狼になってしまえたら
焼き終わりを告げる音にオーブンを開けると、キッチンに漂う焼きたてのバケットの香り。
手早く切って皿に乗せ、テーブルに置かれた豆の冷製スープの隣へ。
メインディッシュの牛肉は、赤ワインに長時間煮込まれホロホロとした柔らかさ。
一口味見をすればソースに溶け込んだ肉の旨みが口中に広がる。
これももう完成だ。弱火にしていた火を完全に落として。
開いたオーブンに、タルトを入れ、点火する。
これで食べ終わる頃に焼け終わり、最高の状態で出せるだろう。
さすが俺、今日も完璧。さて、振り返った瞬間。
図ったように、玄関のチャイムが鳴った。
今日もお姫様は時間通りだ。
◇
「んー!! 今日も美味しい!!」
「それはそれは。光栄だね。」
牛肉を口に一口入れた瞬間、ふるふると震えながら彼女は言った。
その幸せそうな顔が、それがお世辞ではないことを物語っている。
マンションの隣人である彼女が、俺の部屋に来るようになったのはいつからだったか。
最近では毎晩のようにこうして訪れて、俺の料理を実に幸せそうに食べる。
「もー! スープから、パン、サラダまで美味しいってどういうことなの?」
「ふふ、愛がこもってるからかな」
「うーん、こんなに料理は上手だし、部屋も服もオシャレだし、おまけに背も高いし顔もかっこいいし、やっぱお兄さんすっごいモテるでしょ」
「また嬉しいことを……褒めてももう何も出ないよ?」
「嘘つき。キッチンからいい匂いするもん。デザートは焼き菓子?」
くんくんと鼻を匂わす彼女。
参ったな、食べ物のことに関して彼女に隠し事が成功したことがない。
「……敵わないな。今日はカボチャのタルトだよ」
「やった!! もーお兄さん大好き!!」
またそうやって無邪気にそんな嬉しいことを言う。
思わずにやけそうになる口元は決して見せないで。
そろそろタルトも焼きあがりだ。
椅子から立ち上がり、彼女の口の端についたソースを指で拭ってペロリと舐めた。
「タルトと紅茶、持ってくるから。口を拭いて待ってな」
「え、うそ、恥ずかしいっ」
慌てる彼女もまた可愛らしい。
さあ、渾身のデザートを召し上がっていただこうかな。
◇
それからも。
酷く幸せそうな顔をして(彼女がカボチャを好きなのはリサーチ済みだからね)タルトを食べる彼女は、学校での出来事を、それは思いつくままにしゃべっている。
それはそれは、よくもそんなに話題があるなというくらいに饒舌に彼女は話す。
俺はというと、彼女が話しやすいように、適切な相槌を打っている。
楽しそうに話す彼女を見るのは幸せだ。
ただ、気になる奴が1人。
「でさー、その男子ったらお前は子供みたいだななんて、わしゃわしゃって頭撫でんの。髪グチャグチャになるし、大体いい加減子供扱いやめてっていつも言ってんのに」
「またからかわれたのかい? まったく、レディの扱いがなってないな」
「そうなの! もークラスの男子なんてガキばっかり!」
彼女には、俺が微妙に表情を歪めたのは気づかれていない。
当然だ、年下の男に嫉妬したなんてそんなこと、絶対に見せるわけにはいかない。
にしてもそいつ、気安く彼女に触りやがって。
ポンと彼女の頭に軽く手を置いた。
「わっ? 何々?」
「ん? 可愛いなって思って」
「もー、お兄さんまで子供扱い?」
「違う違う。ほんと単に可愛いって思ったのと、あと相変わらず素敵な髪だなって思ってね」
「あ、ありがと」
サラサラと髪をとかすように頭を撫でると、彼女は照れたように笑った。
時計を見る。随分遅い時間だ。
夕飯後に長くしゃべっていたから仕方ない。
「そういえば、今日はどうする? 泊まってくの?」
「えっと……いい?」
「最初からそのつもりのくせに」
視線で、彼女の持ってきた荷物を指す。
ご飯を食べに来ただけにしては随分と大きすぎる荷物。
ばれたか、彼女は照れたように頬をかくと、その中から白いものを取り出した。
「ぬいぐるみ?」
「ううん。抱き枕!」
白いアザラシ。全く、そんなもの持ってくるから荷物がそんな大きくなるんでしょうが。
嬉しそうにニコニコする彼女。
……あーあ。今日も可愛いな畜生。
『狼になってしまえたら(どんなにいいか)』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます