第4話 光から遠く離れて

 シンが最上階にいることはわかっていたが、光輝はその最上階に至る道を見つけられずにいた。何台ものエレベータを乗り継ぎ、六十階まで登ったところまでは記憶していたが、そこからは記憶することを止めていた。押し寄せる戦闘ロボット、そしてシンの配下の『強化ブーステッド』を相手にするうち、どれほど登ったかは意味を成さなくなった。意図的であることは間違いないが、シンの超高層建築物は、迷宮さながらの作りをしていた。


「コウ兄」


『強化』兵士から奪った拳銃で、別の『強化』兵士を撃った。寸分違わず額に命中した弾丸の反動で、大きく仰け反って倒れた姿を視界の端に納めながら、廊下の壁に背中を預けて身を隠すと、光輝はすぐ隣に立つアスカの方を見た。光輝の後ろに付きながら、後方からの敵を一人残らず切り伏せてきたアスカは、いまも光輝の背を守りながら、光輝が注意を向けていない側に視線をやり、何かを指差していた。アスカの手を追い、その先にあるものを光輝も見た。

 廊下の合成石材の一部が輝いていた。ちょうど廊下の中央だ。光は列を成し、まるで光輝とアスカを誘うように明滅している。


「……罠」

「だろうな」


 だが、と光輝は光る廊下へと足を向けた。罠であることは間違いないだろうが、いずれにしてもこのままではシンの元に辿り着くことができない。罠ということは、何かしらを仕掛けて来る、ということだ。その何かしらからこの迷宮を突破し、シンの元へ至る方法を得ることができるのであれば、この罠はこちらにとって絶好の機会になり得る。

 光輝の背には、何も言わずにアスカが続いた。彼女とて、とうに覚悟はできている。どんな敵が現れ、どんな罠が仕掛けられていようとも、それを打破してシンの元へと辿り着く覚悟が。

 だが、そんな光輝とアスカの覚悟に反して、光る廊下を追うほどに、周囲は静まり、二人の足音だけが反響するようになった。音はなく、ただ明滅する床が、二人を先へ先へと急かした。警戒を解くことはしなかったが、心持ち足を早めて、二人は廊下を進んだ。

 床の光は途中で折れ曲がり、直進してはまた折れ曲がりを繰り返す。巨大といえ、ビルという限られた空間であるはずの場所で、光輝は〝ネクスト〟として生まれ落ちて初めて、方向感覚を失った。〝ネクスト〟である自分に、そんな感覚があるとは、と驚いていると、アスカが立ち止まった。光輝も足を止めて、廊下の光の先へ視線を向けた。

 大きなエレベータの扉が突き当たりにあった。

 乗れ、ということか。光輝は無言のまま、ゆっくりとした足取りでエレベータの扉に歩み寄った。扉の脇にエレベータを操作するための操作盤が見当たらない。それを確認した上で、なにもせずにただそこに立っていると、巨大な扉の向こうで、微かな音が聞こえた。機械の駆動音だが、ひどく小さい。その音もすぐに止む。

 扉が開かれる。扉の向こうは、光の洪水だった。硬質強化ガラスに被われたエレベータの外側壁面は、そのまま空へ飛び出すような錯覚をもたらす。外に広がるのは、魔都トーキョーの夜景だ。夜景と呼ぶにも品位のない、ただただ明るい街。ところどころ虫食いのように闇があるのは、そこに『非強化アンブーステッド』が住む下層街地域が顔を出しているからだ。美しい、とは思う。だがそれ以上に空虚であると感じる。美しさの実を感じない。光輝は幾度か目にしたことのあるトーキョーの街並みを、幾度か抱いたことのある感想と共に見つめた。

 光輝に続いて、アスカがエレベータに乗り込むと、扉はやはり自動的に閉ざされた。殆んど無音と言っていい駆動音と、それに反する速さで、エレベータは上昇を始めた。身体に重力を感じるレベルの速度を維持している。すぐに外の光も淡くなっていった。向かうのは、地上の過剰な輝きからは遠く離れた闇の中。外の景色を、薄い雲が包み込んでいく。


「コウ兄」


 口調から、アスカが何かを訊ねようとしていることがわかる。口数が少なく、感情表現が曖昧であることは、幼い頃から変わらない。〝ネクスト〟になっても、変わりはしなかった。だからこそ、光輝と耶麻人はアスカの数少ない言葉から、彼女がなにを考えているのかを読み取れるようになったのだ。

 いま、アスカの言葉に乗せられている感情は、不安だ。


「シンには手を出すな、と言ってたけど、わたしの復讐の最終目標はシン。それは、コウ兄もわかるでしょう。手を出さない訳にはいかない。わたしはそのために……」

「だめだ」


 光輝は即答した。このビルに来る前、光輝は同道を申し出たアスカに、ひとつだけ言い置いた。シンは自分が仕留める、お前は手を出すな、と。

 即座の拒絶に、しかしアスカは折れることなく、また感情を露にすることなく、落ち着いた声で反論を語り始めた。


「なぜ? わたしはシンを殺すために〝ネクスト〟になった。刺し違えてでもヤマト兄の仇を取るために。シンが強力な『強化』なのはわかってる。自分が死ぬかも知れないこともわかってる。その上でなぜ?」


 光輝が無言を返事にすると、アスカはさらに続けた。


「コウ兄は、コウ兄をわたしが殺す、その資格がある、とも言った。なら、わたしにはシンを殺す資格もあるはず。ヤマト兄の復讐である以上」


 その通りだと光輝は思う。だが、それでもアスカをシンと戦わせる訳にはいかなかった。シンを討てるのは、おそらくこの世で自分だけ。


「……何も話さないなら、わたしはシンと戦う。それで構わない?」

「何かを言葉にする必要はない」


 ふっ、と身体にのし掛かる重力が弱くなった。高速エレベータが減速したのだ。ゆっくりと止まっていこうとしている。外からの光は遠く、見上げれば魔都からは失われた天体の明かりが瞬いていた。


「見れば、わかる」


 エレベータが完全に停止する。

 巨大な扉が、ゆっくりと開かれた。

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