お助け小屋 上

 クアーナ公国の封魔小屋は、きちんと管理されているのが、近づいただけでゼクスには、よくわかった。封魔小屋は封魔士達の詰所だ。街道を旅する人の「お助け小屋」でもあり、本来は人の出入りの多い場所である。案内された小屋の脇には、馬小屋があり、毛並みの良い馬が二頭つながれていた。

「良かった。ちょうど、薬師が戻ってきているみたいです」

 クアーナの封魔士とだけ名乗った女性は、そう言って微笑んだ。

 その微笑みに、ゼクスはドキリとする。会ったことがあるような懐かしさ。しかし、こんな女性を忘れるはずがない。名を聞けば思い出すかもしれぬが、何故か躊躇われた。

 短いが艶やかで柔らかそうな銀の髪。強い輝きを放つ碧い瞳に、ふっくらとした唇。化粧っ気ひとつないのにもかかわらず、男なら振り返らずにはいられないほどに美しい。年は二十前後に見える。ただ、その左の頬に大きな傷があった。なまじ、ほかの部分が常人ならぬ美しさであるゆえに、どうしてもその傷に目が行ってしまう。

 だが、彼女は傷を隠す気はないらしい。ゼクスは自分の中の同情じみた感情を振り払った。

「ダグ、怪我人よ。妖魔蟲の妖液にやられたの。お願いできる?」

 小屋に入ると、彼女は手短に詰めていた封魔士に声をかけた。

「お茶を……美味しいラパ茶をご用意しますね」

 そう言い置いて。立ち上がったダグという封魔士に何事かを耳打ちをし、奥の部屋へと消えていった。

 ダグは棚から薬箱を取り出し、ゼクスたちに奥の机とイスを指し示し、座るように促した。

 封魔士としては、やや線が細い男だが、筋肉の均整は取れている。年はゼクスと同じ二十代前半だろう。腕や顔に細かい傷が見受けられ、薬師という役目にもかかわらず、実戦経験の多さを感じさせた。

「傷口を見ましょう」

 言われるがままに、ゼクスは左腕を差し出した。

「これは、酷い」

 ダグは眉をしかめた。

「痛みは、それほどでもないが」

 ゼクスの言葉に、ダグは苦い顔をした。

「今はそうでしょう。時が過ぎるごとに痛みが増します」

  言いながら、ダグは机の上に布を敷くと、そこに腕を置くように指示をする。

「荒療治をしますよ」

 ダグは言いながら、汲み置いた水差しの水を傷口にぶっかけた。刺すような痛みに、ゼクスは顔を歪める。

「沁みます。覚悟してください」

  ダグが壺から蒼いドロリとした膏薬を傷口に刷り込んだ。ゼクスの全身に激痛が走る。

  ゼクスの表情があまりにひどいのだろう。レキナールが戸惑いの表情で、立ったり、座ったりを繰り返している。

  しかし、ダグは気にした様子もなく、変わらぬ顔で包帯を巻きつけた。

「内服もしたほうがいいでしょう。ただの火傷とは違います」

 ゼクスは差し出された丸薬を、素直に受け取る。飲むと鈍い痛みが、すっと引いていった。

「ありがとう。助かった」

「しばらくは無理をなさらないことです」

 言葉は丁寧だが、歓迎されていないな、とゼクスは感じた。確かに最前線で戦う封魔士からみれば、君主国であるルクセリナ帝国の皇族がふらりとやってくるなど、迷惑極まりないであろう。ゼクスに何かあったら、クアーナ公国にどんな災厄が降りかかるか知れたものではない。表面を取り繕って歓迎されるより素直な反応だ。

「こちらの封魔小屋はウェルデンとは天地の差ですね」

 レキナールが感心したように口を開く。途中で立ち寄ったウェルデンの封魔小屋は人の気配すらなく、扉に鍵がかかっており、「お助け小屋」の意味を全くなしていなかった。

「クアーナ公は、大侵攻の時、最前線で戦われた勇者だ。ウェルデン公とは心構えが違って当たり前だろう」

 ゼクスの言葉に、レキナールは頷く。

「確かに。それにたった五年でクアーナ公国の経済をも立て直しつつある。政治的手腕も見事なものです」

 ダグは黙って客人の言葉に耳を傾けている。

「これで、妹のイリス公女のご婚儀さえ整えば、クアーナ公国も、ご安泰なのでしょうが」

「……それは、どういう意味でしょうか?」

 レキナールの罪のない世間話に、ダグの顔が怒気に染まった。

「イリス様を愚弄なさるなら、早々に出て行って下さい」

 レキナールは今の会話でそれほどに相手の怒りを買った意味がわからず、戸惑った表情を浮かべた。

「ダグ、やめなさい。冷静になりなさい」

 落ち着いた声が飛び、先ほどの女性が扉から入ってきた。

「ラパ茶です。温かいうちにどうぞ」

 お茶を机の上に並べながら、にっこりと、それでいて寂しそうな笑みを彼女は浮かべた。

「ダグ、レキナール様の言うことは正論よ。公女が結婚すれば、クアーナ公国は嫁ぎ先から手厚い支援を頂けるかもしれない。それに、領民も希望を持つことができる」

「しかし、イリス様。この人が言っているのは、そんな意味では」

「――イリス?」

 ゼクスは彼女の顔を見た。美しい顔に古い傷跡が生々しい。

 帝都に流れてくる噂によると、イリス公女は大侵攻の折、大怪我を負ったという。五年の月日がたち、二十歳になるというのに、嫁にも行かない。それなのに、社交の舞台にも現れない彼女を「ふためとみられぬ傷が顔にある」と心無い噂が流布しているのは、ゼクスも知っていた。兄とともに国を守った英雄的な姫でありながら、昨今、彼女の評判は悪くなる一方だ。社交界には出ない、持ち込まれた縁談も全て断るという、その態度の頑なさに、イリスの人柄そのものを否定するような噂まである。

 ダグは、レキナールの言葉にその噂の欠片を感じ取ったのだろう。

 怒りに震えるダグを目で制し、彼女は苦笑した。

「失礼しました。私、名乗っておりませんでしたね。私はイリス・クアーナと申します」

 言いながら、イリスは自分の左の頬をさした。

「ダグは、私のこの傷が噂になっていることを気に病んでくれているのです。失礼なことを申し上げ、お詫びの言葉もありません」

 頭を下げるイリスを不満げにダグは見つめる。敬愛する公女が謝る必要はない、と感じているのだろう。

「こちらこそ、申し訳ありません。誤解を招くようなことを申し上げました」

 レキナールは慌てて立ち上がり、頭を下げた。

「決して、悪意を持って申し上げたわけではありません」

「構いません。お二人が私と目が合うのを躊躇いにならないのが、何より嬉しいです」

 イリスは言いながら、ハムを挟んだパンを全員の前に並べた。

 噂の中には、イリスと目が合っただけで逃げ出す人間が後を絶たないなどという、悪意で尾ひれがたっぷりついたものまである。

「とりあえず、お茶を召し上がって下さいな」

 イリスの勧めでゼクスたちは、コップを手に取った。何とも言えない香しい芳香が漂う液体を口にし、ゼクスは驚いた。

「これ、本当にラパ茶ですか?」

 ラパ茶は妖魔と戦った後、体を浄化させる作用があるとして必ず飲まれる飲み物だ。酸味が強く苦味もあって、そんなに美味しいものとは言えないというのが常識である。

「ええ。気に入っていただけました?」

 くすくすと、イリスが面白そうに少女のように笑う。ゼクスは思わずその表情に惹きこまれ、目が離せなくなっている自分に気がついた。

 美しいと呼ばれる女性には何人も会ったし、好感を抱いた女性が今までいなかったわけではない。しかし、宝物を見つけたような感覚になったのは初めてだった。

「イリス様は、ラパ茶の名人でいらっしゃいます」

 ダグが自分の事のように誇らしげにそういって、自分もお茶を口にする。

「今まで、飲んでいたものと味が全然違います」

 レキナールが首を傾げている。

「クアーナ公国産はもともと、他の地の葉より甘いのです。それに。本来、ラパ茶は煎じて飲むものですが、これは湯を注いで蒸らしただけなのです」

 イリスはいたずらっぽく笑う。

「効能を考えると、いけないのかもしれないけど、顔をしかめて必死に飲んでも、浄化されているって気分にならないでしょう」

 煎じるとまず香りが飛んでしまうと、イリスは苦笑した。

「実はスゴイ苦手で、一口以上飲んだことがないです」

「ゼクス様、それでは意味がありません」

 ゼクスの告白に、レキナールが声を荒げる。

「しかし、このラパ茶は美味しい。ぜひ、入れ方を帝都の封魔隊にも広めたい味です」

 ゼクスの言葉に、レキナールがしぶしぶ頷く。

「喜んで。そんなに特別な方法でもないですし」

 得意げにイリスが微笑む。心底嬉しそうだ。

「何もありませんが、召し上がって下さい」

 ゼクスはイリスに勧められるまま、パンに手を伸ばした。

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