エリの遺跡

 うっそうと茂る木々の間を抜けると、突然、足元が人工的な白い石畳に変わった。

 石畳を辿り、視界が広がっていくと、丘の向こうへと続く石造りの階段が現れる。

「この丘を越えれば、エリの遺跡だ」

 先導しているルパートが道の先を指さした。

 ところどころ朽ちてはいるものの、長く続く道と、石塀は緑の丘を貫いている。

 イリスは肌のざわつきを感じながら、歩く。

 どうやら、石塀に時折きらめく輝石の原石に反応しているようだ。頬の傷は痛まないので、魔物の気配はないが、ずっと見られているような感覚だ。

 しかしあまりそのことに気を取られると、ゼクス達があらぬ心配をする。特に害がない以上、余計なことは言わないほうがいい。イリスは平静を装った。

 丘を登り終えると、真っ直ぐにのびた道はゆるやかに下りはじめ、眼下に朽ちた白い建物が見えてきた。

 ところどころ崩れ落ちたり、コケや蔦が張ったりしてはいるものの、そこに大きく栄えたエリの街があったことがはっきりとわかる。

 女帝アレンティアは、ここで生まれたということになっている。

 そして、天魔と出会い、彼女はルクセリナ帝国を興した。その時、住み慣れたエリの街を放棄して、現在の帝都アリルへと首都を遷している。理由などはいっさい明かされていない。

「宮殿は、あれだな。入り口が封印されていて、俺は入ったことがない」

 ルパートがそう言って、街の中でひときわ高い塔を持つ建物を指さした。塔の壁がみえぬほど蔦が這っている。

「そうだな。神殿か宮殿か……そのあたりからだ」

 やみくもに探しても意味がない、とゼクスが首を振る。

「神殿は奥の山側にある。じゃあ、まず、宮殿からだな」

 ルパートはそう言って、かつては人がにぎわっていたであろう、大通りを歩いていく。石畳は丁寧に敷かれてはいるものの、割れている場所もあり、そう言った場所にはたくましい雑草がすっくりと生えている。

 街はほぼ死んでいるといっていいが、さらさらと水路の流れている場所も残っていた。

 街に入ると、輝石がなくなったせいであろう。イリスの違和感はなくなった。

 イリス自身、このエリの街なみに心奪われて、それどころではなかったのも事実ではあるが。

「それにしても、なぜ、この街を放棄してしまったのでしょう?」

 レキナールが首を傾げる。

「確かに、山に囲まれていて帝国全土を支配するには場所が不適当ではありますが」

 それにしたって、と、レキナールは立ち並ぶ石造りの街を見まわす。

「文書には、何も残っていなかった」

 ゼクスは苦い顔でそう答えた。

「アレンティアは、ルクセリナ帝国を興し、エリの街をエリアリナ公国に遷す。そして、現在の帝都を首都とした。その意味は、必ずどこかにあるはずなのに、俺は見つけられなかった」

 大きな門が見えてきた。建物を取り囲む石塀はところどころ崩れ、緑の蔦が這いまわっている。

 門の扉は鉄でできており、ピタリと閉じられていた。

「あら?」

 イリスは生い茂った蔦をそっと持ち上げた。

 白いはずの石の表面が黒い。

「……焼けている?」

 イリスの手元を覗きこんだレキナールが、眉をしかめた。

 ゼクスは石塀の崩れた場所を確認する。明らかに『自然』に崩れたものではない。破壊の意図が感じられた。

「扉を開こう」

 ゼクスはそう言って、閉じられた門を見上げる。

「──魔力で厳重に閉じられているな」

「ああ。俺一人では無理だった。実は、塀を飛び越えようかとも思ったことがあるのだが」

 ルパートは石を塀の上へと投げ上げると、コロンと何かにぶつかって、石はこちら側へと跳ね返った。

「このとおりだ」

 ルパートは首をすくめた。

「レキ、どうだ?」

 ゼクスはレキナールの顔を見る。

「そうですね……さすがに一人ではきつそうです。イリス様、解錠魔法は?」

「少しは出来るわ」

「では、補助をお願いいたします」

 レキナールは門の中央に立ち、イリスに後ろに立つ様に指示した。

「魔法陣を今から描きますので、ルパート様、ゼクス様も力を注いでください。イリス様は私の上に陣を重ねてください」

「わかりました」

 レキナールの指示により、扉の両脇に、ルパートとゼクスがそれぞれ立つ。

「行きます」

 レキナールは大きく息を吐いた。

「空間を閉ざしものよ」

 レキナールの言葉とともに、鉄の扉に淡い光の魔法陣が浮かぶ。

「今、我が意に応え、扉を開け!」

 レキナールの呪文に合わせて、イリスが自分の力をトレースする。二人が描いた魔法陣に、ルパートとゼクスが魔力を流していった。

 四人の力がぐるりと空間をのたうつ様に絡み合い、魔法陣へと流れ込む。

 グワン。

 大きな音がしたかと思うと、重い扉がギィッとひらいた。

「開きましたね」

 ゼクスは、開いた扉の向こうから流れてくる大気に顔をしかめる。

「微弱だが、瘴気が流れてくる」

「異界の門は、開いていません」

 イリスは頬に手を当てた。

「……嫌な予感がするね」

 ルパートは首をすくめた。大きな扉の向こうにみえる中庭の向こうに、蔦に覆われた崩れた建物が見えた。



 帝都行きが明日と決まり、ザルクは、領内の懸案事項を書きとめた書類を大臣のヴァークに渡した。父は、ザルクの見合い当日、ザルクに遅れること一週間のちの出立となるが、その間に仕事をする確率はほぼゼロに近い。内政に関しては、すでに隠居しているような状態だ。おそらく帝都アリルでの政争にそなえ、ほうぼうに手紙を出したりして、根回しすることのほうが忙しいに違いない。

 ザルクは、疲労を感じながら、封印の間へと足を運んだ。

 この前。イリスの幻影を見た日から、ザルクは封印の間に行くのをためらってはいたものの、明日からここを離れるとなったら、封印石のつとめをおこたるわけにはいかない。

 ザルクは薄暗い封印の間のろうそくに灯をともした。

 静かな……誰もいない部屋である。

 磨かれた鏡石が、ろうそくの光を受けて、ゆらりと光る。

 ザルクの胸がざわついた。封印の呪文を唱えたほうが良い、と心のどこかで警笛がなっている。

――しかし。

 石に、美しい女性の姿が映る――イリスだった。

 白く伸びる石畳の道。

 会話はないものの、彼女をいたわるように見つめるゼクス。

「やめろ!」

 ザルクは目を閉じて、そう叫ぶ。

 息を整える。

『イリスはお前の女だ』

 頭に直接鳴り響く、何者かの声。

――違う。

 ザルクは首を振る。

「イリスは誰のモノにもならない」

 ザルクはそう口にする。そのはずだ。

『手に入るといったら?』

 声は自信たっぷりに、そう告げる。

――やめろ。

 ザルクは叫ぶ。

 この声に心を許してはいけないと、本能が告げている。

『あの女の滑らかな肌に触れ、体温を胸で感じたくはないのか?』

 ぞくり、とするような声。

「我に流れし聖なる血よ」

 ザルクは声を振り絞る。目を閉じたままその手を石に向けた。

「力よ。魔を退けたまえ」

 体内から渾身の力をくみあげて、封印石へと叩き込む。

 術は完成し、頭に鳴り響いた声が消えた。

 ザルクは肩で息をする。もはや封印の間は、静寂を取り戻し、何の気配もなくなっていた。

『手に入るといったら?』

 声が、脳裏にはりついたようにリフレインする。

――イリスは誰のモノにもならない。なるはずがない。

 ザルクは、自身に言い聞かせるように、小さく呟いた。



 封印された扉をぬけると、中庭とその向こうに宮殿の建物があった。

 中庭は、草が生い茂っていたが、草に埋もれるようにみえる構造物の石の表面は焼け焦げた跡があり、かなり激しい火の手が上がったことを感じさせる。

 宮殿の入り口の扉は、両開きの木戸のうち片方の蝶番が壊れかけているらしく、片側がグラグラとゆれていた。

 宮殿の石壁は蔦に覆われている。

 四人は中庭をぐるりと探索した。

「虫が、いないわ」

 イリスがそう呟く。

 草がこれほどまでに生い茂っているのに、生き物の気配が感じられない。

「そう言えば、遺跡に入ってから、一度も鳥の鳴き声も聞こえないな」

 ゼクスは空を見上げた。

 青い。晴れ渡った空だ。普通なら、この時間であれば鳥のさえずりが聞こえるのは当たり前だ。

 まして、この街は、森に囲まれているし、人も住んでいないのだ。鳥獣の気配をもっと感じてよいはずである。

「時がたって、浄化が進んだようですが――おそらく、ここで異界の門が開いたと思われますね」

 レキナールが顔をしかめた。

「瘴気の痕跡が大地に残っています。おそらく妖魔の骸が多数あったと思われますね」

 本来、妖魔を倒したら、その骸は魔界へ還すか、完全に焼き捨てなくてはならない。

「つまり……この宮殿は、妖魔に襲われたということだな」

 ルパートが渋い顔で首を振った。

「ひょっとして、アリスティアが、この地を離れたのは……ここを放棄したということかしら」

 イリスは首を傾げた。

「さきほどの扉は魔法で厳重に閉じられていました。放棄、というよりは、封じたのかもしれませんね」

 レキナールが苦い顔で呟く。

「……中へ入ってみよう」

 ゼクスが重々しく口を開き、宮殿の扉を開いた。


 扉を開くと、ふわりと埃が舞う。異臭はしないものの、ほこりっぽさは否めない。

 ランプを手に、中に入ると、入り口はホールのようになっていて、高い吹き抜けの天井の天窓から、光が差し込んでおり、思いのほか明るかった。

 扉を上げた目の前には大きな扉。ホールの両脇は通路がそれぞれ伸びている。

 目の前の扉は木でできていて、痛んではいるもののしっかりと閉じられている。白かったであろう壁には、黒いしみや、すすの痕があり、壁面に飾られていたはずの絵画は無残にも半分に切り裂かれ、廊下に打ち捨てられたままだ。

「戦いのあと、すぐに放棄したんだな」

 修繕のあとや、片づけた痕跡がない。

「開けるぞ」

 ルパートはそう言って、正面の扉を開いた。

「え?」

 全員が息をのむ。

 広い謁見の間に、折り重なったどくろが床中にちらばっていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る