第4話 出会いと分岐

 俺は家に帰って食事をすませると、急いで机に向かい英単語帳を開いた。

 明日じゃなくて、今日やる。

 それも先ほど、あのリケジョにくり返し叩き込まれてきた思考である。

 俺が勉強してると、母親が部屋をのぞきに来て何とも感激した表情で賞賛の言葉を浴びせた後、台所からプリンをもって来た。

 当然、プリンをゆっくり味わって食べ終えてから、勉強に取りかかるなんてことはしない。プリンを食べながら、単語帳を読んだほうが早い。

 上品かどうかはともかく、このやり方のほうが結果につながる効率を生む。

 俺は寝るまでの間ひたすら英単語を覚え、起きたら朝食のトーストを食べながら単語帳を開き、登校中歩きながら音読をし、学校では昼休みに弁当を食べながら黙々と暗記した。

 好きなゲームをやる時は、これくらいの集中力で続けても苦にはならないが、勉強はさすがに疲れが溜まってきた。

 放課後、単語帳を片手に下校しようとすると、先日のクラスメートたちが声をかけてきた。

「マヒロ。いったい、お前はどうしてしまったんだ? 勉強なんてして、どこか身体の具合でも悪くしたんじゃないか? 今さらがんばっても、お前の頭でどうにかなるもんでもないだろうに。」

 俺もそう思うんだが、エリカがやればできるはずだからと面倒を見てくる以上、相方のパートナー言うことを聞かないわけにもいかないんだ。

 身体の具合が悪いわけでは、べつにない。

「相方に、これができなきゃ私のパートナー失格だからね、とか言われちゃやらないわけにもいかんのだよ。面倒くさいけどな。」

 クラスメートの一人が飲みかけのお茶を盛大に吹き出したせいで、教室の床が汚れてしまう。

 あいかわらず、反応のリアクション明快な連中である。

「そ、そうか。そりゃ、責任重大だな。そこまで将来のことを考えてる仲なら、勉強もしっかりやらなきゃだよな。うむ、事情はわかった。婚約者のためにも、お前はしっかりと勉強に励むがいい。」

 どうも話がおかしな方向に逸れているようだが、今日はこれから英単語のテストがあるらしいので、この者たちの誤解を訂正してる時間ももったいない。

 いま連中の解釈を正すよりも、今日のテストを乗り切ることのほうが重大だ。

「彼女、待ってるはずだから行くわ。」

 そう言って、立ち去ることにする。

「幸せに、してやれよ。」

 完全に間違った理解をしてる連中が別れ際にそう言ってくるが、俺は目の前の英単語に注意を集中しなければならない。


 最寄りの駅に着くと、すでにエリカが制服姿で立っていた。

 俺が近づくと、「来たね。」と言って少しだけ笑った。

 基本、彼女は楽しいこともないのに笑う女ではない。いつもは、無表情でどこか遠くを見つめてるような、アンニュイな顔つきでいることが多い。

 何か良いことでもあったのか訊いてみるのもいいかもしれないが、たいして興味があるわけでもない話題を振っても、彼女はそういうことをわりと敏感に察するので、ムリにノリの良い会話をするのはやめておくことにする。

 かといって、淡々と事務的な会話だけをするのも味気ないと思うくらいには互いに他人を拒まない性格なので、俺は無難にあいさつ代わりの言葉をかける。

「よう。急にテストをやるとか言い出すから、家で必死こいて暗記してきたぞ。」

「アハハ。一応やってきたんだ。偉いじゃない。」

 褒められてるが、俺が暗記をしてこないことも想定してたようだ。

 相手が約束を守ってくれるとは、端から思ってないみたいである。

 母親みたいにお節介なやつだと感じることもあるが、自分が善いと思うことでも他人に無理強いはしない性格なのだ。

 決めるのはあくまで他人なので、自分はその人の道にいちいち干渉しない。

 逆に自分が決めたことを、他人にとやかく文句を言われる筋合いもないと考える。

 ドライでたくましい考え方だが、少し孤独なやつだ。

「お腹すいたなあ。また、シムバーガーに寄ってく?」

 エリカは日頃、よく食べるほうだ。

「そうだな。俺も今朝から、頭使ってばかりで腹が減った。」

 近くのファーストフード店で毎週更新されるクーポン券を利用しながら、軽食を摂る。

 といっても、エリカは小柄な体格のわりに大食いなので、特大サイズのハンバーガーをぱくぱくと腹に押し込んでいった。

 男の俺でも感心するほどの食べっぷりだ。

 しばし呆気にとられていると、急にエリカが真剣な顔つきになって話し始めた。

「マヒロ。私たち、これからどうしてったらいい?」

「……どうって、ゲームのことか?」

 唐突な質問に、一瞬何と答えればよいか分からなかった。

「そう。私たち、ゲームをしてそこそこの収入を得られてるじゃない? でも、これってASRシムゲームの中ではけっこう珍しいことなわけで。さらに、このゲームをして得た収入で暮らしていけてる人間なんて、全体の1%もいない……。」

「……。」

 確かに、シムゲームのRMS(リアル・マネー・システム)を利用して生活していけるだけの稼ぎを得てるプロのゲーマーは、ごくわずかしかいない。

 上位数%の収入を稼ぐ俺らのパーティーでも、バイト以下の時給にしかならない恵まれない世界。

 コンビを組んでからは2週間ちょっとの俺らだが、この先どうするとは何を思っての問いかけだろう?

「私たち、一応このゲームでは上位陣にいるわけだけど、今のままの収入では正直ちょっとキツイよね? この先、専業のゲーマーとして独立するつもりでやってくのか、それとも副業としてお小遣い程度を稼げればいいのか、もしくはこの業界では稼げないと見切りをつけて進学に向けて勉強をすることに専念した方がよいのか。」

「……ふむ。エリカの通う女子校って、毎年東大に何十人も合格するような進学校だっけ? 俺たちがこれからどうしてくかって、そりゃ普通に大学とかに行ったほうがいいに決まってるよ。仮にシムゲームで上位1%以内のプレイヤーになったって、その順位と収入がずっとつづいてくとは限らない。実力がすべての世界じゃ、当然一度落っこちたら無収入の時期だって味わわなきゃならない。そんな不安定な経歴キャリアが良いものだとは、俺は思わないからな。」

 エリカは少し、意外そうな表情を見せる。

「そっか。じゃあ、マヒロはこの先ずっとシムゲームをつづけてくわけじゃなくて、途中で見切りをつけて大学に行くための勉強とかをするつもりなの?」

「いや、そういうわけでもない。今は、物質よりも精神が中心にある時代だ。あくせく働いて安定な収入を得るのが善だという価値観はもう終わりつつある。シムゲームは収入面において不安定な世界ではあるけど、これが俺の趣味であり生きがいみたいなもんだから、結局はつづけてくんだろうな。」

「……なんか、言っていること矛盾してない? 安定して稼げるわけじゃないからちゃんと進学したほうがいいって言ったり、安定した収入を得るのが良いとされる時代は終わったって言ったり。結局、キミは自分がどうしたいと思っているの?」

「……まあ、お前はちゃんと大学に行って卒業をした方がいいし、俺はたぶんこのゲームをつづけてるんだろうな。って話だ。」

「ぷはっ!」

 なぜか、突然ふき出すエリカさん。

「何が、おかしいんだ?」

「何を言い出すかと思えば。キミは私がいないとまともに戦闘バトルすらできないのをお忘れかな? 一人では生きられない身分の者が、『俺はこの先に行くが、お前は来るな。』ですか?」

 うぐっ……。

 痛いところを突かれたので、俺は言い返すことができなかった。

 エリカの言うとおり、俺は彼女がいなければこのゲームで生きていけない。

 なぜなら、俺が一人では一つのことしかできないプレイヤーだったからだ。


 シムゲームの運営が開始されたのが、およそ一年前。

 当初からゲームに参加していた古参のプレイヤーが大勢いる中、たかだか2ヶ月前から始めたにすぎない新参者の俺らが、いきなり収入で上位組に食い込んだのには当然理由がある。

 それは、俺が全くもって効率の悪い努力をしてきたことに原因があった。

 実は、シムゲームで出現してくるモンスターは、戦っているとごくたまに一瞬にして消滅してしまうことがある。

 剣による攻撃がヒットした際、一〇〇回に一回くらいの低い確率で即死するということが起こるのだ。

 その現象のメカニズムはすでに解明されていて、ネットで調べてみるとすぐに原因が判った。

 モンスターには身体の内部に球体のコアがあるという設定になっていて、その球核(スフィア・コア)をたまたま剣で攻撃した時に敵は瞬時に霧散してしまうということらしい。

 当たれば敵を一撃で倒せる『急所』が存在すると言える。

 だが、このコアはモンスターの身体の内部に埋め込まれていて、外からは目で確かめることができない。ゆえに、プレイヤーが狙って当てられるモノではない上に、そもそも核が球体なのでうまく剣で割ることさえできない。

 目に見えない球体の中心に向かって剣を振り下ろさなければ、攻撃が急所にヒットしたことにはならない。

 このようなほぼ不可能に近い難易度の必殺技が、このゲームには存在しているが、多くの者が試みたであろうその剣技はテクニック今ではただの効率の悪い戦法という扱いになってしまってる。

 それもそのはずで、剣で球体を狙って割るというのは何とも非効率だし成功率が余りにも低い。目を瞑りながら、針に糸を通すようなものだ。

 敵は常に動いてもいるし、たまたま運よく当たったというパターンでしか一撃での即死は狙えない。

 一〇〇回に一回くらい起こる運要素という位置づけに、今では落ち着いている。

 にも関わらず、とある新参者がその一撃技を磨こうと無謀な挑戦を始めた。

 古代ふるしろマヒロ。つまり、俺である。

 結果、普通に失敗した。

 俺はシムゲームを始めてから一ヶ月半、学校と寝る以外の全ての時間をゲームに費やして没頭していた。

 そしてその間中、俺はただ一つの剣技だけをくり返し磨いていた。

 球体を剣で割る一撃即死技、『コア割り』である。

 挑戦するだけなら、職業ジョブに関わらず誰でもできる。

 魔法使いのエリカでも、初期装備しか持たない新米剣士のプレイヤーであっても。

 機会チャンスは全てのプレイヤーに等しく開かれている。

 だが、誰もやろうとしない。

 そりゃ、そうだ。

 がんばっても得しない努力を、誰がつづけるというのか。

 ムダであることが、分かりきっているのに。

 俺は、つづけた。

 それだけを、ひたすらにわき目も振らずに。

 一ヶ月と2週間ほどが過ぎ、ようやく自分のやってることが効率が悪いんじゃないかと思えてきた頃。

 綾瀬エリカが、俺の前に現れた。

 彼女は俺がザコ敵と戦ってるのを、しばらく土手に座って眺めていた。

 しばらく経ってから立ち去ったが、またすぐ手に肉まんを持って戻ってきた。

 俺も自分がゲームをしてる横で肉まんを頬ばりながら観戦してる女がいるなとしばしば気にはなっていたが、ある時ふとその女がこちらに寄ってきて声をかけてきた。

「ねえ、なんでそんな効率の悪い戦い方をしてるの? モンスターの身体の中心部ばかりを狙って。もっと端っこのほうを狙ったって攻撃は当たるでしょ?」

 このゲームは女のプレイヤーも珍しくはないが、俺はあまり見かけたことがなかったので少し戸惑った。

「えっと。コア狙いのテクニックを練習してる。知らないのか? モンスター体内の球体をうまく割れれば、敵が即死するって仕様。」

「なんか聞いたことがあるわね。一%とかの確率でなるんだっけ?」

「そう、それ。訓練すればある程度狙って出せるもんかと思ってたんだけど。どんなに努力しても7%くらいが限界だった。」

「……?」

 エリカが興味深そうにこちらを見つめてくる。

「七%の確率でモンスターを即死にできるの?」

「?……ああ。こればっかりを訓練してるうちに、モンスターのコアの場所を大体覚えたからな。といっても、個体によって少しずつ位置が違うから、覚えたところで大して役には立たなかったが。効率も悪いから、ぜんぜん稼げてないよ。」

「たしかに役に立たなそうな技だスキルけど、一%の確率を七%にまで上げられたんだ。ちょっと、この場で見せてくれない? 私が魔法で、後援アシストしてあげるから。」

 そう言って、エリカは辺りにモンスターが近づいてくるのを待ってから、魔法の指揮棒を向けて呪文を唱える……。

「って、おい。ちょっと待ってくれ。お前の魔法、生成が異常に早くないか?」

「へ? そう? べつに、普通にやってるだけなんだけど。」

 その後、エリカの魔法に関する特殊な才能についていろいろと議論・分析を交わすことになったが、これについてはすでに記してるのでここでは割愛する。

 それから、エリカが火球魔法を放ち巨大なナメクジのような『河ウミウシ』を攻撃した時、俺はあることに気づいた。

 火球の軌道である。

 俺は一ヶ月と半月、ひたすらにモンスターのコアを狙いつづけてきたから判ったのだが、その魔法の軌道が体内の核に向けて描かれていたのだ。

 すでに感覚でそれが分かる。

 間違いない、魔法はモンスターのコアに向けて飛ぶ。

 この発見をした時、俺は悟った。

 目の前の女子高生プレイヤーの詠唱時間をほぼ必要としない魔法、割ればモンスターを即死させられる球核に向スフィア・コアけて飛んでいく魔法の軌跡、一%の低確率を効率の悪い努力で七%にまで命中率を高めた俺の核割りの技。スキル

 これら三つの条件がそろえば、外部からは見えないモンスターのコアを狙い即死させる戦法を、待ち時間ほぼゼロで効率よく回せる!

 初級のモンスターを倒したところで、得られる現金マネーはたかが知れてるシムゲーム。

 戦闘バトルの回転率を上げなければ、どうやったって稼げない。

 だが、今その問題を解決する道が一気に開かれようとしていた。

「なあ、綾瀬さん?」

「なんか、現実リアルみたいな名前の呼び方だね。ゲームなんだし、エリカかエリカ様でいいよ。」

「えっと、もう一度魔法をモンスターに向けて撃ってくれないか? その直後に俺が、剣で急所を狙ってみる。うまく行けば、モンスターを高確率で処理できるかもしれない。」

「あれ、七%なんでしょ? 実戦で有益なレベルの確率じゃないでしょ。」

「まあ、やってみてくれ。もしかしたら、実戦で使えるレベルの技にスキルなるから。」

「そうなの?」

 河原に現れたウミウシ型モンスターにエリカが魔法を放つと、その弾道はたしかに球体のコアに向かって描かれていく。

 俺は宙に引かれた曲線からコアの位置を予測し、河ウミウシに剣を振り下ろした。

 予想したとおり、剣は急所に的中しモンスターは瞬時に消滅した。

 この流れを何度かくり返してみても、ちゃんと同じ結果を再現できることが分かった。

「すごいね。五〇%くらいの割合で即死にしてない?」

「そうだな。コアの位置が正確に掴めれば、動く相手と言えども急所を狙いやすくなるからな。ましてや、俺はこの一ヶ月半この技術だテクニックけを集中的に訓練してきた。むしろ、これしかできないと言っていい。だからこそ、通常の七倍くらいの確率で即死を引き起こせるのだが。」

「一%が7倍で七%になって。それが、私の魔法の後援アシストでさらに7倍近くになったわけか。この割合で即死が狙えるのなら、稼げるかもね?」

「ああ。この戦い方をシステム的にこなせるようになれば、最低賃金のバイト代くらいは稼げるようになるんじゃないか?」

「もっと稼げるようになると思うよ。じゃあ、パーティーを組む? 私ゲームのことはよく知らないから、いろいろと教えてよ。」

「……え?」

 すっかり忘れていたが、相手が同年代の女の子であることにようやく気づいた。

 話し方とか立ち振る舞いがあまり女子っぽくないので、そういう部分に意識が向かなかったようだ。

 よく見ると、ものすごく美少女……というのは言い過ぎだがそこそこの美人が目の前にいた。いや、一見して美少女だとは分からない見た目をしていたと言い表すのが、むしろ正しい。

 美しさを、主張しようとはしてなかった。

 無意味な飾りを減らしていったフランス人形みたいな外見ルックスであり、表情も何となく薄い。

 髪型にしろファッションにしろ、さらに佇まいに至るまで女の子らしさを取り除いた印象のエリカは、それゆえに自由で気楽そうに見える。

 よくアニメなどに出てくるヒロインのイメージとは、真逆と言っていい。

 男にとって理想化された容姿・キャラクターになりやすいそれらとは違い、やたらとふわふわしたところもなく、早い話が男に媚びている部分がなかった。

 オシャレに興味がないようにも見えるが、しかしどことなく優雅さエレガントが漂う。

 育ちが良いのかもしれないし。単に変わってるだけなのかもしれない。

 女とパーティーを組むといっても、俺は異性とどういう会話をしたらいいのかをよく知らない。

 基本、女子は男子とはまったく別の生物だと思ってる。

 生きてる文化や価値観、食べるものの傾向や話す言語まで異なるのだから、共通の話題なんてカンタンに見つかるとは思えない。

 そんなふうに逡巡してると、エリカがまた口を開き。

「じゃあ、決まりね。知り合いにこのゲームをやってる子がいないから、誰とパーティーを組むか迷ってたんだけど。今日、たまたまキミを発見できてよかったわ。」

 それから、お互いの連絡先アドレスを交換し、その日は別れることにした。

 これ以降、俺たちは短期間で多量のポイントを稼ぎだし、獲得収入ランキングの上位者に名前を連ねるまでになったのだ。

 とは言っても、実際にはバイトでもしたほうが効率がいいような稼ぎしか得られていないのだが。

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