第3話 図書室でお勉強

 翌日、いつものように長時間イスに座りながら黒板の字をノートに写す単調な作業を終え、そのまま学校から出ようとすると珍しくクラスメートに呼び止められることになった。

「マヒロ。もしかして、今日もゲームのバイトか? 最近、ちょっと忙しそうにしてるな。暇ならバスケでもしてくつもりはないかと思い、声をかけてみてるんだが。」

 教室にそんなに友だちはいないが、たまに口を利くやつが遊びに誘ってくれたようだ。

 といっても、おそらくメンバーの頭数合わせに同じクラスの暇そうなやつに声をかけてるだけみたいだが。

 教室の隅のほうに、ボールをもった男子生徒ら数人がまだ下校せずに残っている。

 付き合ってもよかったが、一応エリカとの約束があるし昨日のゲームでさんざん身体を動かしてるので、少し筋肉痛ぎみだ。どっちみち、ムリだろう。

「ああ、悪い。あいにく、今日は約束があるんだ。友人と会わなきゃいけないから、先に帰るよ。」

「あれ、お前に友だちなんていたっけか? 約束があるとか、まるでリア充みたいなことを言いやがって。」

「失礼な。確かに友だちはいないが、今日は女子校の知り合いと勉強をしなけりゃいけないんだ。俺にだって友人の一人くらいはいてもいいはずだが、いろいろと忙しくて時間が取れないんだよ。暇さえあれば、俺ならすぐにリア充くらいなれるだろうさ。」

 言い終わる前に、教室の隅にいた連中の一人が飲みかけのジュースを吹き出していた。

 クラスメートたちが目を丸くしながら、俺を見てるのが分かった。

「なるほど。まさかお前に、そっちの知り合いがいたとは予想してなかったな。デートの用事だったのか。これは、呼び止めてすまなかった。俺らのことは気にせず、存分に楽しんで来るといい。」

 いや、普通に勉強をしに行くだけだ。

 楽しいことなどは、とくにないのだが。

「あいつはエリートのお嬢様だからな。勉強を教えてくれるのは、どっから見ても凡人の俺を哀れに思ったからじゃないのか?」

 さっきのやつが、またジュースを吹き出した。あとで、床を拭いといてほしいものだ。

「エリート……。」

「お嬢様。」

「玉の輿?」

 何やら、勝手に妄想を膨らませてる男子生徒ども。

 どう言い訳しても、真実よりこいつらの勝手な解釈のほうが正しいことになってしましそうなので、俺は彼らを尻目にさっさと退散することにした。



 有名女子校の桃蔭とういん高校。

 校門の前に到着したが、敷居をまたぐのに心理的な障壁ハードルがけっこう高い。

 エリカに着いたことを知らせるメールを送ると、図書室に来いとの返信が来た。

 勝手に入ってもいいんだろうか?

 どこかの馬の骨みたいのが入って、怪しまれないだろうか?

 中は、いい匂いとかするんだろうか。

 女ばかりの園に進撃する前に、いろんな妄想や不安が頭の中を巡るが、校門の前につっ立ってると余計に怪しい人物に見えるので、堂々と中へ入っていくことにする。

 校内はいたって普通の学び舎であり、女子校だからとくにキレイとかお上品な雰囲気ということもなかった。まじめに、学校の形をしてるだけだ。

 そこらにいる女生徒も、街中で見かける普遍的な女子高生とそこまで変わらない。

 むしろ、男がいない環境ゆえか、どちらかと言えば地味めでありふれた娘が多い印象である。

 そうは言っても、女しかいない空間に足を踏み入れるのは、異様な禁断の地を探検するような畏怖感がある。

 図書室を見つけ出して入ってみると、こちらに向かって手を振ってくる女子が目に入った。

 いつもゲームをしてる見なれた相方のパートナーエリカだった。

 向かいの席に着くと、彼女がいつもは掛けていないメガネをしてることに気づいた。

 かといって、それについて何かを言うのも意味がないので、黙って机に教科書の類を広げることにする。

「やあ、ちゃんと来るとは思わなかったわ。意外だねえ。」

 そもそも、来ない前提だったのか。

 来ることが義務だと思っていたが、勝手な思い込みだったのかもしれない。

「キミは勉強に対してやる気があまり湧かないみたいだけど、それは勉強が何かの役に立つわけじゃないからと自分では分析していたね。でも、その考察はちょっと矛盾してるんじゃないのかな? なぜなら、ゲームは何の役にも立たないのに、キミはそれをやる時にはいつもものすごい集中力を発揮しているのだから。つまり、勉強にやる気が湧かないのは実用性どうこうの問題ではなく、それが実はゲームであることに気が付いていないからなんだ。」

 ……言われてみれば、ゲームも勉強と同じで役には立たない。

 なのに、俺はそれをやる際には、わりと何時間でも集中して続けてられる。

学校の勉強が何かの役に立つのかと問うなら、じゃあゲームは俺の人生に何の得をもたらしたと言うのか。

 ひたすらモンスターを倒してレベルなどを上げた結果、何か意義のあるものが生まれただろうか?

 そして、エリカが言うには、勉強もまたゲームなのだと。

 その発想は、なかったな。

 勉強はべつに生きる知恵を学ぶ作業ではなくて、単に点を取るためのゲームなのだとしたら、俺にもできるようになる可能性は残されてると言える。

「まず一つ覚えておいてほしいのは、勉強は面倒くさくて小難しいという一般のイメージは、嘘だから。やってみれば分かるけど、とってもシンプル。一見とっつきにくそうに見えるだけで、内容は大抵頭で理解できる。外面だけで判断せずに、中身をよく見ましょう。勉強は、べつに怖くないから。そのことを知ってるだけでも、恐怖心が薄れると思うよ。」

「……ふむ。なるほど、一理あるな。小難しそうで量もたくさんに見える教科書の記述に、実はシンプルな中身がちゃんとあったわけか。とすれば、ゲームと同じで効率のいい攻略法が見つけられるかもしれないな。手強そうなモンスターでも案外見かけ倒しで、ちゃんと対策をすればわりと楽に倒せたりするのと同じってわけか。」

「その解釈で、あながち間違いじゃないわね。どんな科目でも、単純な本質を小難しそうに言ってるだけってパターンは多いから。あとは、私たちが普段やってることと同じ。つまり、限られた時間の中でいかに効率よくポイント(点数)を稼ぐか。勉強のシステムって結局、点数をたくさん取った者が勝ちで、少ししか取れなかったら一般人って感じでしょ? 私たちがやってるゲームと、ルールは全く同じじゃないの。」

「勉強の本質は、点数稼ぎゲームってわけだ。すると、学校に行きながらゲームで収入を得ようとしてる俺らにとって、時間の使い方は何よりも重要になってくるものだが、それは勉強にも同じことが言えるわけで。だが、時間をいかに作り出すかが、意外と難しい。俺なんか、勉強をしたくてもいつも時間がなくて、気づいたら寝る時間になってるって感じだしな。その時にはもう、明日にでもやればいいやって思って、やる気がなくなってる……。」

「まず、明日やればじゃなくて、今日やろうよ。難しいけど、できるようになるよ。そのためには、一つのことだけをやっていてはダメ。2つのことを同時にやってちょうだい。とりあえず、ご飯を食べる時はテレビを見ない、という常識を疑ってかかる。そんな非効率なことをやってるから、すぐに時間がなくなる。テレビとご飯は同時にする。そのほうが、効率がいい。」

「へえ、なかなか合理的な考え方をするんだな。一般的な家庭ではテレビを見ながら晩飯を食べてたら、お行儀が悪いとか言われそうだけど……。エリカの家なんか、とくにそういうとこ厳しいんじゃないのか?」

「成績が上がれば、親は黙るわ。私も最初はさんざん言われたけどね。女の子がはしたない格好でご飯を食べるのは、お上品じゃなくて世間的によく思われないからどうのこうのって。でも、いくら既存の常識に反する生活をしてても、結果さえ出せばそれが新たな常識に代わるから。」

 「なるほどね。2つのことを同時にやれば、大ざっぱに言って時間は半分になるもんな。その考え方でいくと、ネットをしながら昼飯食うとか、電車に乗ってるときに本を読むとか、学校の休み時間にやりかけのゲームを進めとくとか、いろいろ応用できそうだよな。」

「そういうことなのよ。現代は学生であっても、まとまった時間なんてそうそう取れるもんじゃない。私たちは時間に縛られるんじゃなくて、時間を支配しないといけないの。キミはカップラーメンができ上がるまでの3分間、いつも何してんの?」

「ただ、ボーッと待ってるよ。」

「それがダメ。その3分の間に英単語帳を見とけば、点数が2点くらいは上がるのに! 時間がないって嘆く人は、そういう人なのよ。私も前はそうだったから、分かる。でも、時間に拘束される人は、それが試験の点数にも自分の収入にも変わることを軽視しがち。」

「ふむ。言いたいことは分かるし、全くもって正論だとも思う。しかしこの世の中、勉強でも何でも単に効率よくものごとをこなせるだけの人間は、本当に価値があるんだろうか? 速く作業をするだけなら、べつに機械キカイでもいいんじゃないのか? たとえば、計算機が発明されたから人間はいちいち暗算をしなくてもよくなったし、知り合いの電話番号はケータイに登録しておけるから、そんなものをわざわざ暗記することもなくなった。今や暗記や計算などの能力は、鍛えたとしてもあまり意味がないんじゃないだろうか……?」

「いい質問だけど、的が外れてるわね。先に言っとくと、勉強の本質は計算や暗記じゃなくてゲーム。小難しい迷宮の中に踏み込んで、そこにシンプルな意味を発見し攻略するのがミッション。着眼や創意工夫、発想をひねり出しながら、理解することを目指して進む思考の冒険。何も計算や暗記が=勉イコール強じゃないのよ。そして、この勉強ゲームを限られた時間の中で終わらす要領のよさ、すなわちスピードもまた必要。」

「そうか、勉強がゲームなら、暗記や計算ばかりやらされるはずはないな。世の中に、そんなクソゲーは脳トレ系以外には存在しない。そして、勉強の攻略にはある程度の時間も必要だが、俺ら学生の時間はけっこう限られてる。その中で何らかの結果を出そうと思ったら、早くないとダメだ。それは、コンピューターみたいに単純な速度を上げるというよりも、2つのことを同時にやったりちょっとした待ち時間を有効に使ったり、勉強そのものの効率を上げる近道を見つけたりといった考え方になるわけだが。」

「飲み込み、早いじゃん。あとは、キミ自身がやるだけだよ。


 ノートはあとで復習しやすいように、読めるレベルで整理して書いて。部屋の掃除といっしょで、どこに何の情報が書いてあるか分からないノートだと、探してる時間がムダになるから。

 計算や暗記は、日常の空いた時間に習慣的にやるようにする。ケアレスミスをなくす練習にもなるわ。

 さらに、読むスピードを上げる。脳内で音読してるヒマがあったら、その間に次の文章を読みましょう。

 考える前に、手を動かす。正確には、手を動かしながら考える。

 そして、短時間でも毎日つづける!」


 女子校の図書室でみっちり勉強を指南され、言われたことをメモした紙を片手に、俺はその校舎を後にした。

 なんだか、思いのほかスパルタな指導だった印象であるが、学校の教師よりも厳しめな分言ってることが的を射て理に適ってた気もする。

 図書室にいる間、何人かの女子生徒がこちらをのぞき見ては、

「まあ、あの綾瀬エリカさんが見知らぬ殿方といっしょに勉強をなされているわ。今までそんな雰囲気はまるでなかったはずなのに、急にどうしたというのかしら? それも、こんな公共の場で堂々と!」

 などと聞こえる声の大きさでヒソヒソ話をしていたが、熱血な授業を受けてる最中のため、実際気にかけるどころではなかった。

 電車に乗って帰る途中、エリカからメールが来た。


 明日までに、英単語を三〇〇語覚ワードえてきて。

 テストするから。

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