第17話 哲学の国フィロソフィア

 アルカディア店に集まったカノンを含む仲間メンバー4人は、息を飲んで入り口の扉の前に立った。

 俺がケータイのアプリ画面で『哲学の国フィロソフィア』を選択するのを、他の3人は緊張した面持ちで見守る。

 上級のマップに赴く方法は、これもいたって簡単だ。

 シムゲーム・アプリをスマホなどで開いて、世界マップ・リストから行きたい場所を選べばいい。

 最寄にあるドアを開けると、そこは別の世界につながってる。

 この上級マップへの行き方も、シムゲームのこだわりみたいなもので省略することができない。従来的なゲームでいう、冒険の記録をする時に必ず教会でお祈りするといった、ファンタジーの世界観を崩さないための形式化された儀式なのだろう。

 ケータイを操作すると、シムバーガーの店内から見える空やガラス扉の外の景色が変化し、一度均一な灰色に染まった後、見たことのない別の世界の光景が広がった。

 フィロソフィア……哲学の国とつながった。

 シオリが感情をあまり込めずに言う。

「面白そうな街ね。風変わりな建物が多いけど、意外と落ちついてるわ。なんか、ゲームっぽい町じゃないけど、観光するには楽しそう。」

 タカシも風景を見回しながら、感嘆の声をもらす。

「上級のマップっていうから、どんなにおぞましい所かと想像してたけど、なかなか素敵な場所じゃないか。ゲームって大体、商業作品である以上派手で刺激の強い作風になるもんだけど、ここはそういうマーケティング的なセコさを全く感じさせないね。開発者が全くの趣味で作った居心地の良い空間、って印象だ。それなりに厳粛で品格もあり、遊びという枠を超えてむしろ学級的アカデミックな雰囲気さえ漂わせてる。どこか、大人びた感じの世界だ。」

 カノンも続けて言う。

「主張して来ない世界ですね。バーガー店にショップしろゲームにしろ、お客さん相手の商売は常にその存在をアピールしようとするものです。この街はそういった商業臭を感じさせないという意味で、金儲けの原理からは自由です。それゆえに、周辺を行き交う人々に忙しなさはなく、街全体が静かに時を刻んでる印象です。とても、長い時間を経た歴史があるかのような、不思議と懐かしい気さえしてきます。」

 最後に俺も付け加えて言う。

「ここは、何となく作り手が冒険者プレイヤーに媚びることを放棄して創られた異世界という感じがする。娯楽というより芸術作品に近い。感情を動かそうとするのではなく、感性に訴えようとしてくる。金を儲けるゲームで、金儲けを全く考えてない趣味の世界。科学的な論文のように、たとえ真理であっても解る者にだけ解ればいいという諦めの中で、好奇心だけで追究した理想の箱庭。ある種、覚悟の上に築かれた楽園だ。」

 シオリが、仲間メンバーたちを見回しながら言う。

「みんな、あたしより上手いコメントをするんだから。まあ、あたしが言いたかったのはそういうこと。皆さんが、あたしの心を代弁してくれたところで、さっそく外に出て行ってみましょう。」

 若干、悔しそうなシオリに引き連れられて、俺たちパーティーはここシムバーガー異世界店を後にした。

 


 哲学の国、フィロソフィア。

 目の前を歩く住民は、全て人工知AI能を備えた限りなく人間に近いロボットである。

 住民は魂を持たない。現代の科学で、魂は生み出せないからだ。

 データとしての物質的な世界や生き物を再構築はできても、今のところ魂そのものの創造はできないままだ。

 おそらく神にしかなし得ない禁断の領域に、科学はまだ到達できてないのだろう。

 その大原則がある以上、この異世界の住人はプログラムで動いてる人形でしかないのだ。

 この国では理性をもたないはずの人形が、あたかも人間のように哲学の問いを探求してるのだが、これは一見奇妙にも思える。

 それでも、この人形たちが現実にある学問体系を超える内容をしゃべり出したことは、今までに一度もない。仮にAIが人間以上の知性を持つのなら、現代の科学体系を超えて人間の代わりに新たな発見をしたりする可能性も無いとは言えないが。

 AIが人間の知らない真理を語る。可能性としては否定できない事象だが、現在のところゲーム内のキャラがそんな発言をし始めた例は観察されてない。あくまで、まだプログラムは人間を超えてない。

 ゲーム内で起きてることは遍く科学の範囲内に収まり、物理の性質に矛盾してない。

 開発した者の物理を超えて魔法を見せようとする執念が、ゲームをゲームとは思えない次元にまで高めてる。

 それくらい完成度の高い世界を、このゲームは少数の上級プレイヤーに惜しげもなく提供していた。

 街を見物しながら、俺の身体は震えた。

 商業ゲームの中の街なのに、あたかも実在する異世界であるように錯覚さえしてしまう。というより、脳が目の前にある建て物も人々も存在してると認識してる。

 作り物っぽいものに、大抵脳は違和感を覚えるものだ。この異世界は、脳の認知機能を完全に騙していた。

 本当に異世界を歩いてるような感覚に陥り、それを自覚するごとに感動で心が躍る。

 生きてて、良かった。

 こんな体験ができる時代に生まれたことに、天を仰ぎ運命に感謝したくなる。

 さすがにそこまではしないのだが、横を見るとタカシが空に顔を向け目を閉じたまま涙を流してた。

……泣いてる。

 気持ちは、痛いほど解る。

 ゲームを愛する男なら、当然の反応だリアクション

 だが、今はなるべく抑えろ。

 感動は、家に帰ってからゆっくり噛みしめることだってできる。

 ゲームに詳しいわけではないカノンとシオリは、街を歩きながら観光気分で目を輝かせる。

「大きな街のように見えるけど、歩いてみると意外とコンパクトで機能的ね。中央から外縁に向かって絵画などに用いられる遠近法が取り入れられてるせいで、広さを感じるわりに長いキョリを移動しなくても済む構造になってるわ。さすが学問と芸術の中心地だけあって、考えて工夫を凝らした造りになってるものね。」

 感心しながら、シオリが分析を語る。

 カノンはお菓子や服飾のファッションお店に興味があるようだ。

「クレープやドーナツみたいなお菓子の店も、けっこうあるんですね。甘いものは脳にいいんでしょうか? お砂糖は、学問を究めようとする人々にとって、必須のアイテムなのかもしれません。お洋服も、芸術の街だけあってかわいくてオシャレなデザインも含め、様々な色形が見られウィンドウショッピングだけでも楽しい気分になれます。ゲーム中の衣服というと、ネコ耳やメイド服なんかが売り物として飾られてたりもしそうですが、この街では衣類やアクセサリーも自己を表現する一つの手段として捉えられてるんでしょう。自分とはこういう人間だというメッセージを発信する、デザイン性のあるファッションが多く見受けられます。」

 俺やタカシと違い、ゲームをゲームと感じさせない質の高クオリティさに戦慄することもなく、純粋に街の楽しさについてコメントをしてくれる彼女らは、プレイヤーとして正しいと何となく思った。

 中世の西洋風な街並みだが、彫刻や彫像といった華美な装飾などは少なく、どちらかと言うとシンプルでリズム感があり、どこかモダンな印象さえ受ける。古い時代の趣の中にも、新しい時代に見合った自由と合理性を兼ね備えてる。そんな進化を果たした感じの街だった。

 できれば、ゆっくりと観光をしたい場所なのだが、俺たちはそんなわけにもいかない。

 街中でもモンスターは出ないとはいえ、現実のように時間ときは流れる。

 学生が放課後に集まって週3回ゲームをする我がパーティーでは、時間はつねに限られてる。

 この巨大なテーマパークをじっくりと見て回るには、一日二日では到底足りないだろう。

 遊んでたら、すぐに家に帰る時刻になってしまう。

 尤も、ゲームをしてるのだからそもそも遊んでるのではあるが。

「それじゃ、さっそくこの街を観光してきましょうか。まずは、スイーツと服飾のファッションお店を片っぱしから覗いてくのはどうかしら?」

 そんな事を言い出すシオリを、さすがにメンバー全員は制止した。

 エリカがいればシオリの意見に乗って、女子2人対男子2人で数は同じで女子が勝つのだが、今日はカノンが俺たちに賛同して3対1に。

 数で、俺たちが勝った。

 観光をしないのはもったいない気もするが、それは土日や祝日にでもできる。いつでもできることは、後でもいい。

 逆に、今じゃないとダメなことはすぐにやるのが良い。

 正論を述べる者の数が多いので、パーティーは正しい方向へ。

 上級プレイヤーへの道を進むべく、俺たちは最初のダンジョンに向かった。



 天空の城『鏡の迷宮』ミラー・ラビリンスは、フィロソフフィアの首都ネモのちょうど真上にあった。

 上級セカイの中でいちばん易しいと言われるこの迷宮は、上位ランクを目指すプレイヤーの多くが最初に訪れる。

 名前のとおり、この城は空にあった。首都ネモの上空に、つねにじっとして動かない雲があるのだが、そのふわふわした丸い雲の上にそれはあった。

 宙に浮くのには何らかのエネルギーが必要であるように思われるが、実はそんなものは無い。宇宙が無重力であるように、もともと重力などというのは存在しないものだからだ。

 物質は全て万有引力を持つのがニュートンの主張する物理の法則だが、現代の科学では物質はそもそも存在してない。

 実在しない物質から、どうして引力などというものが生まれようか。そんなものは本来存在しないのだ。ゲームの世界は最初から重力があるわけじゃない。何もしなければ物が下に落っこちたりしない上下左右のない空間に、わざわざプログラムで下に向かう力を加えるのだ。

 人間の想像は空中庭園なんかを創り出すのに、それは今までフィクションの中にしか存在しないものだった。だが、ゲームでできる事は、現実ゲームでもできる。

 現実につづく場所──擬似現SR実の中でなら、それは存在できる。今は、そういう時代。

 宙に浮く島も、べつにすごい技術とか魔法で生まれるものじゃない。

 我々を縛ってきたもの、つまり重力というプログラムを解くだけで簡単に作れる。

 何もしなければ、物質は本来そらに浮くのだから。

 現代の科学は、そういう考え方をする。

 何も高度で複雑な技術で、法則に抗おうとしない。

 ただ拘束してる鎖を脱ぎ捨てるだけで、ラクで自由になれる。それを知ろうとしてる段階に、今人類はいると言える。

 ちなみに、雲はただの巨大なわたあめだ。ちぎって食べることもできる。

 栄養になることはないが、好きなだけ食べても胃に限界は来ない。

 地面の役割をしてる大量のわたあめ。これを食べるのは、少し衛生的に問題がありそうな気がする。

 でも、それを食べるかどうかはプレイヤーの選択の自由だ。

 ゲームの運営側も、それを規制することはしないらしい。

 雲の床に木の立て札が突き刺さっており、『わたあめを食べるさいは、各プレイヤーの自己責任でお願いします!』と、丸みのあるかわいい字で書かれてる。

 自己責任というのは、何か問題が生じるかもしれないという意味だ。

 空に浮かぶ雲の島。こんな夢のある世界でも、リアルに作ってみると現実的に厄介な問題が出てくるのかもしれない。

 おとぎ話は童話の中だけのほうが、夢を崩さないで済むということなのか。

 だが、人類は進むしかないのだろう。

 夢を現実リアルにするために、人間は科学と知識を進歩させてきたのだ。

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