アレンティアのレリーフ
「縁談、ですか?」
ザルクは眉間にしわを寄せた。
帝都からの便りに浮かれていた父に呼び出された時点で、ろくな話ではないとは想像はしていた。
不機嫌な息子に気が付いた様子もなく、スワインは機嫌よく口を開く。
「陛下の姪にあたる、サリーナ姫だ。良い話だぞ」
誰にとって、良い話なのか、とザルクは内心で呟く。
「サリーナ殿は、私より年上では?」
「年上といっても、二つほどではないか。サリーナ殿の才知と美貌は帝都でも皆の知るところだぞ」
「……しかし」
サリーナは、ファルタ皇帝の后の兄にあたる、ガーディ宰相の娘だ。
確かに、賢く美しいが、二十八にして既に出戻りである。
「とにかく、お前にはもったいないほどの女性だ。話は進めておく」
「父上……サリーナ殿はご承知ではないのでは?」
ザルクは、小さく抗議する。
サリーナとは面識がある。プライドが高く、権力志向の強い彼女は、ザルクのことは歯牙にもかけていなかった。彼女の前の夫は、ルゼ将軍の懐刀と呼ばれているムアド副将軍である。噂では、ムアドがあまりに出世に無欲で、将軍に忠誠的だったがゆえに、サリーナが愛想をつかしたという話だ。
出戻りで年上というハンデがなければ、それこそ皇太子妃を狙いにいくタイプの女性である。
「ご承知もなにも、これはサリーナ殿が望まれたことだ」
「まさか……」
言いながら、腑に落ちるところがあった。皇太子がウェルデンの公女オリビアと結婚すれば、ウェルデン公爵家の権力はずっと強いものになる。今まで四つの公国の中で、どちらかといえば軽んじられているウェルデンであったが、皇太子妃の実家となれば、話は別だ。
今まで何の魅力もなかったウェルデン公爵妃の立場が、サリーナの中で光り輝き始めたのに違いない。
それにしても。
父がサリーナとの縁談を進めるのは、間違いなく彼女の父が宰相だからである。彼女が皇帝の姪だからである。
「少し、考えさせて下さい」
「考える必要など、ない」
ぴしり、とスワインは言い捨てる。
ザルクは、小さく首を振り、部屋を退出した。
出戻りでも、年上でも、相手の美醜でさえ、本当のところはどうだっていいのだ。息子の幸せとは言わない。せめて領民の幸福を心底願っての縁談であれば。
「オリビアも同じ気持ちか……」
帝都で華やいだ生活を送る妹の心中を察し、ザルクは天を仰いだ。
目が覚めると、イリスは自分の待遇が変化しているのに気が付いた。
最初に用意されていた部屋も立派であったが、この部屋は客室というより、女性の私室のようだ。丁寧に清掃されてはいるものの、しばらく部屋の主がいないようで、飾られているタペストリーの絵は、季節外れのものだ。
「お目覚めになられましたか?」
窓のカーテンを引き、光を部屋に入れながら女官が笑いかけた。
「ええ」
イリスは頷きながら、軽く微笑む。
「お加減はどうです?」
「いいわ。ここは?」
身を起こし、ベッドから立ち上がろうとして、自分が絹のネグリジェを着ていることに気が付く。寝台の横におそらくイリスの為に用意されているのであろう服は、シンプルなデザインだが着心地のよさそうな布で作られた黄色のドレスだ。
「ここは、二年前に嫁がれたレイラ様のお部屋です。こちらの服もレイラ様が残していかれたもの。どうぞご遠慮なさらずに。」
「レイラ公女の?」
イリスは慎重に記憶をたどる。レイラ公女は、ルパートの姉で、ジェルダン公国の公爵妃となったひとだ。
「お加減がよろしいようでしたら、お食事にいたしましょうか?」
「あの…… どうして私はここにいるの?」
封印の間で、意識を失ったことまでは覚えている。
「公爵様が、イリス様をこちらへお運びする様にとおっしゃられまして」
「エリアリナ公が?」
イリスはゆっくりと立ち上がる。頭が少しふらついた。ふらつきながら、ふと、女官が「イリス」と呼んだことに気が付いた。
女官は、ドアの向こうに何事か声をかけている。
「殿下は……ゼクス皇太子様は?」
状況が呑み込めず、イリスは問う。
「皆様、ルパート様の執務室にお集まりですわ」
優しくそう告げながら、女官はイリスに椅子をすすめた。
「では、私もすぐに用意をしてそちらに伺いたいのですが」
「承知いたしました。ですが、まず何か召し上がって下さい。イリス様は、二日も眠っておられたのですから」
「え?」
最後の記憶は、魔人レザルの自分を呼ぶ声。
自分がまだ生きているのも不思議だ。何かしらゼクス達に迷惑をかけたのは間違いない。
そして、イリスの正体もバレてしまったようだ。
――なんてこと……。ゼクス皇太子の手を煩わすためについてきたのではなかったのに。
イリスは大きくため息をついた。
「それで、エリの遺跡へ向かう準備はどんな様子だ?」
ゼクスの言葉に、ルパートがニヤリと笑った。
あれから二日たっている。イリスが寝込んでしまっているため、もともと出立する気はないが、山奥にあるエリの遺跡には充分な装備が必要である。本人は平気だと言うであろうが、イリスを連れていく以上、それなりの準備が必要だ。男二人で、ふらりと出かけるのとは訳が違う。
「食料と、馬は用意した。案内は俺がする予定だから、何の問題もない」
「……しかし、公子自らご案内していただかなくても」
レキナールは顔をしかめる。厄介ごとが増えると、言いたげである。
「その件は、俺と皇太子殿下とで、決定事項だから。親父の許可ももらっている。悪いな、レキナール」
ルパートの言葉に、レキナールは無言でそっと肩をすくめた。
日は、柔らかく部屋に差し込んできており、ほんの少し汗ばむような陽気だ。女官が冷たい水をテーブルの上に置いて、頭を下げ去っていく。
ゼクスは冷水を一口飲むと、何も言わず、地図を広げた。エリの遺跡までは、それほど困難を極めるというわけではないが、山奥にある。ルパートは封魔の修行と称して、近隣まで遠乗りをしているらしい。
「ルパート様、イリス公女殿下をお連れいたしました」
女官の声がして、扉が開くと、黄色のドレスをまとったイリスが入ってきた。
シンプルなデザインだが、柔らかで上等な布地で作られたドレスは、豊かな胸とくびれた腰のラインを艶やかに描く。露出の少ないデザインではあるが、三人の男の目が胸元に集中してしまうのもやむを得ないことであろう。
イリスは、戸惑った表情でゼクス達を見回し、優雅に頭を下げた。
「随分とご迷惑をおかけして、大変申し訳ございません」
「身体の調子はどうだ?」
ゼクスはイリスの胸元から目を外しながら、慌ててそう言った。
「はい。とても快適です……その、このようなドレスまでご用意いただいてしまって……」
「それは、姉貴のお古だから、気にしないでくれ」
「でも……」
イリスは、戸惑った表情のままルパートに目を向けた。
「君の父親と俺の父親は、親友だった。しかも、俺の親父は、ルゼ将軍とも親しい。魔傷痕もちなど、そうはいないから、君がイリス公女だということは話を聞いてすぐにわかった」
「……ルゼ将軍ですか」
ルパートの言葉に、イリスは得心したように頷いて、苦笑した。
「将軍には、随分お世話になりました。私と兄が、生き延びたのは、将軍が来てくださったからです。大侵攻のあとにもいろいろ気にかけていただいております。」
イリスはそう言って、「将軍がお話になられたのですね」と小さく呟いた。
「将軍を責めないでやってくれ。親父は、クアーナのことが心配で、将軍に聞きほじったらしいから」
君の将来のことも含めて、と、ルパートが言い添えると、イリスは「気にしていません」と、笑った。
「将軍がお話になったというのなら、それは必要だったのでしょうから」
その言葉に叔父への絶対的な信頼を感じて、ゼクスは場違いな嫉妬を感じる自分に、思わず苦笑する。
「……それに、君は、ラキサスにそっくりだ」
ルパートはそう言って、ニコリ、と笑う。
「そうでしょうか?」
イリスは不満げに首を傾げた。
「殿下にも、レキナールさまにも言われましたが、そんなふうに考えたことはございませんでした」
ゼクスはそっと首をすくめた。
ルパートの話に嘘はないが、若干、省略がある。
もちろん、ルゼ将軍がエリアリナ公と親交があり、イリスの魔傷痕について内密に語ったのは事実だ。しかし、エリアリナ公は、その事実を、ルパートに語ったことはなかった。
エリアリナ公が、その事実をルパートやゼクスの前で口にしたのは、イリスが倒れた後のことである。
ルパートがイリスに気が付いたのは、亡きクアーナ公が送ったという、イリスの似姿を見ていたからだ。
だが、ルパートは、そのことに対しては、話すつもりはないらしい。
――俺と彼女は、何も始まってすらいなかった。
ルパートはそう言った。確かにそうだ。話したところで、どうしようもない。
しかし、封印石の謎が解け、魔人を倒すことが出来たなら……どうなるのだろう。
そう思うと、ゼクスは胸がキリリと冷えるのを感じ、そんな自分に呆れた。
――そもそも、封印石の謎も、魔人も、何一つ解決してはいないのに。
「で、どうする? ゼクス」
ルパートの声に、ゼクスは我に返った。イリスとレキナールも、ゼクスの顔をじっと見ている。
どうやら、出立の日程について聞かれているらしい。
「イリス、体調はどうだ?」
ゼクスは、イリスの顔を見る。
「先ほども申し上げましたとおり、私は大丈夫です。今からでも平気ですよ」
にこやかに微笑むイリスがとても眩しい。
さすがにそれは無茶だ、とゼクスは苦笑した。
「ルパート、明朝はどうだ?」
「大丈夫だ」
「では、明朝、出立するが……その前に、イリス、ラパ茶を頼んでもいいか?」
「ラパ茶ならすぐ入れさせるが」言いかけたルパートを慌ててレキナールが制する。
「イリス様のお入れになったラパ茶は、別物です。きっと驚かれますよ」
「他のお茶は飲めなくなる程だ」
ゼクスの言葉に、イリスは少しだけ頬を染めた。
明朝に出立ということが決定した後、早めの夕食会を開くと告げられ、イリスはレイラの部屋で、女官たちに囲まれた。イリスは遠慮したが、有無を言わさぬ押しの強さで、女官たちは、イリスに大胆な黒のイブニングドレスを着せ、焦げ茶色に染めた髪を、丁寧にくしけずった。そして頬の傷を消すまではいかぬまでも、うっすらと肌に白粉をはたき、唇に柔らかな紅を引いた。
「とてもお似合いですわ」
こういうことになれないイリスが疲労するほど、女官たちは仕事に熱中し、そして、自分たちの仕事に満足したように、イリスの姿を眺めた。
「こんな美しい方を、『ふためとみられない』だなんて。噂は本当にいい加減ですわ」
女官は我が事のように憤慨して呟く。
「本当に、あんな噂を流したのはいったいどこの誰かしら。イリス様にフラれた男が適当に話を作っているのではないかしらね」
女官たちが勝手に盛り上がるのを見ながら、イリスは苦笑する。
もちろん、噂がどこから発生したのかイリスは知らないが、積極的に否定もせず、拍車がかかるのを助勢するかのような行動をとってきたのは、当のイリス本人であることを、彼女たちは知らない。
イリスは苦い想いを若干抱きながら、ゼクスにエスコートをされて、食堂に入った。
白を基調にした食堂には、すでに灯りが灯され、テーブルには美しいクロスが掛けられている。
イリスは、食堂に掲げられた彫刻に目を奪われた。アレンティア女帝だ。
クアーナのサルダの城の食堂にも、レリーフが飾られているが、大きさからして違う。白い馬にまたがり、弓を引く美しい女性。そして、その傍らに立つ偉丈夫。出自はおろか、名すら歴史から伏せられているアレンティアの夫である。
――天人ね。
魔人は現実にいるが、天人というのは、おとぎ話のような存在で、誰も見たことがない。
しかし、イリスを含めこの国を束ねる人間に流れている封魔の血は、その天人からもたらされたと伝えられている。
「天人ならば……君を魔人から解放する術を知っているかもしれないな」
不意に心を読まれたかのような言葉をかけられ、イリスはドキリとした。
「ゼクス様……」
イリスは俯いた。国の今後を憂いて謎を解こうとしている皇太子に比べて、何と自分勝手な思想なのか。天人に、もしも会えたならば、自分のことよりも、もっと聞くべきことはたくさんあるのに、と、イリスは思い至り、恥じ入った。
「いつまで、二人でそこに立っているつもりで?」
既に席についていたルパートが、からかうようにそう言った。
「も、申し訳ありません。私、見入ってしまって」
イリスは慌てて頭を下げる。
「無理もないですよ。この彫刻は本当に素晴らしいですから」
レキナールが横から口をはさむと、ルパートは首をすくめた。
「しかし、このまま二人の世界に入られると、料理長が泣く」
「……別に、入っていない」
ゼクスはムッとして席についた。
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