第2話 王への道程
目測だけではなく、やはり通りには百近い『
累々と横たわる『強化』の骸。血と生体オイルが混ざりあい、黒く変色した液体で満たされた『強化』の中枢、シンの超高層ビル前の通りに立ち、光輝はビルの入口に視線を向けた。
外の攻勢に反して、ビルの入口、そしてガラス張りで奥まで見通せるビル一階のエントランスに『強化』の姿はなかった。静まり返る巨大建造物は、まるで天空から突き刺された刃のようで、それが地上に降り立った瞬間に周囲の生き物は死滅させたとでもいうようだった。一切の生命の気配を感じない。
だが、いる。それは間違いない。それだけは間違えようがない。『強化』の王は、このビルの最上階で待っている。
「コウ兄、ネスタは……」
「出てくるかもしれない。気を付けろ」
もう一人の『七同盟』シルヴィオ・ネスタは『強化』で最も優れた暗殺者といわれる。あの男が体内に内蔵した『
そんな超兵器に、〝ネクスト〟の感性がどこまで通用するのかはわからないが、とにかく意識を集中し、慎重な足取りで光輝はビルへと入った。遅れてアスカがその背に続く。
入口の自動扉をくぐり、風除室を経てもう一枚の自動扉をくぐる。外から見たまま、ビルの内部に人の気配はなく、柩の中のような沈黙が流れている。磨きあげられた灰色の合成石材を敷き詰めたエントランスホールは広く、三階に相当する高さまでが吹き抜けになっている。入口正面には二階と三階へ真っ直ぐ伸びるエスカレータがあり、無人のビルの中で唯一、ほんの微かな駆動音をさせていた。動きそのものは止まっていたが、誰かが近づけばベルトを回転させ始めるのだろう。駆動音は待機状態で通電している唸りのような音だ。
ビルの構造はわからないが、とにかく上へと向かう必要があった。光輝は低く唸るエスカレータに乗った。静かな音と共に、乗った板が二階を目指して動き始める。ビルの空気が少しだけ変わったのは、エスカレータが動いたからか。
「コウ兄」
光輝が場の変化に気づいたのと、淡々としたアスカの声はほぼ同時だった。この空間に変化をもたらしたのは、エスカレータの音だけではなかった。新たに発した大袈裟な駆動音が静謐な空気を掻き乱す。
光輝が音の方へと視線を向ける。エスカレータが向かう二階のフロア。そこに巨大な鉄の塊が
赤い光が光輝を見た。その瞬間、それがガイド用でも清掃用でもないことがわかった。いや、ある意味では確かに『清掃用』と言えるかもしれない。
光輝が相手を理解した時、つるりとしたブルーの球体に、内側から無数の突起物が生えた。棒状のそれらは、一本一本が鉄製で、そのどれもが芯は空洞になっていた。硬質に見えながら、奇妙なほど滑らかな動きで、現れた全ての突起物の空洞が、光輝に向いた。
「跳べ!」
光輝が叫んだ直後、ロボットから針山のように無数の銃火が上がった。拳銃を遥かに上回る口径の大きな弾丸の雨が、光輝とアスカの乗ったエスカレータに降り注いだ。間一髪、二人は一階のフロアに飛び降りることで射撃を避けたが、エスカレータは全弾丸を浴びて爆発した。
光輝が舌打ちをしながら立ち上がると、件のロボットと同じものが一台、一階フロアにも姿を現した。銃撃を見舞ったロボットは、破壊されたエスカレーターの粉塵の中で、赤い視線を閃かせながら、同じ場所からこちらの居場所を探しているらしい。
「
「……一機ずつやるぞ」
アスカが頷くのを認めると、光輝は床を蹴った。一歩目で全速力へと移行できる〝ネクスト〟の身体能力を総動員し、一階フロアにいるロボットに肉薄する。腰のホルスターから二丁の大型拳銃を抜いた。
それを見てとったかのようなタイミングで音を上げたのは、二階のフロアにいるロボットだった。空気が弾け、空気を押し開く音が続く。特有の音には、聞き覚えがあった。
「
光輝が叫ぶと、その視界の端をアスカが走った。超高速で移動し、光輝の隣をすり抜けたアスカの影が、空気の音に向かって跳躍する。
光輝の感じた通り、二本の誘導噴推弾が粉塵を突き抜けて姿を現す。次の瞬間、一筋の閃きが走った。誘導噴推弾に自ら当たりに行くような跳躍をしたアスカが、その手に握った刀で粉塵から飛び出した二本の誘導噴推弾を真っ二つに斬って落としたのだ。更に、不発に終わった誘導噴推弾の残骸を蹴り付けて、アスカは粉塵の向こうの二階フロアに飛び込んで行った。
光輝はそれ以上、目で追うことはせず、制止の声を上げることもしなかった。あくまでも目の前の、一階フロアに現れたロボットを破壊するため、二丁の拳銃の狙いを定めた。
誘導噴推弾が刀で迎撃されたことに驚き、呆けてでもいたかのように、ロボットは一瞬、全く動きを止めていたが、再起動するとすぐさま全砲門を光輝に向けた。光輝はその中から一番狙いの定めやすい砲門を選び、照準する。
光輝が引き金を絞るより一瞬早く、ロボットが砲火を上げた。無数の弾丸が飛来したが、光輝はそれで慌てることはなく、ロボットの鳥脚の股下へ、足先からスライディングで飛び込みながら、それでも一切ぶれることなく狙いを定めた砲門に、大型拳銃の五十口径弾を叩き込んだ。金属が弾け跳ぶ硬い音と爆発音が同時に響き、ロボットの砲と、その根本の青い半透明の球体が一部分、爆散する。
浅い。まだ動く。スロボットの真下をすり抜け、飛び上がるように立ち上がると、光輝は振り返り様に二丁の大型拳銃の引き金を絞った。事実、残った砲門を光輝に向けようとその場で足踏みをしたロボットは、結局は砲門を向けることはできず、二発の銃弾を胴体であろう青い球体に受けて沈黙した。蜘蛛の巣のようなひび割れを作った弾痕から血のようにオイルを流し、命の灯が消えたことを示すように、目にも見えるカメラの赤い光が消える。
光輝は止まることなく、大型拳銃を二階フロアに照準しながら、半壊したエスカレータへ向かう。途中からは上階へ飛び移るつもりで、停止し単なる階段に姿を変えたエスカレータを駆け登った。当然、二階フロアにいるロボットの攻撃は予想したが、砲声は聞かれることなく、代わりのように響いたのは、大きな金属が床に落ちる、重みと甲高さが綯交ぜになった、それとすぐわかる音だった。立ち込めていた粉塵が、ゆっくりと晴れていく。
果たしてそこに光輝が見たのは、予想通り五メートル以上はある大型『清掃用』ロボットが、ばらばらに解体された姿だった。砲は全て短く切り裂かれ、鳥脚も左右を別々の長さに斬られているので、自立することはもうできない。いや、仮に脚がそうできる状態であったとしても、ロボットはもう二度と立ち上がることはできない。赤いカメラの光が消えていた。
そのカメラの真上に、アスカが座っていた。抱えるように握った刀はロボットの青い球体を貫いている。
「……怪我はないな」
「もちろん」
「なら行くぞ。エレベータがあるはずだ」
微笑んだアスカを促し、その場を離れようとすると、大袈裟な駆動音が再び聞こえ始めた。音の響き、反響し合う様子から、今度は二台どころではないことがすぐにわかる。
「いつまでもシンの玩具と遊ぶつもりはない」
そう言った光輝は、『
途端、凄まじい閃光。爆発の衝撃波が空気をびりびりと震わせ、それに続いて一階フロアが炎に包まれた。
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