すぐ調子にのるな

(「押してもダメなら引いてみろ、相手も大喜びだ」続編)



「ねぇ、兄さん。新婚旅行のお金ってどのくらいかかるものなのかな?」

「……ああ?」


放課後の教室で、1年生の彼が教室にやってきて彼の兄に放った質問に、微妙にピシリと空気が凍るのを感じました。

私は高校3年間連続で学級委員長。空気を読むことには自信がありますから。

ついでに視界の端で、サッカー部のキャプテンがゲッという顔をしているのも見えています。

もちろん口には出しませんが。


「あー……そりゃ人によりけりだろ。それじゃあな」

「? どうしたの兄さん? まだ話は途中でしょ?」


逃げようとした兄は、弟にあえなく捕まりました。

その隙に、教室の片隅で談笑していた女子達が静かに退室したのを私は見ました。

私も早く出たいのですが……お願いですから皆さん早くプリントを提出してください。


「いやあ、それがさー。バイトを増やそうか考えてて」

「へ、へー……何か知らないけど入り用なんだな」

「何おかしなことを言ってんの? 僕と彼女の結婚費用に決まってるじゃないか」


胸を張ってそう言う彼。

ですが、私を含め、この部屋にいる人は恐らく皆知っています。

彼女の側には、あまりそのような気はないということを。


ですがそこはわがまm……強気な彼。

若さゆえの勢い、というものでしょうか。

ある意味少し羨ましくなるのですが、その強烈なアタックをされる彼女の方は一体どう感じて……


「あー! ちょ、お前に任せた!」

「は⁈ なんで俺⁈」


……兄は耐えられなくなったようです。

こっそり抜けだそうとしていたサッカー部キャプテンを捕まえました。

キャプテン、完全に目が泳いでいます。


「あ、先輩。ねぇ先輩はどう思う? 兄さんが変なことばっかり言うんだよ。先輩は式にも参列してくれるよね?」

「あー……とりあえずさ、彼女はその……結婚? したいだなんて言ってたっけ?」

「えっ? だって、物心つく前から一緒にいるんだよ? 彼女の気持ちなんて全部分かってるよ。 それに……」

「あのさ!」


……少し吃驚しました。普段温厚なキャプテンがあんなに大きな声を出すとは。

一瞬静まった教室で、私は最後の1人からプリントを回収しました。


「……さて、これでプリントは揃いましたね。」


私は学級委員長、空気を読める人間です。

何でもないようにトントンと紙の束をまとめると、教室のあちこちで何事もなかったかのように会話は再開されました。


「で? 何? まさか先輩まで、変なこと言いだすわけ?」

「はぁ……それじゃ聞くけどさ。お前一回でも、彼女の意見は聞いたことあんの?」

「だからそれは……」

「お前がどう思ってるかじゃなくて。ちゃんと、彼女の口から聞いたことあるのか? お前と結婚したいって」


キャプテンさんの言葉に、珍しく真面目な顔をして弟さんが考えています。

その後ろでお兄さんが酷く心配そうな顔をしています。

なんやかんやでやっぱりあなたは弟さんのことが気になるんですよね。


と、弟さんがあれと首をかしげました。


「……そう言えば、無い気がする」

「……だろ?」

「ちょ、お前、あんまり弟をいじめんなよな。あ、あー……まぁ、そんな気にすんなよ! な! まだそこまで嫌われてるってわけじゃ……」

「ええっ⁈ 彼女は僕を嫌ってるの⁈」


……どうして貴方はそうわざわざ地雷を踏むのですか。

弟さんに揺さぶられ目が回っているようですが、それはさすがに自業自得でしょう……


「な、な、なんで⁈ そんな事……だって僕はこんなに彼女のことを愛してるのに!」

「ちょ、は、な、せ、って……うぷっ……」


お兄さんの顔色が限界を訴えています。

キャプテンが隣で頭を抱えています。

それにしても、本人がいないとはいえこんな所で大胆にも告白とは……いえ、普段からだいぶアピールしてますが。

と、不意に扉が開きました。


「ちょっとキャプテン? どうしたの? 他のメンバーはもう集まって……る……んだ、けど……あー、失礼しましたー」

「ちょ、ちょっと待って!」


貴女は……どうしてこんないいタイミングでやって来るのでしょう。

そういえば最近サッカー部のマネージャーを始めたんでしたか。

素早く帰ろうとした彼女の腕を弟さんが捕まえました。


「ちょ、離してって!」

「お願いだから! 僕の話を聞いて!」

「……は? どしたの?」


逃げようとした彼女も、普段とは違う弟さんの様子に、とりあえず話は聞いてあげるようです。

ゴクンと唾を飲み込んで、弟さんが、彼にしては珍しく、恐る恐る尋ねました。


「君……僕のことが嫌いなの?」

「……は? いきなり何?」

「答えてよ! 僕、確かに君の意見をあまり聞かなかったかもしれないけど……それでも嫌うだなんてあんまりじゃないか!! 僕はこんなに君のことが好きなのに!!」


おおぉ、告白したー!! あろうことかこんな人前で堂々と告白しましたよ。

さすがの私も思わず振り返って見てしまいました。


「あー……この馬鹿に余計なこと言ったの、どっち?」

「「こいつだ。」」


二人が同時に、互いに互いを指差します。

っていうか、馬鹿の所には誰もツッコミを入れないんですね?

はあぁ、彼女が大きなため息をつきました。

黙って、腕を握る手を外したのに、弟さんがビクリとしています。


「……別に、嫌いだなんて言ってないでしょうが」

「……へ?」

「そういう人の意見聞かないとことか、相手の都合も考えず突っ込んでくるとことかどうかと思うけど。でも別にあんたのこと嫌いだなんて、言った覚え無いんだけど?」


腰に手を当てそう言う彼女。

下を向いてふるふるとしていた弟さんが、バッと顔を上げ……


「っ! 結婚式はやっぱり海外で……っ」


……あろうことか、思い切り彼女に抱きつきました。

そんなことをすれば……ほら、やっぱり殴られてるじゃないですか……。



『すぐ調子にのるな』


(痛っ! なんで殴るの⁈ 君も僕のことが好きなんでしょ⁈)

(嫌いじゃないって言っただけで、好きだなんて一っ言も言ってないでしょうが!)

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