狼になってしまえたら

焼き終わりを告げる音にオーブンを開けると、キッチンに漂う焼きたてのバケットの香り。

手早く切って皿に乗せ、テーブルに置かれた豆の冷製スープの隣へ。


メインディッシュの牛肉は、赤ワインに長時間煮込まれホロホロとした柔らかさ。

一口味見をすればソースに溶け込んだ肉の旨みが口中に広がる。


これももう完成だ。弱火にしていた火を完全に落として。

開いたオーブンに、タルトを入れ、点火する。

これで食べ終わる頃に焼け終わり、最高の状態で出せるだろう。


さすが俺、今日も完璧。さて、振り返った瞬間。

図ったように、玄関のチャイムが鳴った。

今日もお姫様は時間通りだ。



「んー!! 今日も美味しい!!」

「それはそれは。光栄だね。」


牛肉を口に一口入れた瞬間、ふるふると震えながら彼女は言った。

その幸せそうな顔が、それがお世辞ではないことを物語っている。


マンションの隣人である彼女が、俺の部屋に来るようになったのはいつからだったか。

最近では毎晩のようにこうして訪れて、俺の料理を実に幸せそうに食べる。


「もー! スープから、パン、サラダまで美味しいってどういうことなの?」

「ふふ、愛がこもってるからかな」

「うーん、こんなに料理は上手だし、部屋も服もオシャレだし、おまけに背も高いし顔もかっこいいし、やっぱお兄さんすっごいモテるでしょ」

「また嬉しいことを……褒めてももう何も出ないよ?」

「嘘つき。キッチンからいい匂いするもん。デザートは焼き菓子?」


くんくんと鼻を匂わす彼女。

参ったな、食べ物のことに関して彼女に隠し事が成功したことがない。


「……敵わないな。今日はカボチャのタルトだよ」

「やった!! もーお兄さん大好き!!」


またそうやって無邪気にそんな嬉しいことを言う。

思わずにやけそうになる口元は決して見せないで。


そろそろタルトも焼きあがりだ。

椅子から立ち上がり、彼女の口の端についたソースを指で拭ってペロリと舐めた。


「タルトと紅茶、持ってくるから。口を拭いて待ってな」

「え、うそ、恥ずかしいっ」


慌てる彼女もまた可愛らしい。

さあ、渾身のデザートを召し上がっていただこうかな。



それからも。

酷く幸せそうな顔をして(彼女がカボチャを好きなのはリサーチ済みだからね)タルトを食べる彼女は、学校での出来事を、それは思いつくままにしゃべっている。


それはそれは、よくもそんなに話題があるなというくらいに饒舌に彼女は話す。

俺はというと、彼女が話しやすいように、適切な相槌を打っている。


楽しそうに話す彼女を見るのは幸せだ。

ただ、気になる奴が1人。


「でさー、その男子ったらお前は子供みたいだななんて、わしゃわしゃって頭撫でんの。髪グチャグチャになるし、大体いい加減子供扱いやめてっていつも言ってんのに」

「またからかわれたのかい? まったく、レディの扱いがなってないな」

「そうなの! もークラスの男子なんてガキばっかり!」


彼女には、俺が微妙に表情を歪めたのは気づかれていない。

当然だ、年下の男に嫉妬したなんてそんなこと、絶対に見せるわけにはいかない。


にしてもそいつ、気安く彼女に触りやがって。

ポンと彼女の頭に軽く手を置いた。


「わっ? 何々?」

「ん? 可愛いなって思って」

「もー、お兄さんまで子供扱い?」

「違う違う。ほんと単に可愛いって思ったのと、あと相変わらず素敵な髪だなって思ってね」

「あ、ありがと」


サラサラと髪をとかすように頭を撫でると、彼女は照れたように笑った。


時計を見る。随分遅い時間だ。

夕飯後に長くしゃべっていたから仕方ない。


「そういえば、今日はどうする? 泊まってくの?」

「えっと……いい?」

「最初からそのつもりのくせに」


視線で、彼女の持ってきた荷物を指す。

ご飯を食べに来ただけにしては随分と大きすぎる荷物。


ばれたか、彼女は照れたように頬をかくと、その中から白いものを取り出した。


「ぬいぐるみ?」

「ううん。抱き枕!」


白いアザラシ。全く、そんなもの持ってくるから荷物がそんな大きくなるんでしょうが。


嬉しそうにニコニコする彼女。

……あーあ。今日も可愛いな畜生。



『狼になってしまえたら(どんなにいいか)』

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