お助け小屋 下

「それで、ゼクス殿下は、どのような御用でこちらへ?」

 ふたりの食欲が一段落するのを見て、イリスが口を開く。ダグは席を外し離れたところで道具の手入れを始めていた。

「帝都だけでなく四つの公国をこの目で見て、見分を広めるため、ということで、皇帝陛下には許可を頂いている」

 ゼクスは言いながら、随分と漠然としすぎだなと思った。

「各地の封魔の実態や、公国領内の内政状態の視察といったところかな」

「表向きは、そうです」

 ゼクスの言葉に、かぶせるようにレキナールが口をはさむ。

「あら。裏を伺ってもよろしいのですか?」

 面白そうにイリスが笑う。そんなイリスの表情から目を離せないゼクスに、レキナールは気がついているのだろう。からかいの表情が浮かんでいる。

「ここだけの話ですが、ゼクス様のお嫁さん捜しなのです」

 声を潜めてもっともらしく断言する。ゼクスは慌てた。

「レキ、いい加減なことを言うな」

「あら。でもお相手は帝都にいらっしゃるのではありませんか?」

 ゼクスをはじめ皇族の后は、四つの公国の公女から選ばれることが多い。各国の公女は年頃になれば、帝都に移り住み、社交界デビューしながら、嫁入りのための勉強をするのが常だ。イリスのように領内から離れない公女は、ほぼ皆無と言っていい。

 レキナールは暗にイリスを嫁にと揶揄している。ゼクスは顔が熱くなるのを意識した。

「わかりましたわ! ウェルデン公爵領のご視察ですね。オリビア公女様はたいへんお美しい方と評判ですもの」

「――え?」

 イリスの言葉にゼクスとレキナールは顔を見合わせた。彼女の思考の中に、彼女自身が「公女」であるという事実は抜け落ちているらしい。

 ゼクスはコホン、と咳ばらいをした。

「俺は、皇帝の能力や体力に左右されない結界を作る方法を捜しているのです」

「……」

「五年前の大侵攻は、俺の父である、前皇帝が倒れた事で結界が弱まったのが一番の原因です。幸い、と言っては、貴女方に対して無神経な言葉であるけれど、父の弟である現皇帝ファルタ陛下が後事を処理なさり、結界の綻びは修復された」

 ゼクスは息を整える。自分の父が倒れた事で災厄が起こった。そのことが、ゼクスの心に重い荷を落としている。ファルタ帝の後継は、未だ決まっていない。皇帝の嫡子であるパナック皇子が継ぐのが順当であるが、パナックはまだ三歳であり幼すぎる。ファルタ帝自身が、前皇帝の子であるゼクスを推していることもあり、現在ゼクスは「皇太子」だ。だが、ゼクス自身は、むしろ起こり得る災厄を身にしみて感じているだけに、その重責を担う勇気がない。

 そんなゼクスの心を察し、ファルタ帝は、ゼクスの戴冠は二十五歳と決め、それまでは封魔の技を究めるようにと言い渡した。

「皇帝が公務として、結界を守ることは良い。我ら皇族や、貴女方公主がその血でもって封魔を行い、妖魔の盾となる。それこそが、我らが民より高貴な存在である理由なのだから。でも、実際に身を盾にできる貴女のようなひとは、一握りでしょうけどね」

 イリスは下を向き、寂しそうに、首を振った。

「皇帝が健康なうちに退位し、順当に次の皇帝が即位できれば、何の問題もない。ただ、いつもそれができるわけではない」

 とはいえ、建国の母であるアレンティア女帝が作り上げた魔封じの結界は、帝国外の諸国に比べて格段に優れたものだ。ゼクスは、現在、アレンティアが各地に配した封印石を見て回っているに過ぎない。悔しいが、そこから始めないことには、どうしようもないのだ。封印石は、各地の城内に設置されており、ゼクスが皇太子という立場でなければ、ふらりといって見れるものではない。しかし、取り繕った状態でない、封印石を見なければ、謎に近づけないという思いから、あえて連絡も取らずに、各地を周っている。

「封印石……」

 イリスは呟いて、瞳を閉じた。

 イリスの母は、大侵攻の折、封印石を守りながら果てた。ひび割れていく封印石を維持するために、命を削って、修復し続けたという。苦い想いがよぎるのも、無理はなかろう。

 イリスは顔をあげると、ダグを呼び、馬を小屋へ寄越すように手配を頼んだ。歩いていくというゼクスの言葉を制し、熱烈歓迎というようなおもてなしは出来ないのでせめて、と付け加える。

 ダグが、荷物をまとめて出ていくのを確認したイリスは、思い切ったように口を開いた。

「ゼクス殿下。傷は、まだ痛みますか?」

 問われて、ゼクスは左腕を振るように動かしてみる。

「いえ。動かすと若干、違和感はありますが、大丈夫です」

 ゼクスは、ダグの腕をほめた。やや痛みが出るかもしれないが、これなら、剣を振るっても問題ない。

 イリスは一度頷いて。

「まだ、実験段階なので上手くいくとは限らないのですが」

 そう言って、ゼクスにけがをした左腕を出すように言い、そっと寄り添うように隣に立った。

「今から、私が手に触れます。目を閉じてリラックスをなさってください。私の手から気が流れますから、それを感じてください。わかりにくければ、手を握っていただいて構いません」

 何を言っているのか意味は分からなかったが、ゼクスは言われるがままに目を閉じた。

 机の上に置かれた左の掌に、柔らかなイリスの手が触れる。ただそれだけのことで、ゼクスの胸の鼓動が早くなった。

「我が血に流れし、聖なる血よ。命の光を」

 低い呪文がイリスから漏れると、暖かな春の陽だまりのような何かが彼女の手からゼクスの中に流れ込んだ。ゼクスは無意識にそれを捕まえようとして、彼女の手を思わず強く握りしめる。

 びくん、と、イリスの手が震えた。握りしめた手からゼクスの体内に快楽としか表現のしようのないものが駆け巡った。

「ゼクス様?」

 不思議そうなレキナールの声に、ゼクスは甘美な夢から切り離された。目を開けると、顔を赤らめたイリスの姿が映る。

「手を……お放し頂けますか?」

「すまない」

 ゼクスは慌てて握りしめていた手を開く。

「左腕を動かしてみてください」

 イリスに言われて、ゼクスは腕を再び動かしてみた。違和感は全くなくなっていた。思い切って包帯を外すと、赤く腫れていた肌の赤みが消え、皮膚の再生がはじまっている。

「あの、何があったのでしょう?」

 レキナールが不思議そうに二人の顔を見比べる。

「説明が難しいのですが」

 イリスは正面の椅子に座りなおし、口を開いた。

「例えば、怪我をした時、母に抱きしめてもらうと痛みがやわらぐように、ひとは、人と触れ合うと、暖かなものが身体を巡ります。ならば魔物を倒すのとは全く逆の気を相手に流し込めば、安らぎ以上のものを得られるのではないかと、考えました」

 イリスは丁寧に説明を始める。

「でも、ただ気を流すだけではダメでした。特に意識がない状態では無意味です。どうも、受動側の方が、その力に気が付いて受け入れないと何も起こらないのです」

「しかし、はっきりと何かが流れてきたのが俺にはわかりましたが」

 春の陽だまりのような、暖かいもの。思わず、抱きしめたくなるほどの愛おしい何か。

「ゼクス様は、封魔士の中でも超一流。「気」に敏感な方だからではないでしょうか。私の流す気は、微弱なものです」

  イリスは、自分の掌を見て、僅かに赤面した。

「私の気を受け入れると、受動側の方ご本人の気が共鳴して、体を巡って私に返ってきます。そうして、初めて癒しの効果が得られます」

 ゼクスほど過敏で強い反応が返ってきたのは、初めてだとイリスは告げた。

「すごい発見ですね」

 ゼクスは自らの指先を見つめる。では、二回目に感じたあの全身を駆け巡った快楽のような感触はなんだったのだろう。しかし、それを聞くのは何故か躊躇われた。

「でも、ここまで強い治癒効果を見たのは、初めてです。きっと、ゼクス様が強い生命力をお持ちだからなのでしょう」

 イリスは立ち上がると、新しい包帯を取りに行き、ほぼ治りかけているゼクスの左腕に巻き始めた。

「あまりに早く治るとダグが不審に思います。この魔法はまだ、公にはしたくないので」

 被験者である近衛の者たちが、不完全な「癒しの魔法」を発表することを拒んでいると、イリスは告げた。むやみやたらに、特に異性に使うなと言われているらしい。

 イリス自身は不審に思っているようだが、その意味はゼクスにはわかるような気がした。彼女から流れてくる暖かなものは、愛しいものを抱きしめたときに感じる感覚に似ている。

「しかし、このように効果があるのであれば、みなで研究すべき題材なのでは?」

 レキナールが口をはさむ。今の奇跡を技術として成立させれば、妖魔との戦いだけでなく多くのひとが助かるだろう。

「それはそうなのですけど」

 イリスの話では、気を相手に流すという技術を他人にうまく説明できないらしい。自らの体内の命の光を汲み上げるという作業は、呪文だけでなく、ある種の感覚が必要で、イリス以外に、この技術を獲得しているのは、ふたりだけなのだ。

「止められているのに、なぜ、俺に?」

「魔封じの技を模索しているのは、同じですから、お役に立てるかな、と思って」

 いたずらっぽくイリスは笑う。

「それに、ゼクス様なら、改良すべきところを発見していただけるかもしれないですし」

 一番の理想は、受動側に意識がない状態でも癒し効果を得られるようになることだ、とイリスは告げる。

「しかし、イリス様は、アイデアが豊富ですね」

 レキナールは心から感心する。ゼクスも同感だった。巷に流布されている彼女の噂が、悪意を持って意図的に流されているのではないかと疑いすら持つ。確かに顔に大きな傷はある。しかし、それ以上の魅力が彼女にはあるのだ。

 噂がここまで酷くなければ、年齢的にも能力的にもゼクスの后候補に名を連ねているはずだ。例え、本人にその気がなく、領地に留まっているにしても。

「大侵攻の時、私が生き延びたのは、ただの偶然でした。本当はあの時、死んでいたほうが良かったのかも……」

 イリスが呟く。美しい眸に孤独が滲んだが、一瞬の事だった。

「生きる限りは、私が出来ることは全部したい。本当に、それだけです」

 ちょうど馬の蹄の音がして、イリスは会話を切り上げた。その顔に、孤独の影は見えなくなったが、彼女の中にそれが住み着いていることを、ゼクスは悟った。

 その孤独はどうやったら、癒せるのだろう。ゼクスは、彼女に癒された腕に目を落としたのだった。

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