第4話 絶叫

 シン・フェルナス。

 このトーキョーを実効支配した『強化ブーステッド』七つの犯罪組織で構成される『七同盟』の盟主と呼ばれる男の姿が、ディスプレイの中で不敵な笑みを浮かべた。シンは画面越しでも仕立ての良さがわかるソファに腰掛け、組んだ長い脚を組み換えながら、次の言葉を紡ぐ。


『取引の内容は、単純なことだ。我々はお前たち『crus.クルス』の活動を疎ましく思っている。なので、活動を煽動する旧政府の人間は、いまから全員殺す』


 シンは、まるで害虫を駆除する、とでもいうような、当たり前のことを話す自然さで、『非強化アンブーステッド』の大量殺害を口にした。


『『crus.』のメンバーについては、頭がいなくなればただの『非強化』だ。特に皆殺しにしようとは考えていない。殺ろうと思えば、いつでも殺れるからな。もちろん〝塔〟からは出てもらう。後は……』


 身寄りはなく、互いに寄り合い、助け合うことで暮らしていた少年少女たちが、彼らの唯一の居場所である〝塔〟を失う。それ自体が、殺害に等しい生存方法の否定だった。光輝は耶麻人やまとを横目で見る。耶麻人は冷静な表情を崩してはいなかったが、刀を握る手が、僅かに震えていた。あれは、恐怖のせいではない。


「まだあるのか」


 耶麻人がディスプレイに言葉を返す。録画されたものではなかったようで、ディスプレイの向こうのシンが、僅かに驚いたような表情で顔を上げた。


『一番大事な内容がある。これが達成されるのであれば、いま話した二つは、どうでもいい』

「……ならばそれを聞いてやる。だが『取引』だ。お前の言う内容に従えば、それ以上、おれたちの仲間に手を出すことはない、と誓え」


 耶麻人が言う。声は落ち着いていた。だが、光輝にはわかった。耶麻人は、〝ネクスト〟として産まれて以来抱くことのなかった、強烈な怒りの中にいる。


『もちろんだ』

「何に誓う」

『では、わたしの組織に』

「足りん」

『この命に、とでも言えば満足か』

「取引内容が反故にされることがあれば、おれは貴様を殺しにいく。必ず。どんなことをしても」

『いいだろう。そのときは、門戸を開けて待っている』


 シンがニヤリ、と笑った。不快な笑みだった。


『……では、お前たち二人に、いまから殺し合いをしてもらおう』

「……何?」

『言っただろう。頭さえいなくなれば、後はどうとでもなる。お前たちがいなくなれば、『crus.』などという連中は、ただの劣性生物の集まりでしかない。わたしは、お前たちに死んでもらいたい。だが、どちらもいなくなったのでは、後の交渉が進め辛い。『非強化』の余計な反発を防ぐためにも、お前たち二人のうち、生き残った方と後の交渉は進める』

「バカなことを……」


 光輝は吐き捨てるように口にした。その次の瞬間、ディスプレイの映像が切り替わり、再び安らかに眠るアスカの映像映し出された。


『お前たちがやらないのであれば、ここに映る人間どもを、ひとりずつ殺していくだけだ。そうだな。五分にひとり、でどうだ?』


 ぐっ、と光輝は喉に息が詰まる感覚を味わった。どうする、と自問して視線を泳がせ、耶麻人の方を向いた。

 その瞬間、光輝は反射的に上体を反らした。その鼻先を、鋼鉄の閃光が横一文字に駆け抜けて行った。

 光輝は一歩、二歩、後退しながら両手の大型拳銃の安全装置セーフティを解除する。更に一閃、鋼の輝きが光輝に迫ったが、これも下がりながら回避した。

 三度、剣線が閃いた時、光輝はこれに合わせて大型拳銃の引き金を引いた。相手はあらゆる物を切断する高周波ブレードだとわかっていたが、こちらの弾丸も、あらゆる物を破壊する大口径弾だ。受け止めことはできずとも、弾くことは可能なはずだった。

 光輝の想定通り、剣線を弾丸が止め、弾いた。相手は驚いた様子も躊躇もなく、次の斬撃を見舞ってくる。光輝はこれに合わせて発砲する。二度、三度、火花が散り、刀と銃が、本来あり得ない超近接での戦闘を繰り広げた。


「耶麻人!」


 刃を弾いた一瞬の隙を見逃さず、体当たりの要領で耶麻人に密着した光輝は吠えた。抱きつかれた状態では、さすがに刀は振るえない。


「……どうする?」


 光輝はディスプレイの向こうのシンには聞こえないよう、小声で話しかける。


「……この部屋にも、さっきの攻撃を仕掛けた奴がまだいる。時間もない。……どうする、耶麻人」


 光輝は言葉を重ねたが、耶麻人は応えなかった。ただ、組み付いた光輝の脇腹を、刀を握っていない左腕で、容赦なく殴り付けた。予想していなかった光輝は、床に転がりながら臓腑の内容物を吐いた。それでも身を翻し、倒れ続けることなく片腕をついて立ち上がると、左腕の大型拳銃を一射する。距離をおいた耶麻人の頭を確実に狙った弾丸を、耶麻人は身のこなしひとつで回避する。その動作を起点として、一気に踏み込んで来る気配を察した光輝は、大型拳銃を連射した。これにはさすがの耶麻人も踏み込むのを止め、後退する。


『後二分だ。一人目は誰がいい。やはり、お前たちの妹か?』


 ディスプレイから声が聞こえた。当然そうなる。先ほどから執拗にアスカの映像を流すのは、こちらを意識してのことだ。シンは自分と耶麻人、アスカのことを調べ上げている。

 時間が、ない。


「……撃て」


 耶麻人の口が動いたが、光輝はそれを聞き取ることができなかった。いや、音としては聞こえていた。意味も、理解していた。ただ、飲み込むことを拒絶したのだ。

 光輝が問い返す声を上げる前に、耶麻人の姿が消える。高速で、一直線に踏み込んで来る気配に、光輝はその進行路から跳躍して離れる。

 らしくない。そう思った。耶麻人らしくない。常に超越的な物腰で、あらゆる存在の頂点に立つ〝ネクスト〟らしい、と言える雰囲気を纏う、それが来栖耶麻人だった。光輝も〝ネクスト〟だが、耶麻人のような超越者の雰囲気は持ち合わせていない。


 お前の方が、人間らしいんだよ。


 いつか、耶麻人がそう言ったことがあるのを光輝は思い出した。であれば、お前の方が〝ネクスト〟らしいんだろうな、とそのときは返したことも、思い出した。

 その耶麻人の『らしさ』は、戦いの中にも現れる。決して動じない。常に次の次の、その先の一手まで見据えて動く。それが来栖耶麻人だった。

 だから、らしさを感じない。こんな力任せの、耶麻人の一直線の踏み込みを、光輝は見たことがなかった。

 耶麻人の気配が光輝のすぐ傍をすり抜ける。その気配を追って振り返った背後は、あの大きな窓、そこから見える、未完成の『強化』の街、その街明かりだった。星のように瞬き、見るものを魅了する、だが温もりは感じられない、そんな光を背景に、耶麻人が『crus.』の白いコートを靡かせ、振り返った。

 その顔が、微笑んでいた。


「撃ってあの子を、おれたちを、救え、光輝」


 耶麻人の口が動く。確かにこの場ではそれ以外の方法はないのかもしれない。だが、何か、何かないのか。光輝は大型拳銃の銃口を持ち上げ、耶麻人の額にポイントする。だが、何か、何かないのか。これ以外に、何か。


『後一分だ』

「光輝!!」


 絶叫。

 余韻を残した自分の叫びまで、シンと、耶麻人と、自分。三つの声は、ほぼ同時に響いた。そして、大きな銃声も。

 硝子が割れる音。

 血と脳漿が混じりあった、体液としか呼ぶことのできない液体が、割れた大窓の向こうへと帯を引く。

 白いコートが風を受けて揺れていた。そのコートも、大窓の向こうへと消えていく。デザートイーグル〝テンペスト〟の銃弾を受けた耶麻人の身体が、ゆっくりと落ちていく。

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