エリアリナの封印の間

「大丈夫です。行きます」

 深い呼吸の後、部屋で待ち受けるゼクス達に、イリスはしっかりと頷いた。

 エリアリナの封印石の間も、クアーナと同じく円形に作られ、中央に白金の封印石が置かれている。ただ、中央の石の大きさが、クアーナのものより、ずいぶんと小さかった。

 その代わり、というべきか、床には、中央の石から細かな輝石を等間隔で埋め込んで陣が描かれている。

 恐る恐る、中央の石の前にイリスが立つと、白金に輝く石がくもりはじめた。

――ああ。やっぱり。

 自分を見つめる銀の瞳。暗い藍色の髪に、青白い肌。

「これが、魔人…」

 ルパートは、石に映る魔人の姿を認め、思わず言葉を漏らす。

『来い。イリス』

 イリスの頭の中に魔人レザルの声が響いた。

――でも、いつもとは違う。

 全身を縛り上げられるような感覚はなかった。舐め上げられるような何かが身体を這うようなおぞましさもない。

 ただ、頬に刻まれた傷に激痛が走った。どこかで、異界の門が開いているのは間違いない。

「しっかりしろ」

 激痛を感じて、よろめいたイリスの身体をゼクスが支えた。

「ダメだ。レキナール、彼女を外へ」

「待ってください。私に、チャンスを」

 手を伸ばすレキナールの手を断り、イリスはそう懇願した。そしてじっと目を閉じる。

 足元に張られた陣から、力が流れてくる。それが自分を守ってくれているのを肌で感じた。

「我に流れし聖なる血よ」

 頭の中にレザルの声が反響するのを、イリスは無視した。

「力よ。魔を退けたまえ」

 体内からくみ上げた激しい「気」の力を、封印石に叩きこむ。

 術が完成し、石の色が輝きを取り戻した。

「……消えた」

 封印の間に、静けさが戻ってくる。

「まだ、ダメ。どこかで門が開いています。わからないけど」

 頬の傷の痛みが消えない。

 ビリビリと肌を刺す痛みに、イリスは顔をゆがめた。

「門? 魔磁針は反応していない…」

 ゼクスが言いかけた時。どん、と空気が震えた。

「我が花嫁よ。我がもとへ来い!」

 封印の間に、魔人レザルの声が響き渡った。

 ビリビリと空気が振動し、石に魔人の姿が描きなおされる。イリスの身体は、目に見えぬ鎖のようなものに締め上げられ体の自由を奪われた。あまりの激痛にイリスは意識を失い、抗うすべを失った身体は封印石の鏡面に引き寄せられた。

「イリス!」

 とっさに、ゼクスは名を呼び、手をのばした。

 イリスの胸に下げられた魔磁針が、はっきりと封印石を指している。

「我が血に流れし聖なる力よ」

  ゼクスは石に吸い込まれそうになるイリスを抱き支えながら、剣を抜いた。

「その血に契約により、我、乞い願う」

 激しく大気が揺さぶられる。明らかに封印石の中から、力が噴き出す。大気が怒りで振動しているかのように震えていた。

 ゼクスの意図をよみ、ルパートとレキナールも呪文を唱え始めた。

「闇よりいでし魔人よ、滅びよ」

 ゼクスは封印石に剣を突き立て、力を叩き込んだ。

 ビリビリと大気が震え、魔人の叫びが轟く。

「力よ、魔を退けたまえ」

 ルパートとレキナールの呪文が完成し、二人の唱和とともに、封印石が激しく発光した。

 ゼクスの剣が完成した封印に弾かれ、剣を持つ手に衝撃が残る。

「ダメだ。逃げられた」

 ゼクスは、気を失ったイリスを抱きかかえ、封印の間の外へ寝かせた。

 イリスの肌は青白く、やや冷たい。だが、確かにその胸が呼吸しているのを見て、ゼクスは安堵し、部屋に戻った。

「大丈夫。変化はなさそうだ」

 封印石を観察しながら、ルパートが告げた。

 石は何事もなかったかのように、白金に輝いている。

「確実に、門が開いていたな。それも封印石の中に」

 ゼクスは頷く。そうでなければ、封魔の力を叩き込んだ時点で、封印石は粉砕するはずである。

「とりあえず、念を入れて封印をもう一度しておきましょう」

 レキナールが呪文を唱え始める。

 ゼクスは、それを待たずに、輝石を辿りながら魔法陣を自らの魔力で描き重ねた。

「魔磁針の反応はない。というか、もともとなかったが」

 ルパートが自分の魔磁針に目をやった。

「話は、彼女が起きてからにしよう」

 ゼクスは、封印の間に平穏が訪れたことを確認し、そう結論付けた。

「そうだな、いつまでもを床に寝かせとくわけにはいかん」

 ぼそり、とルパートが呟いた。



「……いつから、気が付いた?」

 ゼクスはルパートの私室で、顔をしかめながらラパ茶を飲んだ。

 レキナールは別室で、気を失ったイリスの傍らについている。

 窓の外は既に暗く、眼下に広がるはずの街並みも闇に沈んでいた。

「彼女の顔を見たとき。あとは、お前の態度だな」

 ルパートは、戸棚の奥から一つの箱を取り出して、ゼクスに渡した。

 ふたを開けると、女性の似姿が描かれた一枚の絵が入っていた。

 まだ幼さの残るものの、息をのむほどに美しい銀の髪の少女が、かしこまって椅子に座っている。

「……これは?」

 驚くゼクスに、ルパートは苦笑を浮かべた。

「大侵攻の前に、クアーナ公がうちの親父に見合い用に送ってきたイリス公女の似姿だよ」

「見合い? ラキサスは、ウェルデンのザルク公子と縁談があったと言っていたが……」

 ゼクスの言葉に、ルパートは首を傾げた。

「そこまでは俺は知らん。俺とイリス公女の話は亡くなったクアーナ公と親父の間だけの話だったらしい。たぶん、ラキサスもクアーナの大臣も知らないだろう」

  ルパートはゼクスから似姿の絵を奪い返すように受け取ると、幼いイリスに見入った。

「俺も、十七か八くらいのころだったから、親父に言われても、結婚する気なんてなくてさ。似姿が送られてきたのに、全然見る気もなくてな……今思えば、もったいない話さ」

 ルパートはそっと箱にふたをした。

「絵が送られてきてから数か月たっていた。ふと、これを見て慌てた。その気になって大急ぎで絵師を呼んだら、大侵攻が起こった。俺が見合いを受ける気になったことは、亡くなったクアーナ公も知らない」

「ルパート」

「侵攻後まもなく、親父はイリス公女との縁談をどうするか悩んだらしい。彼女は英雄だったからな。お前の后候補筆頭の呼び声も高くなった」

「……俺は、知らんぞ」

 ゼクスは初耳である。侵攻後しばらくは、父王の死などもあり、雑務が多くそれどころではなかった。それはイリスも同じだろう。

「ただ、彼女を推薦していたお前の叔父のルゼ将軍が、突然、それを取り下げた」

 叔父のルゼは、封魔隊の将軍として、侵攻からその後、何度も足しげくクアーナ公国を訪れていたのはゼクスの記憶にもある。

 取り下げた理由は間違いなく、彼女の魔傷痕ゆえだろう。

「親父は、ルゼ将軍と話したらしい。俺はイリス公女との縁談は諦めろとそれだけ聞いた」

 ルパートは首を振った。

「ウェルデン公が縁談を持ち込んだ理由は、おおかた、お前とイリス公女の縁談を阻止したかったんだろうよ。ついでに、顔に傷持ちの英雄を嫁にもらえればウェルデン公国の評判は万々歳。あの狸爺の考えそうなことだ」

「そんなところかもしれんな」

 そこまで悪意に満ちた見方をしたくはなかったが、ウェルデン公の昨今の態度を見ていると、そう思ってしまう。

「……それで、ルパート。お前はどうする気だ?」

 ゼクスは、さぐるようにルパートの顔をのぞきこむ。

「どうって。どうもできないだろう」

 ぼそり、とルパートは呟く。

「俺と彼女は、何も始まってすらいなかった。それに魔傷痕持ちじゃ、どうにもならん」

 ルパートは、ゼクスの肩に手をのせ、にやりと笑う。

「万が一、魔人を倒したところで、皇太子殿がぞっこんの姫君に、俺が手を出せるはずもない」

「茶化すな。」

 ゼクスは語気を強める。

「後生大事に似姿を保管しておきながら、簡単に手を引くお前じゃないだろう……それとも」

 ゼクスは残りのラパ茶を飲みほした。正直、まずい。

 イリスの入れたラパ茶を知ってしまってから、これは苦行にしか思えなくなった。イリスの発見した、ラパ茶の入れ方だけは、早々に帝国全土に広めなければとしみじみ思う。

「実際の彼女は思ったほど好みではなかったのか?」

「それを聞いてどうする? 魔人相手にだって、身を引く気はないくせに」

 その言葉に応えず、ゼクスは立ちあがり、窓の外を見た。

「結局。封印石の謎を解かねば、どうにもならん」

 エリの遺跡に行ったところで、どうにもならない可能性もある。それでも、何もしないでただ時を過ごしたくはなかった。

「ゼクス」

 ルパートは、似姿の入った箱をしまうと、心を決めたようだった。

「エリの遺跡は、俺も行く。行ってもいいよな」

「ああ」

  夜の闇の中に、ひときわ明るく月が輝いていた。


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