第5話 終焉

 光輝は、ゆっくりと目を開いた。辺りは完全な闇に閉ざされていた。

 いつの間にか眠りに落ちていたようだった。自分の叫び声と、落ちていく耶麻人の身体。その二つのイメージが、強く頭にこびりついている。

 あの日から、睡眠からの目覚めは、必ずあの日の光景を見せられる。自分を呼んだ耶麻人の強い声。最後の声。何か、何かなかったのか。あれしかなかったのか。光輝は十五年という時間をかけて、考え続けなければならなかった。事実、考え続けてきた。しかし、答えが出ることはなかった。

 光輝は頬を拭う。日々の常であるように、頬には涙が流れた跡があり、それを拭い去った。その動作の流れで背後を振り返ると、ソファの上ではアスカが、未だ静かな寝息を立てていた。眠っていた時間は、さほど長くはないのかもしれない。

 

 終わらせなければいけない。


 眠るアスカの横顔を視界に捉えた時、光輝の頭に浮かんだのは、その言葉だった。そしてそれは、十五年間響き続けた絶叫と、耶麻人の姿を押し退けて、光輝の思考の中心に留まった。

 捻った身体を正面に戻しつつ、光輝は纏った白いコートと、その下の黒い着衣を改める。光輝の武器は銃だが、銃の避られない致命的な欠点は、弾丸に限りがあることだ。白いコート……〝ネクスト〟専用戦闘装束『クロス』に、装備できる限りの弾丸をプロフェッサー・グレイのアジトから持ってきてはいたが、その半数近くを、カラエフとミネルヴァ、二人の強敵との戦闘で既に使ってしまっていた。時間を掛ければ掛けるほど、終わりに辿り着く機会は失われていく。


 時間がない。

 それは、あの日と同じだった。

 でも、もしかしたらそれは、いつでも同じことなのかもしれない。


 光輝は静かに立ち上がった。本当は、もっと前に、こうしなければいけなかったのだ。

〝戦争〟が終わった時に。いや、『crus.クルス』のメンバーたちの安全が保証された時に。いや、

 機会はいつでもあったはずなのだ。一人になった光輝には。ただ立ち上がればよかっただけだった。しかし、光輝はそれを避けてきた。それが耶麻人の遺志だと言い聞かせて。残った自分が元『crus.』の安全を確保し、あの〝戦争〟のような事態が二度と起きないように、誰も死なずにすむように、と。

 だが、それで何かが変わることはなかった。十五年、仮初かりそめの平和が流れただけだ。元『crus.』メンバーたちは命の保証はされても、迫害を受け続けていた。アスカは〝ネクスト〟という鬼になった。プロフェッサー・グレイが爆死という壮絶な最後を遂げときに残した言葉は、あの日、耶麻人を失った全ての『非強化アンブーステッド』がいま、共有している言葉なのかもしれない。

 また誰かが死ぬことは容認できない。だが、生き方を選ぶことは、誰もが持ち得る自由であるべきなのだろう。その自由を奪われた十五年という時間が、『crus.』たちには横たわっている。そして彼らひとりひとりの高まった内圧で、魔都トーキョーの蓋は開いてしまった。アスカはその象徴でしかない。


 もう、終わらせなければいけない。


 アスカやグレイのように、復讐心に支配されている訳ではない。だが、耶麻人のことを想わない訳でもない。ただ光輝は、この十五年を終わらせなければいけない、そう思っていた。命が保証された、全ての『非強化』たちが、今度こそ本当に生きるために。

 愛銃をホルスターに納め、光輝は闇に閉ざされた部屋を出ていこうとした。扉の崩れた出入口に立って振り返ると、アスカがソファから身を起こしたところだった。


「……逃げるの」

「……いいや」

「なら、何処へ行くの」


 ソファから両足を降ろしたアスカは、自分の得物を探しているように、暗闇の中を手で探る。この闇の中でも〝ネクスト〟の視力は働くので、頭の上に置いた刀を見つけるまで、時間はかからなかった。


「あなたは、わたしが斬る。いま、ここで。『七同盟』を全員斬った後にするつもりだったけど、結局最後には斬るのだから、いまでも後でも同じこと」


 アスカはソファから立ち上がると、刀を抜いた。殆んど光源のない部屋の中で、刀が煌めいて見えたのは、窓から薄い月の光が差し込んでいるからなのか。


「さあ、銃を抜きなさい、コウ兄。ヤマト兄の仇は、いまここでわたしが取る」

「……そうだな」


 光輝は完璧に向き直り、アスカの方へ向かって歩いた。刀を下に向け、油断なく構えたアスカは、しかし、近づく光輝に斬りかかっては来なかった。


「……だが、まだ少し、この命を使わせてはくれないか」


 後一歩の距離まで近づいて、光輝はアスカの顔を覗き込んだ。刀を振るべきか否か、決めかねている表情のアスカに微笑むと、光輝は再び背を向けた。


「お前には、その資格がある。だから全て終わったら……誰もが本当に生きることができるようになったら、おれを殺してくれ」

「……何処へ行くの!」


 思いがけないアスカの絶叫に、歩み去ろうとしていた光輝は足を止めた。


「あの日もそうだった。わたしが眠っている間に、いなくなった。ヤマト兄もコウ兄も! グレイがわたしを育ててくれたけど、結局二人とも戻らなかった! 何処へ行くの? またわたしになにも告げないで、何処へ行くの!?」


 アスカは、泣いてはいなかった。慟哭、というのだろうか。心の底からの怒りが、光輝に向けられていた。

 そうだった。そうだったな。光輝は今更のように気付く。帰ればよかったのだ。どんなに変わり果てたとしても。おれには、帰る場所があったのだから。そしてそれこそがきっと、耶麻人の望んだことだったのだろう。


「シンのところに行くなら、わたしも行く。〝ネクスト〟になったわたしなら、足手まといにはならない。このまま逃げるなら、わたしも行く。今度は置いていかれない」

「……そうだな」

「……死にに行くの、コウ兄」


 光輝は肩越しに振り返った。大きく成長したアスカだが、その顔にはあの日の面影がちゃんとある。


「……いいや」

「なら!」


 耶麻人が繋いだ全ての命が、正しく生き抜くために。


「死にに行くわけじゃない。……皆が、本当に生きるために、行くんだ」 


 光輝が正面を向き、歩み出す背後で、アスカが刀を腰に佩く絹連れの音が聴こえた。付いてくるつもりだろうアスカに、しかし光輝はなにも言わなかった。生物の常識を越えて、あらゆる苦痛に耐えて〝ネクスト〟となる生き方を選んだ妹の覚悟に、ここで待つように命じるだけの力ある言葉は、持ち合わせていなかった。アスカにはその権利がある。終焉を見届ける権利が。光輝はそう思った。ただ……


「アスカ」


 立ち止まり、振り返ると、呼び掛けられたアスカが身支度を整えながら顔を上げた。血の繋がりはもちろんない。なのにアスカの眼差しには耶麻人の面影があった。過ごした時間は短い。だが、あの時間は耶麻人とアスカの間に、血よりも濃い何かを作り出したのかもしれない。


「シンには、手を出すな。あの男は」


 そうしなければならない。

 そうしなければならないだけの理由が、確かにあるのだ。

 光輝は今度こそ部屋を出る。その目にはあの日のシン・フェルナスの顔が浮かんでいた。


「……おれが仕留める」

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