第3話 物語の終わり

 衝撃はずっと階下のもので、この最上層階までは届かない。ただ、それでもその衝撃を確かに感じることができたのは、映像としてこの目で見ていたからだろうか。それともこの身体に備わった『能力』のためか。

 シンは円卓の椅子に腰掛け、中央の球体型スクリーンに映し出される階下の光景を眺めていた。毛足の長い上等な絨毯を敷き詰めた部屋は在りし日の、塵一つ落ちていない清潔感が支配した常とは、まるで異なる状況にあった。ネスタから吹き出した血と皮下潤滑剤が辺りに不気味な紋様を作り、そのネスタはいまや三つの部位に別たれた遺体となって転がったまま、いまだに体液を噴き溢し続けている。


「お茶が入りました」


 シンの前に、ソーサーに乗った磁器のカップが置かれる。白地に爽やかな青で描かれた草紋が美しい紅茶用のカップで、シンの愛用品だった。あまりにも場に不釣り合いな美しさで存在感を放つカップに視線を落としたシンは、次いでそのカップを置いた手先を辿り、そこに立つ人物に視線を向けた。黒い燕尾服を纏った、白髪の紳士をそこに認めた。


「本日の茶葉は、旧世紀からの伝統の品でございます」

「……そうか」


 なぜ生きている、とは訊かなかった。血塗れの燕尾服と、取れかけた首、そして額に穿たれた穴がその理由を語っていたからだ。

 ネスタは確かに話していた。シンが唯一、身の回りの世話をするように置いた執事、トヤマを殺害した、と。トヤマの首と額の傷は、ネスタによるものだろう。『強化ブーステッド』の致命傷である二点を的確に突いた傷だ。


「……美味いな」


 カップを手に取り、嘗めるように紅茶を口にしたシンは、率直な感想を呟いた。トヤマが血塗れの顔の皺を深く、笑顔の形に刻み、深く一礼する。

 人類が『強化』へと進む中で、その身体にインプラントされるものの研究は、様々に行われてきた。同時に本来の医療目的の観点から何かを植え付けるのではなく、いまある人体器官を機械部品に置き換える実験も行われ続けている。トヤマはその中でもであった。

 現在は、この実験は行われていない。失敗したと言われている。脳をデータ化し、脳と同じ働きをする極小のチップを身体の各所へ埋め込むことを目的としたが、その被験者は総じて記憶障害や感情の喪失、廃人と化していた。脳は『強化』する社会に舵を切った人類にあっても、未だに未知の働きを続ける器官だった。

 かくいうトヤマも、失敗した事例の一人であった。トヤマは施術前から仕事としていた執事としての職能と、強襲型アサルトタイプ『強化』としての戦闘技術、という記憶以外の全てを失っている。元々は仕えた家の家長に求められて参加した実験であったらしいが、トヤマはその事すら、覚えていない。だがそれ故現状、シンを絶対の雇い主としていて、あらゆる感情を差し挟まずに職務を全うする。それは、例え自分の身体にどのような危険が迫ろうとも、である。


「……階下にいらっしゃるお客さまを、ご案内差し上げる必要がございますかな?」

「……そうだな」


 ネスタの指摘した通り、シンはこのトヤマを使って、ある計画を実行した。半年程前のことだ。元々、かつての反『強化』組織『crus.クルス』メンバーの動向は、十五年前から逐一探らせていたが、その網に興味深い情報がかかった。新たな〝ネクスト〟の出現である。

 シンも始めは半信半疑であったが、もたらされる情報の中にプロフェッサー・グレイの名を見た時、確信に変わった。新たな〝ネクスト〟の目的が『七同盟』の暗殺であることも、確信を後押しした。十五年前、シン自らが手掛けた仕掛けが、動き始めたことを確信したのだ。

 計画を実行に移したのは半年前。だが、計画そのものは、十五年前から始まっていた。シンは長い年月の中で、綿密に作り上げた計画の通り、魔都を動かした。ネスタの言葉通り、新たな〝ネクスト〟が暗殺に成功しやすいように場を作った。クルスヤマトの亡霊を演出し『crus.』と結び付けやすい情報を過剰に流した。戦闘狂でありながら知性的でもあるミネルヴァと、慎重に慎重を重ねるカラエフが情報に流されてくれるかは賭けだったが、『crus.』の名はシンが想像した以上の効果を発揮してくれた。

 ハイタニコウキが動いたことも『crus.』の名が想像以上の効果を発揮した結果だった。元々は、もっと別の方法でハイタニコウキを引きずり出す計画だったが、手間が省ける結果となった。彼が現れたことで、シンの計画した舞台は完成した。後は結果だ。物語は、完結を迎えて初めて物語としての意味を持つ。シンは自身が計画した、の結果を、紡ごうとしていた。『七同盟』の崩壊は、その物語を紡ぐ上で必要な事項であったが、それ以上の意味は持たない。その後に訪れる世界は『七同盟』の崩壊に、それほどの意味しか与えない、ともいえる。


「……では、お迎えして参ります。ああ」


 トヤマが自身の頭に手を添える。血と油が混ざりあった液体が美しい白髪を汚していたが、彼は気にしていない様子だった。


「このままでは首が落ちますな。縫合してから参ります。誘導灯だけでは客人に御無礼ですかな?」

「構わん。任せる」


 シンがそう言うと、トヤマは自らの頭を支えたまま一礼し、その場を離れていく。その背中を見ながら、シンは物語の結末を思った。

 もうすぐ完成する。これは、この物語は、自分が自分として生まれた以上、成し遂げなければならないことを宿命付けられた物語なのだ。

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