遺跡へ
エリアリナ公は、ルパートとよく似た面差しをしていた。ほんの少しだけ頭に白いものが混じり始めているが、社交界ではまだまだ、ご婦人方に人気があるというのもうなずける。
「はじめまして」
イリスは椅子から立つと、丁寧に頭を下げた。
「本当に、大きく美しくなられましたね。母君にそっくりだ」
エリアリナ公は目を細める。
「イリス殿は覚えていないでしょうが、あなたがまだ、三歳くらいのころ、ルパートと一緒にクアーナ公国を訪れたことがあるのですよ」
「え?」
イリスだけではなく、ルパートも目を見開く。
「……もっとも、愚息はラキサス殿と遊んでばかりでしたが」
「覚えていない」
ムスッとルパートは口を開く。
「まあ、そうだろうな」
ふうっと、エリアリナ公はため息をつき、「お前がイリス殿を覚えていたら、いろいろ変わっていたかもしれん」と、小さく呟いた。イリスにはその言葉の意味がわからなかったが、ルパートとゼクスの二人の表情が曇ったようであった。
「殿下、エリの遺跡に行かれると、言われましたな?」
「ああ」
エリアリナ公の言葉に、ゼクスは小さく頷いた。
「エリの遺跡には、たくさんの輝石が使われている……そこら中に」
イリスはギュッと手を握りしめた。
「イリス殿は、ここに残られた方がいいのではないかな?」
エリアリナ公は、そう言って、いたわるようにイリスの方を見た。
イリスは、エリアリナ公の言葉に、はっとなる。輝石は、あくまでも『封印石』の材料であり、建物に装飾として使われているような輝石そのものに魔を封じるような力はない。ないが、万が一のこともある。
「イリス、君はどうしたい?」
ゼクスの瞳に、イリスの顔が映る。
「ご迷惑をおかけしてしまうかもしれませんが……ゼクス様さえよろしければ、私も行きたいです」
魔人と封印石の関係は、封印石を各地に配置したアレンティア女帝ならば、知っていると、イリスは思っている。封印石の謎を解くためのヒントは、きっとエリの遺跡にある。
「……噂に違わぬ、勇気ある公女様だ」
エリアリナ公が苦く笑う。
「あなたがクアーナ公国に引き籠っているのは、帝国にとって損失です。ゼクス様の調査が、実のあるものになることを祈らずにはおれませんね」
イリスは、曖昧に笑みを返す。
封印石の謎が解ければ、イリスが公女であり続けることはできるかもしれないが、魔人を倒さねば自由になれるわけではない。
食事が運ばれてきた。明朝出立、ということを告げてあったこともあり、食事はバランスよく、しかも縁起の良いものが並べられた。
「俺は、イリスがいてくれたほうが、謎は解きやすいと思う。輝石の件は、確かに不安材料ではあるが」
ゼクスは言葉を吟味する様に、口を開いた。
「門が……開いていた。間違いなく封印石の中で」
ルパートが首を振る。
「そんなことがおこるなんて、誰も知らなかった。アレンティア女帝の作った封印とは、いったい何なのだろう?」
「鏡石だけの我が公国と、輝石の多いエリアリナ公国では、魔人の見え方が違いました。私がもっと冷静でいることができれば、多くのことがわかるのかもしれません」
イリスはそう言って首を振った。
そう。
この公国の封印の間に入った時、いつもと違うと感じた。封印の間に入って、術を使う余裕があった。
肌を嘗め回されるようなおぞましい感覚もなかった。
「輝石と鏡石、封印の仕方が違うものなのかもしれないな」
ゼクスが、イリスの心を読んだようにそう言った。
「何にしても、ご無理だけはなさいませんように」
エリアリナ公は真剣な面持ちでそう告げる。
「無理をさせないために、俺が行くのさ」
ルパートがそう言うと、エリアリナ公は「どうだか」といって、肩を軽くすくめたのだった。
日が昇る前に、ゼクスたちは城を出た。
途中からは、馬が使えない場所に行くため、装備は最小限だ。
リアナの城から、エリの遺跡までは馬で一日、徒歩で二日である。
「往復の日程を含めて、8から10日というところか」
ゼクスの言葉に、レキナールが渋い顔をする。
「本当は、一度帝都に戻られて、陛下にご報告すべきだと、私は思いますけどね」
「何を?」
ゼクスは馬をレキナールと並走させながら、そう聞いた。
「まず、封印石の中で、門が開いたというのは、ただごとではないです」
レキナールは顔をしかめる。
「わかっている」
ゼクスは苦い顔で頷いた。しかし、その説明をするのには、イリスの境遇について説明が必要だ。場合によっては、イリスは、その事実により公女の地位をはく奪される。それだけで済めばまだよい。クアーナ公国そのものについて、糾弾する人間も出てくる可能性がある。特に、スワイン・ウェルデン公は、クアーナを目の敵にしている。息子のザルクは、どうやらイリスの秘密を知っていても、公言することはしていないようだが、スワインが虎視眈々とクアーナ公国の領土を狙っているという噂は昔からあった。
だからこそ、エリの遺跡で、何らかの情報をつかむ必要がある。
『私のような汚らわしくて呪わしい人間が、どんな理由にせよ、ゼクス様のような方の傍らにいるなど、許されるわけがありません』
――イリス。
ゼクスは、先行するイリスの後姿に目をやる。銀の髪は染められたままだが、ピンと背筋を伸ばして騎乗する姿は、やはり美しい。
――しかし、俺は、イリスの地位を守りたいわけではない。イリスをそばに置きたいのだ。
自分が皇太子でなければ、と、思う。
イリスが公籍を抜けるなら、彼女についていきたい。ともに生きられるならば、彼女の死後、自分がどんな理不尽な死を迎えても構わない。だが、ゼクスは、皇太子である。帝国を魔から守るべき義務があるのだ。
「遺跡の調査が終わったら、結果がどうであれ、一度、帝都には戻る」
ゼクスは自分に言い聞かせるようにそう言った。
「運命から救うことは無理だとしても、できれば、イリスの名誉を取り戻したい」
「イリス様の?」
レキナールは首を傾げる。
「誰が流したか知らぬが、イリスが『世界で一番醜い』などという噂がある。イリスの境遇を隠すために、イリスもラキサスも否定する気はないようだが……おそらくクアーナ公国の人間は英雄イリスを貶める、帝国の人間に怒りを感じている」
「それはそうかもしれませんね」
クアーナの薬師のダグは、レキナールのちょっとした言葉に憤慨した。今なお、最前線で戦い続けているイリスについての噂は、クアーナ公国の領民たちの気分を害し続けていると言っていい。
「しかし、どうやって?」
レキナールの言葉に、ゼクスは苦笑した。
「それは、別に難しいことじゃない。イリスの顔を一度見れば、噂が根も葉もないことくらい誰でもわかるさ」
ゼクスはそういって、息をつく。
「問題は、そのあとさ」
「そうですねえ、求婚者が続出すると……厄介ですね」
レキナールは頷いた。
もともとイリスは『救国の英雄』である。ある意味、本当に醜女であったとしても、政略結婚のツテはいくらでもあるのだ。
「考えがないわけじゃない。ただ、イリスは反対するだろうな」
ゼクスは小さく呟いた。
レキナールは眉をよせ、声をひそめた。
「忠告しますが、その案は最悪です。『白い結婚』でイリス様を守るのは反対です」
ゼクスは苦笑した。
「ダメか?」
「無理でしょう」
レキナールは決めつけた。
「イリス様はそのようなことは望んでおられません」
「それは……俺もよくわかっている」
ゼクスがイリスと婚約でもすれば、イリスの境遇を隠すことは可能だ。封印石の前に立たないという皇妃は、平時ならば、問題視されることはないだろう。
しかし、あくまで、平時であれば、の話だが。
「仮に、イリス様が承諾したとしても、ウェルデン公が黙っているとは思いませんね」
「ウェルデン公ね……」
ゼクスは渋い顔になる。
「下馬評では、オリビア公女が皇太子妃最有力です。黙って承諾する訳がありません」
レキナールの言葉に、ゼクスは首を振った。
「狸親父はそうだろうな……ま、ザルク公子も黙っていないかもしれんが」
ザルク公子は、イリスの秘密を知っている。今まで黙っていたからと言って、ウェルデン公国の望まぬ展開になった場合に、口をつぐんでいる義理はない。
「エリの遺跡で、何か得られればいいのだが」
ゼクスははるかかなたに目を向ける。
視界の先に、大きな山脈が見えてきた。
いわゆる『お助け小屋』に宿泊したのち、馬を預け、一行は山に入った。
このあたりの山は、大きな石があちこちに見える。エリの遺跡のある『キシ山』は、火吹き山と言われており、かつて何度も火を噴いた。そのため、このあたりの土はとても黒い。
「なんだか不思議な山ですね」
イリスは、先導するルパートに声をかけた。
「頬の傷は痛みませんから、魔の気配があるわけじゃないのに、肌がざわつきます」
ルパートは、ひょいっと、転がった石を見せた。
「これは、輝石の原石なんだ。そこら中にこれがごろごろしているせいだろう」
ルパートの言葉に、ゼクスはイリスの顔を覗きこんだ。
「大丈夫なのか? イリス。体調が悪くなったらすぐ言え」
「平気です」
イリスは、心配性の皇太子ににこやかな笑みを返す。
「それに……このあたりは、天魔ゆかりの地だしな」
ルパートが空を見上げる。
木々の葉の向こうに広がる空は、どこまでも青い。
「アレンティア女帝は、キシ山で天魔である天翔ける白き馬と出会ったのは、有名ですね」
レキナールの言葉に、ルパートはずっと前方を指さした。
「その伝説の場所は、この峠の向こうのクレの泉だ」
山道は徐々に荒れ始めた。このあたりまでは、なんとかエリアリナ公国の封魔士たちのパトロール範囲にはいるから、まだ道は整備されているが、ここから先はほとんど手入れがされていないらしい。
一行は、ゴロゴロと転がる石を避けながら、薄暗い山の中を歩いていく。
「あっ」
峠に差し掛かったところで、イリスは思わず声をあげた。
眼下に広がる泉は、どこまでも青く、そして澄んでいる。
「綺麗」
それほど大きな泉ではないが、水面が陽の光を反射して、キラキラと光る。
「あれは……」
泉の対岸に、白いたてがみをなびかせた馬が、水を飲んでいる。
「まさか、天魔?」
ルパートが驚きの声をあげると、馬は小さくいなないて、森の奥へと消えていった。
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