリスは、言われるがままに顔を上げた。皇帝ファルタは、面差しがゼクスに似ているが、眼光は射るような鋭さだ。

「美しいとは聞いていたが、思った以上に美しい」

 言われた意味がわからず、イリスは、思わず無言で目を見開いた。

「話は、ゼクスから聞いておる……大侵攻から今まで、苦労をしたな」

 皇帝は大きく息を吸った。

「クアーナ公国がこれほど早く復興できたのは、そなたや、ラキサスの功績が大きい。にもかかわらず、帝都には、クアーナ、特にそなたへの心無い噂が流れ、嫌な想いをさせたであろう」

「……滅相もございません」

 イリスはきっぱりと否定する。

「私の頬に醜い傷があるのは、事実でございます……ただ、そのことで我が領民が、帝都で心苦しい想いをしたというのであれば、それは私の不徳でございましょう」

 実際、ここまで噂が拡大したのは、イリスに責任がある。魔人のことがあり、縁談を受けられない事情を隠すのに都合が良かったからだ。領民たちが、英雄を貶められてどう思うかまで、気が回らなかった。

「封魔でつけた傷を醜いと言う人間は、この国にはおらぬ。おってはならん」

 ファルタはイリスを叱りつけるように強い口調でそう言った。

「ゼクスに仔細は聞いた。そなたの事情は分かっているが……名誉は取り戻すべきだ」

「陛下?」

 イリスの顔をまじまじとファルタは見る。

「まあ、論より証拠か。一度、社交界に出せば、噂など簡単に消せるな。もっとも、そのあとのことを考えると、それもやっかいではあるが」

 ぶつぶつとファルタはそう呟く。何を言われているのかイリスはわからず、ただ茫然と皇帝の言葉を待った。

「五日後、ゼクスの帰還を祝ってパーティを開く。イリス、そなたも参加せよ」

「え?」

 ファルタはふぅっと息を吐く。

「それまでは、封魔隊や魔道院と協力して、封印石の調査をゼクスとともに書類にまとめあげよ」

「それは、もちろんそのつもりですが、パーティは……」

「これは命令だ。否は許さぬ」

 ためらうイリスに、ファルタははっきりと言い切る。

「ゼクス」

 ファルタは傍らの甥の名を呼んだ。

「イリスの用意をお前にまかせる。救国の英雄だ。美しい女神に仕上げろ……国民にも見せる」

「陛下!」

「承知いたしました」

 抗議の声を上げかけたイリスをよそに、ゼクスが深々と皇帝に許諾の礼をとった。


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