女帝アレンティア

 床に散らばった骸は、錆びた刀剣や鎧を身にまとっていることから見て、どうやら武人のものであるようだ。死臭は、既にない。床にたまった埃から相当な年月、放置されていたことが見て取れる。

 アレンティアがルクセリナ帝国を興してからおよそ三百年と言われていることからみて、この遺体は、帝国が生まれたころから放置されているのかもしれない。

 謁見の間の真ん中には、大きな黒い焦げた跡があった。壁という壁、床という床に黒いしみがあり、玉座はまっ二つに引き裂かれ、それぞれ、あらぬ方角の壁際に転がっている。月日は過ぎたものの、風雨にさらされていないので、そのままの惨状を留めていると言っていい。謁見の間の奥の扉近くには、たくさんの兵士と思われる骸が折り重なっていた。奥の扉は、半開きになっていて、暗い階段があるのが見えた。

「この兵士は、この扉を守って、戦ったようだな」

 ゼクスはもはや、誰のものかわからなくなるほどに重なった骨を見下ろし、奥へ続く扉を見た。

「埋葬……してあげたいけれど、半日はかかりそうね」

 イリスは軽く首を振る。一つの穴にざっくり埋めるとしても、これだけあると相当、穴を掘る必要がある。加えて、外に運び出すだけでも大変な作業だ。

「先へ進もう。弔いは後からでもできる」

 ルパートはそう言って、手にしたランプを扉の奥へと向けた。

 石造りの暗い階段は、上に向かってらせんを描いて伸びている。窓はないようで、明かりはどこにもない。ここも埃がたまっていて、扉をすっと動かしたことによって揺れた空気がふわりと埃を舞上げた。

「行こう」

 ゼクスの言葉に頷いて、ルパートを先頭に四人は昇っていく。暗い階段は、二、三回、らせんを描いておわった。小さな踊り場の先に木の扉がある。

「鍵はかかっていない」

 用心深く調べながら、ルパートは扉を開いた。

 先ほどまでの光のない場所と違い、ぴたりと閉じた窓の隙間から光がわずかに差し込んでいた。先ほどの謁見の間と違い、破壊のあとはない。

「窓を開けよう」

 ゼクスがそう言って、ピタリと閉じられていた窓の木戸を開いた。

 さあっと、埃が舞うのと同時に、眩しい外の光と空気が部屋へと流れ込んできた。いくつかの窓を開くと、その部屋は、おそらく貴人の部屋であったらしいというのがわかった。床に敷かれた絨毯は、すでにほこりまみれであるが、ところどころ黒いしみがあるところがある。

「時がたちすぎて、もはやわからぬが……先ほどの兵士たちは、この部屋にいた人間を守っていたのだろうな」

 ゼクスは大きく息をついた。

「あちらの扉はどうなっているのかしら?」

 入ってきた扉の真向かいと、右手に扉がある。いずれも開いていた。真向かいは、どうやら廊下に出る扉らしい。右手側は、さらなる部屋があった。ルパートが、ゆっくりと扉を開くと、薄暗い部屋の床に、魔法陣のようなものが描かれていて、その中に、燐光を放つ、女性が浮かび上がっている。

 銀色の長い髪。白い肌を持つ、封魔士のような服を着た女性だった。

「……勝手に出て行く私を許して」

 彼女は突然、そう口を開いた。なんのことだかわからない一同は、ただ、その女性の姿を見つめる。よく見ると、女性の姿が、透けて、向こうの壁が見える。どうやら、幻影のようだ。部屋は、それほど大きくはない。

「マーゼル、リアナをお願い。あなたにしか頼めません」

 彼女はそう言って、首を振る。

「魔に魅入られた私は、皆と一緒には行けない……私がこの世にいる限り、たぶん奴はどこまでもやってくる。けりは私一人で、つけることにします」

「……魔傷痕」

 イリスが、息をのんで見つめる。美しい女性の頬に、大きな傷があった。

「出来るだけ早く、キシ山から離れて。天人の谷に行っても答えが得られなければ……私は奴と刺し違えるつもりです」

 女性は哀しげに目を伏せた。

「道中みんな気をつけて……もう一度、会うことがあったら、その時は、自分勝手な私を叱って下さい」

 彼女はそれだけ言うと淡く微笑み、ふっつりと姿を消した。

 床の魔法陣が淡く明滅している。

「虚像の魔法だな」

 ゼクスはそう言った。

「そのような魔法、魔法書で見たことはありませんが」

 不思議そうなレキナールにゼクスは苦笑した。

「一応、皇族秘伝の技だからな。鏡石の粉を自らの魔力を練りあわせ、虚像を作り上げるものだ。主に、皇帝が帝位につくとき、式典で使う」

 ゼクスは肩をすくめた。

「今の陛下の即位は、大侵攻のすぐ後だったこともあって、経済的な理由などから式典は極力質素に行われたからな。かなり簡略したから、使われなかった」

 もとより、皇帝の権威を見せつけるためだけのものであるのに、コストも魔力をかかる。大侵攻の一年後、財政難と、ほころびた結界の修復に忙しく、そんなものに力を注ぐことによる余力がないこともあって、式典の項目から外された。秘伝、ということで、封魔士たちが扱う魔法書には掲載されてはいないものである。

「とにかく、鏡石と輝石に関しては、秘密が多くてダメだ」

 ゼクスは苦い顔をした。実にどうでも良いような虚像の魔法ですら、秘伝である。

 封印石に関しては、『製法』以外は、なんの口述も記述もない。

「……今の女性、魔傷痕もちですね」

 イリスがポツリとそう言った。魔傷痕であれば、彼女は『魔人の花嫁』だ。皆と一緒に行けない、ということからみると、この宮殿を襲った悲劇の中で生き残った人間は、どこかへ行くことになっていたのであろう。

 ルパートが魔法陣を壊さぬように気を配りながら、灯りを持って、部屋を見まわす。入ってきた扉の他に、もう一つ扉がある。片隅にテーブルが一つ。

 部屋の片隅のテーブルに広げられたままの地図があった。

「リアナというのは、エリアリナ公国の始祖の、リアナだと思う」

 ルパートがその地図に大きく印をつけられた場所を見ながらそう言った。

「つまりは、アレンティアの妹、だな」

 ゼクスはそう言ってその地図を覗きこむ。今と都市の場所は大きく違うものの、山や川の場所はからみて、中心に描かれているのは、このエリであり、印の場所は、現在のリアナであろう。

「……では、あれが、女帝アレンティア?」 

 レキナールが驚きの声を上げる。

「女帝アレンティアが魔傷痕もちだったということですか?」

 イリスは自らの頬に手をあてた。

「魔傷痕ゆえに、アレンティアは、おそらく、天人の谷という場所に行き、天人の知恵を借りようとしたのではないだろうか」

 ゼクスは地図を広げ、天人の谷という場所を指で探す。キシ山から流れるフラム川の深い森に、その地名が刻まれていた。

「天人の谷なんて、聞いたことはないな」

 ルパートが首をひねる。

「もっとも、このエリより先は山が険しくて、人が住まない。わざわざエリアリナから出かける人間は皆無だろう。帝都からも遠い」

 キシ山の向こうには、フラザード山脈が連なり、そのはるか先に、ツラボという別の国があるが、深い山に阻まれているため、直接つなぐ道はない。

「アレンティアが、天魔である天翔ける白き馬と出会ったのは、有名だ」

 ゼクスはそう言いながら、地図を丁寧に折りたたむ。

「彼女の夫は、天人という説もありますね」

 レキナールはそう指摘する。

「もう少し調べてみる必要はあるが……この遺跡に封印石がないとしたら、エリの時代には封印石の技術はなかったのだろう。つまり、アレンティアは、ルクセリナ帝国を興す時に『封印石』の知識をどこかから得たということになる。おそらくは、『天人』か『天魔』がらみだろうな」

 ゼクスはそう言って、ふうっと息をついた。

「今日一日、遺跡を探索して、明日、その谷へ向かってみよう」

「わかった」

 ルパートは頷くと、持っていたランプをゼクスに渡した。そしてゼクスの肩をポンと叩き、にやりと笑った。

「それなら、二手に分かれた方がいい。捜索はとりあえず、殿下と公女にまかせて、俺とレキナールは、墓穴を掘る。丁寧に埋葬は無理だが、放置もできまい」

「お二人だけでは無理では?」

 イリスが心配そうに口をはさむ。

「俺はともかく、レキナールが魔法を使えば墓穴掘りもあっという間さ」

 ルパートの言葉に、レキナールはふうっと首を振った。

「異論がないわけではありませんが、確かに、手分けをした方が良いかもしれませんね。どちらも日のあるうちにしておきたいですし」

 日が落ちれば、捜索は困難を極めるだろうし、すでに死臭すらしない状態であろうが、あれだけの骸に囲まれて夜を過ごすのは精神安定上、よくはない。もとより、持参した食料などの関係から、滞在期間はそれほど長くはとれないこともあり、山に入るなら、早い方が良いのだ。

「ゼクス様、くれぐれも、約束を違えませんように」

 レキナールの言葉に、ゼクスは肩をすくめた。ルパートはニヤリと笑ったままだ。

「約束?」

 イリスが不思議そうに首を傾げたが、ゼクスは「わかっている」と、レキナールに答え、地図を荷物の中にしまい込んだ。ゼクスはランプを持ち、大きく深呼吸をする。

「行こう」

 ゼクスはイリスに目を向けた後、奥の扉のノブに手をかけた。



 ずっと、遠い人物だと思っていた女帝アレンティアが、自分と同じ魔傷痕をもっていたかもしれない。

 その事実は、イリスの胸を熱くした。少なくとも、アレンティアは、影のように生きたのではなく、現在も脈々と続くルクセリナ帝国を作り上げたのである。彼女自身が、幸福であったかどうかまではわからないが、全てを諦めて生きていくしかないと思っていたイリスにとって、それは驚くべきことであった。

「祭壇、のようですね」

 通路をたどり、奥へと向かった、イリスとゼクスは、祭壇のようなものを見つけた。

 屋根や壁はあるものの、窓は何もはまっていないため、石造りでないものは朽ちている。床にはどこかから飛んできたのであろう、木の葉が降り積もっていて、そこから外に向かって、這うように蔦植物が生えていた。

「輝石だな」

 おそらくあまり日の差し込まない床の中央に、二つの大きな黒い石が、転がっている。おそらく、もとはひとつのものであったのであろう、その石は、長い年月で丸みを帯びていて、もはや元のかたちを留めてはいないが、石の中にきらりと光る輝石が埋め込まれていた。

「封印石?」

「違うな……これはたぶん、ラザナルの守りの陣だ」

 ゼクスの言葉に、イリスは首を傾げる。ラザナルというのは、ルクセリナ帝国の隣国だ。

「ラザナルは、ルクセリナほど強力な封魔技術を持っていない。最近は、こちらから技術提供をしているけれど。ラザナルの守りの陣は、封印石に比べると範囲が狭い。その代わり、封魔に対抗するための魔法技術の研究はラザナルの方が進んでいる」

 一応、国外からもいろいろ書物は取り寄せた、と、ゼクスは説明した。

「ラザナルの守りの陣というのは、割とどこの国でも使用されている。基本は、大きな岩に輝石を魔法陣の形に埋め込むだけのものだ。残念ながら、建物ひとつ守るくらいの力しかないとされている」

「でも……封魔の効果はあるのですね?」

「ああ。ただ、封印石に比べると見劣りするのは事実だ」

 イリスは屈みこみ、輝石に指で触れる。

「エリアリナ公国の封印石は、輝石が多かったですよね……」

 イリスは呟く。

「ひょっとしたら、魔を封じる効果は、輝石の方が強いのかもしれません」

 エリアリナでは、少なくとも力を打ち込むだけの余裕があった。

「確信はありませんが……」

 封印石は、その名の通り、すでに輝石と鏡石とは別のモノである。それぞれの石にたくさんの魔力を練り合わせて作るものだ。ただ、輝石の場合は別の石に埋め込む形で陣を描くのが定石になっている。反対に鏡石は陣を描いたりはせず、魔力を練りながら、ひたすら磨いて作られる。

「私が封印の間に入ると、門は、封印石の中に開きます……でも、エリアリナでは、ほんの少し、守られているような気がしました。ラザナルの守りに効果があるというのなら、少なくとも、輝石のほうが、封魔の力は強いのでしょう」

 イリスの言葉に、ゼクスは頷いた。

「そうなると、鏡石はいったい、何なのだろう」

 鏡石による封印石は、効果があると言われている。術を施すのが圧倒的に楽だという理由で、ルクセリナの封魔は、鏡石による封印石が主流になりつつあるのだ。しかし、魔を封じるハズの封印石の中に『門』が開く――輝石に封魔の力があるのであれば、門が開くのは、『鏡石』の方なのかもしれない。

「きっと……ラザナルの守りより、封魔の力を強める何かを、鏡石は持っていて……でも、その力は、門を開いてしまう力も秘めているのかもしれませんね」

「やっぱり、アレンティアの足跡をたどるしか方法はなさそうだ」

 ゼクスはそう言って、屋外へと目を向けた。青い空がどこまでも続いている。

「……しかし。天人に渡す気には」

「え?」 ゼクスの呟きは、小さくて、イリスは最後まで聞き取れなかった。

 ゼクスは思い直したように首をすくめ、「ここには、もう何もないな」、とそう言った。

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